Replica * Fantasy







野 望 編 06




And now she wakes to another grey day in the big blue world.
―ぬけるような青く広い世界の中で また灰色の朝に眼を覚ます―





「こんなところではなんですもの。中へどうぞ。お茶を用意しますわ。」


 ラインハルトは無言で頷き、それを受けてヒルダも無言でに一礼する。は先頭に立って来客室に案内しようとしたが、この日はラインハルトもどうやら何かを急いているようで、部屋に着く前から会話の内容か核心部分に触れていた。


「それで、先ほどの大胆な話の内容だが、私が勝つとも限らないが、貴方はそれでも私に味方をしてくださると?」
「ローエングラム侯、私は、貴方が負けるとは、思っていません。」


 些か意地の悪いラインハルトの質問に、ヒルダは毅然として答えた。その揺るぎのない断言は、思わずラインハルトが苦笑したほどである。ようやく来客室に着いたラインハルトは、ヒルダをソファに勧めてから、自分も向かいに座り、そしてお茶の用意をしようと背中を向けかけたを隣に座らせて、そして問いかけた。


「理由を聞こうか、フロイライン。」
「はい。理由は四つあります。」


 そしてヒルダは、父にも説明したことを繰り返したのである。
一つ。ラインハルトが皇帝を擁しており、皇帝に背くものに対してその命によって討伐するという大義名分を有していること。対する貴族達は、私戦を行おうとしていることに過ぎないこと。
二つ。既に大規模に集結している貴族軍に加わったところで、マリーンドルフ家が軽視されることは必須であり、対するローエングラム軍に加わることでその兵力を強化するだけでなく、政治効果もあり、厚遇されるであろうこと。
三つ。貴族軍は一時的に手を結んだだけであって、指揮系統が統一されておらず、それが戦場においては致命的であること。
四つ。両者の陣営を構成する兵士達は共に平民であり、士官だけで戦争は出来ない。ラインハルト軍の士官が平民階級の人気が高いことに対し、貴族軍は逆に反感を募らせた結果、内部崩壊を起こす可能性すらある。


「如何でしょうか?」
「みごとな見識をお持ちだ。」


 一息に説明したヒルダは、政治・外交用の微笑を被ってラインハルトを見据える。その視線を受けた美貌の元帥は、同じく外交用の微笑を被って、その正当性を認めた。隣でも感心したようにヒルダを見つめているが、彼女にとって重要なのはそこまでである。
 誰が敵で、誰が味方なのか。ラインハルトがに対して注意を呼びかけるのはその一点にあったといっても過言ではない。
 ヒルダが門地の安堵を保証することを求めるなど、参戦への見返りの要求は最早からは離れた話なのである。現に、彼女が紅茶の用意をしようと立ち上がってもラインハルトは今度は留めようとはしなかったのだから。
 マリーンドルフ家の保証を約束し、あらかた方針が決まったところで、ラインハルトは興味深そうにヒルダを見つめた。最初こそ、ラインハルトを前に緊張を見せたヒルダであったが、今ではおそれる様子も無く見返してくる。そういう眼が、ラインハルトは好きだった。


「私が勝つと断言したのは、貴方が二人目だ。」
「では、私の前にも閣下に忠誠を誓った方が?」


 正直、ヒルダにはそれが意外であった。うぬぼれとは別に、この腐敗しきった貴族の中で、他にも自分と同じように考えるものが居たことに、単純に驚いたのである。だが、ラインハルトは笑ってそれを否定した。


「いや、先ほどの、クロプシュトック令嬢が、な。」
「ラインハルト、取り繕ったって今更よ。ヒルダ様はもうローエングラム軍なのでしょう?『』でいいじゃない。」


 紅茶のセットと共に、ラインハルトの言葉を遮りながらが再び部屋に入ってくる。心地良い香りがラインハルトとヒルダの鼻を刺激した。
 紅茶をカップに注ぎながら、は無邪気に笑って続ける。


「ヒルダ様も、私やラインハルトの噂はご存知でしょう?色々と凄い噂が流れているようですけど、私たち、幼馴染なんです。」


だから、名前で呼んでいるだけなんです。と、は笑って説明する。
実際に流れている噂を聞けば、とてもそんな笑顔は浮かべていられないだろうなと思いながら、ヒルダは苦笑を浮かべた。
今更という気がしなくもないが、それでもラインハルトやキルヒアイスは人目に出るときにはちゃんと自重するのだ。だが、元帥府では最早暗黙の了解となっているし、ラインハルトの陣営へ入るのであれば、ヒルダにも隠す必要は無いだろう。
ラインハルトも小さく肩をすくめただけに留め、彼は話の先を続けた。


「最初に私が勝つと断言したのは、このだ。貴方の理由に比べると、随分と穴だらけの根拠だったが。」
嬢は、どのように考えていらしたのですか?」


 ラインハルトの言葉を受けて、ヒルダが興味を示す。差し出された紅茶を受け取りながら問いかければ、は笑って応えた。


「はい。理由は三つあります。聞いていただけますか?」


 ヒルダの口調を真似して、は続ける。
 一つ。リヒテンラーデ公は武力を伴わない戦いのベテランである。
二つ。貴族軍にはまともに戦える人材がいない。
三つ。ラインハルトは、負けない。
胸を張って主張したの理由は、ヒルダには分かりづらかった。というより、自身しか分からないのかも知れない。ラインハルトも苦笑していた。
もそれを分かっているのか、どうすれば上手く伝わるのか考えながら補足した。


