その優美な見た目によらず、意外に体力の消費が激しいワルツを、練習と称して立て続けに踊ったあとは、初心者のは完全に息が上がっていた。 「ロイエンタール、提督。これ、は、新たな、いじめ、ですか?」 「何を言う。社交界に出れば、夜を徹してのパーティーなどざらだろう。この程度で息を上げていては、奴らの仲間入りは出来んぞ。」 肩で呼吸をしながらが問えば、ロイエンタールはしれっとして応える。もちろん、がそういった付き合いを好まないだろうとの推測の元に。 ワルツの戦列で踊る紳士淑女の中からの手を引き、とりあえずすぐにでも前後不覚に崩れ落ちそうなほど消耗したの手を引いて、ロイエンタールはメイン会場から抜け出した。すぐ隣の広間は元帥府の談話室になっており、今日も小休止が出来るようにソファが並べられている。 漁色で知られるロイエンタールに連れ出されたとなれば、に要らぬ傷が付くであろうと、ある程度人目が届く部屋に、しかし大っぴらな視線が届かぬところへと少女を休ませに来たロイエンタールは、ソファに崩れ落ちたを見て、思わず苦笑を浮かべた。 「もう少し、体力を、つけた方が、いいと、思います、か?」 「まぁ、人並みにあれば、それ以上につける必要もないと思うが…。」 はげっそりとした表情で、ロイエンタールを見上げる。ロイエンタールとしては、それこそ今まで自分がエスコートした女性の中にはこの程度でへばるものが居なかったため、そんなものなのかと一つ認識の幅を広めていた。 気付け、というわけではないが、アルコールが入っていない飲み物を渡すと、は素直に受け取って言い訳めいたことをぶつぶつと呟きだした。 「ワルツって、結構ハードですね…」 「慣れだな。足は踏まれずに済んだのは幸いか。」 「そうです。それに、こんなに踵が高い靴で、あんなに動くなんて。」 「何だ、ヒールを履いていたのか?にしては、あまり身長が変わらないようにも見えるが。」 「酷い。いつもより、10センチくらいは、背も高くなってるのに。それに、コルセットしたままって、くるし…」 「――そういう話は、控えた方がいいぞ?」 思わず胸元に手をやったに、ロイエンタールは流石に呆れ顔になった。彼の認識では、コルセットは下着の部類に入る。そういう話題を堂々男の前でしては、下手をすると曲解されかねない。 これはきちんと諫めた方が良いのだろうかと僅かに考え込んだとき、その背後から聞きなれた声がかけられた。 「そうだぞ、。そんなことを言っては、ロイエンタールに襲われかねん。」 その一言で相手が誰かを察したロイエンタールは、辟易した様子で振り返った。想像通りの人物が、悪戯な笑みを浮かべてこちらを見ている。 「残念ながら、は俺の許容範囲外だ。ミッターマイヤー。」 「そうか?しかし、相手がなら、卿がついに少女趣味に目覚めたとしても、俺は驚かないが…。」 「卿は俺と閣下とキルヒアイスの三人から殴られたいのか?」 冷ややかな言葉に、ミッターマイヤーはついに両手を挙げて降参の意を示した。そのやり取りを見ていたは、困ったように笑っていたが、ミッターマイヤーの傍らにそっと寄り添っている女性を見つけて、小首をかしげた。誰なのかを問う前に、ミッターマイヤーが口を開く。 「、久しぶりだな。元気そうで何よりだ。」 「えぇ、ミッターマイヤー提督も。武勲はお聞きしています。今回も、随分とご活躍だったそうで。」 ロイエンタールのときには完全にすっぽ抜けた、半分社交辞令から始まる挨拶をきちんと済まして、ミッターマイヤーは自身の傍らに、綺麗に咲いた薔薇の花束を持って控えめに立っていた、クリーム色の髪に菫の眼をした女性をに紹介した。 「、こちらは俺の妻だ。エヴァンゼリンと言う。