むろん、ラインハルトとキルヒアイスも、を心配していないわけではなかった。 怪我の事もあったし、その心が壊れてしまわないかも心配だった。 アンスバッハに殴られた傷は、頭であったものの、幸い異常などは見られずに済んだし、首を絞められていたことも、一時的な酸欠状態になっていただけだった。 だから眠るように手放した意識も、翌日にはごく普通に目覚めるように覚ましたし、それでも大事を取ってが眠るのに飽きるまで静養させ、そしてオーディンへの帰還も、身体に負担がかからないように十分に時間をかけさせた。 結果的にラインハルトは主立った部下がリヒテンラーデ候を粛正し、オーディンを制圧して落ち着いた頃に帰還したことになる。 よって、オーディンに迫るにつれて、そうした事後報告などの通信も増え、ラインハルトはブリュンヒルトでも仕事をすることが増えたのだ。 今回ばかりはと、バルバロッサではなくブリュンヒルトに乗り込んだキルヒアイスも、それは同様のことだった。 「悪いな、。」 「いいの。 頑張ってね。」 申し訳なさそうに言えば、愛すべき少女は常に緩く微笑んで答える。 そんなやり取りが何度か続き、一人することも無く暇を持て余すようになったが、また眠るようになったのはこの頃からだった。 まどろむ、というより、前後不覚に眠る時間が増え、そしてオーディンに着くなり、まるで神経の総てが焼き切れてしまったかのように倒れたのである。 心労によるものだとは誰の目にも明らかだった。 アンネローゼは一つため息を落とす。 腹立たしい、というよりは、彼らのもどかしさが歯痒かったのかもしれない。 ラインハルトは縋るような目でを託し、キルヒアイスも真剣な表情で頭を下げた。 をお願いします、と。 彼等は彼等なりにを心配し、アンネローゼに託すことが最善だと考えたのだろう。 確かにここは、政治や軍事からは掛け離れた場所にあり、ラインハルトが万全を期しているから、連れ去られる心配もない。 アンネローゼをそうしたように、ラインハルトとキルヒアイスにとっては、を一番奥の安全な場所に閉じ込めておくことこそが、正しいのかもしれない。 だが、アンネローゼは違った。 の望みも、そんなものではないはずなのだ。 安全だからと、の意志を無視してこの館に閉じ込めることが、権力を駆使してアンネローゼを後宮に閉じ込めた皇帝と何が違うというのだろうか。 「二人とも、馬鹿なんだから。」 アンネローゼは呟く。 彼女にとっても、は妹同然の存在なのだ。 事態を見過ごす訳には行かない。 「姉様。 ラインハルトとジークは、今日も忙しいのかしら?」 が快方に向かい始めたことを受けて、ラインハルトの元帥府の士官たちは、折りを見計らってよく見舞いにくるようになった。 貴族軍に反感をもち、離反した平民階級の兵士達の中では、は大変に誇張されて崇拝されていたし、誰ひとり動き得なかった状況下でラインハルトを救った行動力に、ローエングラム軍の将官たちも、それを高く評価していた。 だが、それ以前に、は少女なのだ。 自身らが属する元帥府にごく当然のように馴染んでいたの不運を、看過出来るはずもなかった。 「よろしければ、顔を出してやってください。」 どういう心理が働いたかは分からないが、キルヒアイスは元帥府で同僚に会う度に言っていたし、ラインハルト自身も彼等がシュワルツェンの館に出入りすることを咎めなかった。 あるいは、代わりに様子を見てきてくれ、と。 そういうことだったのかもしれない。 ラインハルトとキルヒアイスの沈黙の要請に、最もよく応じたのはガイエスブルグでその行動の多くを共にしていたファーレンハイトであった。 ついでミッターマイヤーがロイエンタールを引きずってよくの顔を見に訪れ、ビッテンフェルトなどはガイエスブルグにおけるの武勇伝を聞きたがってついにはアンネローゼにシュワルツェンの館を追い出されるしまつだった。 他にも沢山の面々がの元を訪れたが、依然としてラインハルトとキルヒアイスはの元には訪れなかった。 流石に、いつまでも「事後処理のため」という言い訳だけでは限度が見え始め、も誰に言われるでもなく、ラインハルトとキルヒアイスの意図的に避けられているということを、肌で感じ始めてきている。 現には、それを受けて、日を追う毎に憔悴してきているように思える。 「どうして、ラインハルトとジークは会いに来てくれないの? もう、私のこと、嫌いになったのかしら?」 余計なことばかりしたから。 力になれなかったから。 彼等はもう自分のことを見放してしまったのだろうか? ベッドの上で膝を抱えて、掠れるように呟いた顔からは、生気が感じられない。 「…」 「余計なことばっかりしたから、怒ってしまったのかも…。 私はもう、要らないのかな…。」 いたたまれなくなってアンネローゼが手を伸ばしても、は頑なだった。 ぽつりと、一つの可能性を告げるは、今にも崩れ落ちてしまいそうに脆い。 そんな可能性は微塵も無いのだと、アンネローゼはそれをどのような言葉にすれば伝わるのか、自信が無かった。 「違うわ、。 ラインハルトもジークも恐れているの。 貴方を傷付けてしまったから。 これ以上、自分達のせいで貴方が傷付いてしまうのを、怖がっているのよ。」 「私…私、傷付いてなんかいないわ。 大丈夫なのに。 どうして会えないの?」 アンネローゼの言葉に、は酷く混乱したように、縋り付いてくるような視線を向けた。 言葉は、通じないのだろうか。 の目に映る現実の、なんと哀しいことなのだろう。 これが、以前、を残して、そして自分達が行ってしまったことの、消せない結果なのだ。 「…」 「大丈夫だもの。 怪我なんかしてない。 私は、傷付いてなんかいないわ!」 堰を切ったように、の目から涙が零れ落ちた。 アンネローゼは優しくその身体を抱き寄せるが、は止まらない。 「姉様、私。 一緒にいられないのは嫌なの。」 にとって、アンネローゼは帰って来る場所だった。 いつ羽根を安めに来ても、柔らかな笑みをもって迎えてくれる、温かい場所。 ならば、ラインハルトとキルヒアイスは共に飛び立つ仲間でありたかった。 だが、二人の羽根はのそれに比べて遥かに大きい。 置いていかれてしまったら、次はもう追いつけない。 「ずっと待っていたの。」 まるで夢遊病者のように、は頬を濡らして呟く。 茫然と呟くその脳裏に、どんな恐怖が潜んでいるのか、アンネローゼには想像も出来なかった。 仮にラインハルトやキルヒアイスがをアンネローゼのようにシュワルツェンの館に閉じ込めたとしても、二度と会えなくなる訳ではないのに。 の危惧はもっと別の場所にあり、そしてアンネローゼやラインハルト、キルヒアイスが考えるよりも、もっと深刻で重大な問題だったのである。 「一緒に、歩いていける日がくるのを、ずっと待っていたの。」 それなのに、こんなに早く終わってしまうの?と。 誰に問うでもなく、は虚空に呟く。 そんなところには、誰も応えてくれる人など存在しないのに。 そして遊離しているようにも見えたは、ややあってから、流れた涙をそのままに、嫣然と微笑んだのだ。 「このままじゃ、わたし、くるしくて、こきゅうもできないわ。」 茫然と、その白い顔ぞっとするほど美しい微笑歪ませて呟いたのだった。 |
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