「つまりですね。もし内戦が始まった折に、貴族軍から何らかの交渉、もしくは宣戦布告があったとして、リヒテンラーデ侯が対応すれば、貴族軍に不信の種を植えてくれるはずです。内部崩壊を『待つ』のではなく、『起こす』ために。」


 ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯の仲は、お世辞にも良いとは言えない。だから、ヒルダの予想と同じく、亀裂が入るのは時間の問題であろうが、先に亀裂の種を蒔いてしまえば、大分違うでしょうね、と。は無邪気な顔で恐ろしいことをさらりと述べる。
以前、この話を聞いたときには、ラインハルトはその詳しい補足を聞かなかったのかも知れない、と。ヒルダは直感した。ラインハルトは何か珍しいものでも発見したように、を凝視している。その視線に気付いているのかいないのか、は指を折って二つ目の補足を続けた。


「そして、貴族軍には士官はたくさん居ますが、その半数以上が予備役軍人です。肩書きを増やすために軍に所属しているだけで、実際の戦闘経験なんて無いに等しいはずです。現に、クロプシュトック事件では同じような構成員で、制圧に1ヶ月以上かかったようですから。祖父は私兵団を有していましたが、それにしても時間がかかりすぎです。それなのにプロの軍人さんを相手に戦場にでようなんて、私は無謀としか思えないんですけど…。」


 うーん、と。は思い出そうとするように天井を見上げた。は、自身の祖父の話でさえ、サラリと根拠の一つにしてしまう。ある意味で、彼女も酷く冷めているのかもしれない。
さらに言うなら、貴族令嬢がごく普通に生活しているのであれば、軍事など最もかけ離れた世界の話である。ラインハルトもヒルダも、何処で覚えていったのか、の情報と思考回路に軽く目を見張った。だが、それも三つ目の補足を、ごく端的にが言うまでの話だったようだ。


「そんな相手に、ラインハルトが負けると思いますか?」


 三つ目は根拠も何もあったのもじゃない。確かに前の二つを踏まえて考えるなら、三つ目の理由は『理由』ではなく、導きだされた『結果』というべきだろう。
だが、はそれすらも『理由』だと言いきったのだ。そうまで根拠もなく言いきれるのは、それだけ相手のことを信用しているからなのだろう。言われてしまった方も、その期待に答えなくてはならない。
 ラインハルトは小さく苦笑して、を見上げる。ラインハルトの視線を受けたは、何処に否定の余地があるのか、逆に問い返してきそうなほどの信頼感を返してきた。
 何と言い返してやろうかと、ラインハルトは一つ笑みと共に溜息を漏らす。しかし、その端正な口元が言葉を紡ぐ前に、緊急の連絡を告げるヴィジホンが起動し、体格の良い提督がその姿を現した。かつては撃墜王と呼ばれ、現在では有能な指揮官としてラインハルトの元帥府に名を連ねている、カール・グスタフ・ケンプであった。


「閣下!不平貴族度もがとうとう動き出しましたぞ!!」


 此処がの居室空間であることを忘れた大声であった。だが、その情報を待っていたラインハルトは目を見張るほどしなやかな動作で立ち上がり、部屋を飛び出そうとして、そしてようやく此処にとヒルダが居ることを思い出したように振り返った。


「フロイライン・マリーンドルフ、今日はお会いできて楽しかった。いずれ、食事でもご一緒させていただこう。」


向けられた微笑が、やや硬質で、そして好戦的な微笑であったものは、無理も無いだろう。そしてラインハルトは続けてにも言った。


「悪いが、後を頼んだぞ。」
「うん。いってらっしゃい。」


 いつものこと、というようなのほほんとした様子で、が応える。ひらひらと、手まで振って見送るに、ラインハルトはもう振り返らなかった。少しそっけないような気もするが、これが日常的な光景なのかもしれない。
 メインの話も終わっているし、と、ヒルダはもう一口だけ紅茶に口をつけてから、上品な動作でそれをテーブルに戻した。


「それでは、私も今日は失礼いたします。」


 用件が済んだので、帰るのだ。ごく当然の行為である。だが、は酷く心外そうにヒルダを見つめて返した。


「え、もう帰ってしまわれるんですか?」
「用件も、済みましたので。嬢にも、お世話に、なりました。」


 あんまり意外そうに言われたものだから、ヒルダもやや失調気味に応える。だが、は手ごわかった。にっこりと、花が綻んだように笑う。


「お時間があったら、もう少しゆっくりしていきませんか?こんなところに女性の方が来るなんて珍しいですもの。遊んでくれると嬉しいです。」


 結局、その日、ヒルダは満面の笑みに押し切られ、「」と呼ぶようになるまで返してもらえなかったのである。邪気の無い子供の笑顔が凶器に感じたのは、この日が初めてだった。






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2008/07/14 



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