無駄に広いだけの円形の浴槽の中で、丁度向かい側にいるはぶくぶくと湧き上がって来る泡に埋もれそうになりながら、何気なく向かい側に居るロイエンタールを見やった。 彼女にとっては理解に苦しむが、彼は湯に入りながらも平気でワインをあおる。 どれだけアルコールに強いのだろうと思うものの、酒が解禁の年齢からそう何年も年を重ねたわけではないと、もう随分と飲みなれているロイエンタールとでは、強さも耐性も違うのだろうと、適当に納得しておいた。 それにしても、と。 は次から次へとジャグジーによって生産される泡を軽く吹き飛ばしながら思う。 そのグラスを持つ手も、ワインを煽る口も。 今はもう溶けてしまった薔薇の花を模ったバブルバスを浮かせたときの眉をしかめた反応すらも。 色っぽいなと思ってしまった自分に、は軽く苦笑した。 「人の顔を見て笑うな。今度は何なんだ?」 「いえ、別に大したことじゃありませんよ。ちょっと、愛人らしい演出を試みて、愛人らしいことを考えてしまった自分が可笑しかっただけです。」 そう返せば、ロイエンタールは僅かに眉を寄せながらも空になったグラスをタイルの上に置いた。 僅かながらに、澄んだ音が心地よい。 と言っても、殆どはジャグジーが泡と共に湯を押し出す音に掻き消えてしまっているけれど。 自己完結したは、両手できめ細かい泡をすくってはワザとらしくロイエンタールに向かって吹き飛ばす。 いかにも愛人らしく可愛らしい動作ではあったが、その勢いと飛ばされてきた泡の量は確実に「可愛らしい」などという言葉で許容できる域を超えていた。 無論、それとなく予想していたロイエンタールは、顔にかかる直前で無造作にそれを払ったので、泡塗れになるという惨事は免れた。 「思ったんですけど。」 「何だ?」 しかしはちっとも懲りた様子も無く、またも泡をすくってはロイエンタールに向けて吹きかけてくる。 喋りながら泡を飛ばすとは、無駄なところで器用な女だ、と。 無駄なところで感心しながらロイエンタールも応えた。 「こうして向かい合っていても、背中合わせでも、結局は同じ位置ですよね。」 「何が言いたい?」 「いえ。ただ、正反対なのに、同席だなって思って。上と下とか、右と左とか、」 「表と裏、とか?」 くっと。 ロイエンタールは咽喉の奥で笑う。 それに少しだけ微笑んで頷いたは、また懲りずに泡をすくった。 何度でも同じことだと、呆れたようなロイエンタールの表情は、しかし今度は泡塗れになってしまった。 向かい側ではが、悪戯が成功した子どものような表情でこちらを見ている。 今度も泡を吹き飛ばすのかと警戒したロイエンタールに、はそのまま泡を投げつけたのだ。 結果、反応が遅れたロイエンタールは見事に泡だらけになってしまったのである。 「――。」 「泡風呂といったら、泡合戦でしょう?」 「聞いたことも無いぞ。そんな合戦は。」 「まぁ、思いつくのは私くらいでしょうね。」 ――沈めてやろうか、この女。 先ほどの、謎かけのような言葉と共に浮かべた、どこか冷徹な微笑はどこへやら、いつものように自分への嫌がらせには尽力を惜しまないに、ロイエンタールが若干本気で思ったのは無理も無い。 とりあえずロイエンタールは、いかにして彼を泡だるまにするか楽しそうに考えているに対し、泡と湯の下から蹴りをひとつかましておいた。 |
と、なれば、も黙っているわけが無い。 結局、視界が及ばない領域での不毛な蹴り合いは、うっかり体勢を崩したが泡を飲み込んで噎せたところで終了した。 「で?どうして今日に限って泡風呂なんだ?」 噎せ返るを気遣うどころか、自業自得だとでも言いたげなロイエンタールは、もう一杯手酌でグラスにワインを継ぎ足し、水面下の攻防ならず泡面下の攻防を収める。 ようやく呼吸を整えたは、まるで今までの攻防など忘れてしまったかのように笑みを浮かべた。 「貴方が怪我をしたと聞いたので、何かリラックス出来ればとでも思ったんですよ。ほら、実際の薔薇花びらを浮かせたジャグジー風呂なんて、無駄に色っぽくて似合っていたでしょう?」 「――そこまで心配されるほどの怪我をした覚えは無いが。」 花びらはもう解けて泡になってしまいましたけど、と。 実ににこやかには応える。 『怪我』と『リラックス』まではまぁ良いとしても、そこから『薔薇の花びら』と『ジャグジー風呂』がいまいち上手く繋がらなかったが、いかにも純真無垢な笑顔に、ロイエンタールは盛大に眉をしかめながら応えておいた。 しかしその眉の角度は、「今度は何を企んでいる」と暗に問いかけている。 もちろんもそれには気付いていたが、当然の如く気付かないフリをしたまま笑っていた。 最近、ロイエンタールは一つの仮説に辿り着いたのだが、どうもは何かよからぬことを考えているときほど無邪気に笑うらしい。 それを体現するかの様に、彼女は胡散臭い程に邪気を感じさせない笑みを浮かべながら続けた。 「こんなのも用意しました。バスソルトです。地中海の塩を使用しているそうですよ。これで体をマッサージすると、とても健康にいいんだそうです。」 「俺には傷口に塩を塗りこむような被虐趣味は無いぞ!」 「大丈夫、新たな自分を発見できるかもしれません。それに、『心配されるほどの怪我をした覚えが無い』なら、どうってこと無いですよ。」 嬉々としながらバスソルトの小瓶を開けるに対し、ロイエンタールは若干顔を引きつらせながら、とりあえずグラスについでおいたワインを頭からかけておいた。 「何するんですか!!」 折角出したバスソルトは泡風呂の中に落としてしまうし、かけられたワインが眼に入って染みるし、その匂いに当てられて噎せそうになるしで、思わず悲鳴を上げただったが、舌打ちしたのはロイエンタールも同じだった。 白い首筋に流れる赤ワインが、そのアルコールの香りもあって、酷く艶めかしく見えてしまったから。 |
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