エヴァ、こちらはフロイライン・クロプシュトック。閣下の幼馴染だそうだ。」 本来であれば、ミッターマイヤーは貴族の出ではないため、これほど気軽に侯爵令嬢を紹介することなど許されなかっただろう。しかし、はそんなこともお構い無しに、元帥府に馴染んでしまっているため、今回もミッターマイヤーはごく簡単に、妻に年若い友人を紹介した。 も、それに合わせて立ち上がり、侯爵令嬢としてというよりは、初対面の相手に対する礼節を持って、エヴァンゼリンに挨拶をする。 「・フォン・クロプシュトックです。どうぞと呼んで下さい。フラウ・ミッターマイヤー。」 「こちらこそ。エヴァンゼリン・ミッターマイヤーです。エヴァと呼んで下さいね。」 侯爵令嬢であり、夫の上官の幼馴染でもあるに、エヴァは僅かに怯んだ様子であった。しかし、の方は、ミッターマイヤーに対して、貴族令嬢の皮を被る必要など無いと判断しているため、ごく自然にそれをエヴァにも実行した。 「凄く嬉しいです!私、ずっとフラウ・ミッターマイヤーにお会いしたかったんです!」 もう星でも飛び出しそうなほどに輝いた眼で、ははしゃいだ。それはもう、思わずエヴァが怯むほどの喜びようだ。 そこまで喜ばれる要素が自分にはあっただろうかと、エヴァンゼリンが最愛の夫を見上げれば、ミッターマイヤーも首をかしげている。は、二人の疑問について、それはもう大はしゃぎで応えた。 「だって、ミッターマイヤー提督は愛妻家で有名ですもの!ですから、奥様はどんな方なのか、ずっと気になっていたんです!お会いできて、本当に嬉しいですわ!」 両手を組んで、ぱぁっと花が咲いたかの如き笑顔でエヴァを見つめるに、ロイエンタールが呆れたように口を挟む。 「、知己でもないのにそんなにフラウ・ミッターマイヤーを見ては失礼だぞ。」 「いえ、そんなことは無いのですけど…」 「俺はそんなにエヴァのことを話していたかな?」 ロイエンタールの言葉に、エヴァは薔薇の隙間からフォローを入れたが、それは形式上以外のなにものでもなかった。フォローを入れた本人がの喜びように圧倒されてしまっているのだから仕方がない。ミッターマイヤーは、それこそ自分を通して以外に妻の存在を知ることなど無いだろうと考えてので、思わずが舞い上がる原因を思い出そうとしてみたが、無意味に終わった。 当たり前と言えば当たり前だが、ミッターマイヤーはにエヴァのことを話したことは無く、したがって思い当たる節が出てくるはずもない。 問いかけるような視線で小さな少女を見やれば、はいっそ朗らかに答えた。 「ラインハルトとジークが、事あるごとに私と比べるんです。」 は言ったが、無論それだけで三人が納得するはずも無い。元帥府に属する二人は訝しげに眉を傾げ、話題の的になっている婦人は困ったように夫を見上げた。 「あなた、私のことをそんなに話しているの?」 「いや、そんなことは無いが…」 困惑したような視線で妻に見上げられ、夫は妻より三割増しで困惑した視線を返す。それに答えたのは、やはりだった。 「例えば私が廊下で走ったりソファで寝転んでいたりすると、二人して言うんですよ。『年頃の娘がそんなことするものじゃない』って。私もラインハルトやジークと同じ下町育ちなのに、今更私ばっかりお嬢様にしたがるんです、可笑しいでしょう?」 思い出すようには笑ったが、ミッターマイヤーやロイエンタールからすれば、は最初から貴族のご令嬢である。感覚のズレとも言うべきなのか、二人にはのようには笑えなかった。 「それでね、続けるんですよ。『少し、フラウ・ミッターマイヤーを見習いなさい』『そんなんじゃ、ろくでもない男に言い寄られるだけだ』『ミッターマイヤー提督のように誠実な方と円満家庭を築きたいなら、もう少し淑女らしくするべきです』って。だから、そんなに旦那様に愛されてる方なんて、どんな方なのかずっと会ってみたかったんです!」 の言葉から察するラインハルトとキルヒアイスは、とても艦隊を率いる軍人とは思えない。クロプシュトック事件以来、が現れてからは自分たちの司令官とその副官の意外な一面を見せられる機会は多くあったが、今回のそれは最も呆れる部類に入るのではないかと思う。 まぁ、ラインハルトキルヒアイスがに対して並々ならぬ保護者意識を持っていることは、ミッターマイヤーもロイエンタールも知っている。家庭というものに対して偏見を持っているロイエンタールは呆れるばかりであったが、既婚者でありいずれは子供をと思っているミッターマイヤー夫妻は、呆れながらも思わず笑ってしまった。ラインハルトやキルヒアイスに親近感らしきものを覚えてしまう。それに、どうやらエヴァはが気に入ったようである。 は、訳ありとはいえ、元は大貴族の令嬢だ。エヴァは無意識に身構えていたようだが、やはり無意識のうちにそれを緩めて、に笑いかけた。 とエヴァの間には一回りほどの年齢差があるが、小柄なエヴァがと並ぶと、まるで姉妹のようだった。 「貴女については、私もウォルフからよく聞いています。」 「ミッターマイヤー提督から?」 「ええ。貴女のような娘が欲しいと言われました。」 「まぁ、光栄です。」 が素直に喜べば、「私と彼の遺伝子では少し無理があるのにね」と、エヴァも無邪気に笑う。結婚して暫くたつが、ミッターマイヤー夫妻にはいまだ子供がおらず、ミッターマイヤーはを一方的に保護の対象と指定見ているらしい。ラインハルト、キルヒアイスに加えて、ミッターマイヤーまでもが保護者意識を持ってしまったわけだ。 エヴァは一歩前に出ると、抱えていた色とりどりの薔薇の中から一本、深紅の薔薇を取り出してに渡した。 「フロイライン・クロプシュトック、お近づきのしるしです。よろしければどうぞ。」 「わぁ!綺麗ですね。」 「うちの庭で育てたんです。ローエングラム閣下にお渡ししようと思ってお持ちしたのですけど、一本ぐらいなら大丈夫でしょう。」 年齢にそぐわぬ悪戯っ子のような微笑を浮かべ、エヴァは抱えていた薔薇をミッターマイヤーに預けて、一度に渡した瑞々しい薔薇に手を伸ばした。 そのまま、少し乱れていたの髪を整える。はパーティーの席でも、失礼にならない程度にしか髪をととのえていない。いつものように、銀の髪の幾筋かに真珠を通して、それを無造作に結っただけの髪型だ。 それを軽く治してから、エヴァは先ほどの薔薇を一本抜いて、の髪に挿した。 「似合うわ。貴女の眼の色と同じね。」 エヴァは満足そうに微笑み、自身の髪に巻いていた白いレースのリボンを解いて、その薔薇に結んでやる。急ごしらえの生花の髪飾りは、少しだけその完成された姿には違和感もあるものの、には良く似合っていた。 「機会があったら、そのうち我が家にも遊びにいらしてくださいな。」 「はい、是非!フラウ・ミッターマイヤーも、お暇があったら元帥府に遊びにいらしてくださいね!!」 ミッターマイヤーから様々に元帥府のお姫様の話は聞いていたが、今の一言だけでもがどれほど此処に馴染んでいるかがうかがえる。 としては、自邸に招待すれば貴族筋の要らぬ問題に巻き込まれるからと、気を使ったようだが、自宅に招待するのと同じレベルで夫の勤め先に招待されてしまったエヴァはまた少し困惑した表情を浮かべて、曖昧に頷いた。 ともあれ、どうやら初対面にして二人の女性は友誼を結ぶことに成功したようだった。 |
(C) 2005-2009 Replica Fantasy 月城憂. Some Rights Reserved.