「フロイライン・マリーンドルフが言っていた、ラインハルト軍が有利であるという、あの話だけれど……」 軍議が終わるのを待って、はラインハルトとキルヒアイスの間で呟いた。 「なにも、自然瓦解するのを待たなくてもいいんじゃないかと思うの。いくらリヒテンラーデ侯が武器の無い戦いが得意でも、必ず接触があるとは限らないし。」 「というと?」 「誰かが潜り込んで、教えてあげればいいと思わない?」 首を傾げて二人の幼なじみを見上げるその姿は飾り立てた人形のように愛らしいくせに、その口から発せられる言葉は少しも穏やかではなかった。 キルヒアイスは苦笑ともつかない笑みで、子供に言い諭すような言葉を選んで応える。 「確かに有効な策かもしれないけれど、誰がやるかが問題だね。」 「そうだな。せめて発言権のある貴族か軍人を送り込む必要がある。」 「しかし、そう思っている貴族や軍人なら、余計に貴族軍には行かないでしょう。」 キルヒアイスとラインハルトは、の発言に、表向きは真面目に検討するそぶりを見せていた。 確かに可能であれば有効な手立てだが、いかんせん人材が足りない。 貴族軍の中においても発言権を持つほどの貴族など、ラインハルト軍の中にはいなかったし、そもそもラインハルトは貴族というものを信用していない。そんな状態で貴族を貴族軍に送るというのはリスクが高すぎた。 かと言って将官を送り込めば、向こうが信用しないだろう。なぶり殺しにされるのがわかりきっているだけに、人材を無駄にする気にはなれない。 金を掴ませるにも、相手が貴族ならそんなもの歯牙にもかけないだろうし、貴族ではない者はおそらくラインハルト自身が気に食わないために貴族軍についたのだろう。接触からして困難である。もっとも最前線へ出される一般兵の間に話を流したとしても、彼等が叛旗を翻すのは戦局が追い詰められたときだけだろう。面白くなかったとしても、戦いが始まってもいないうちに、あるいは戦闘中にそこまでする行動力が、彼らにあるはずもない。 兵士の間に虚言を流すという策はラインハルトも考えないでもなかったが、結局微々たる変化しかみられないだろうと切り捨てたのだった。 苦悩とまではいかないものの、何となくそれを理解できたは、だからこそ言葉にしては言わなかった。「私、力になれると思うのだけど…」などと、そんなことを口にしたら、ラインハルトもキルヒアイスも目を剥いて怒り狂うことが安易に想像出来るからだ。 「残念。良い作戦だと思ったんだけどな。」 「の作戦は、次の機会に使わせてもらうさ。」 気持ちとは裏腹にが呟けば、ラインハルトはくしゃりとの頭を撫でる。 そこで一旦話が終わってしまうと、はそれ以上余計な事を言わなかった。 例の貴族軍から声がかかったこと。それを華麗に無視して、自分の立場を明らかにしたこと。そのせいなのか、自分には他に利用価値でもあるのか、最近周囲が不穏な空気を纏っていること。 そろそろ自分も備えないといけないのだろうと、は自分の髪の毛を一房と、真珠を模した髪飾りを手の中で弄ぶ。 ラインハルトとキルヒアイスがそれを聞けば、彼等はに対しても、彼女に手を出す輩にも怒るに違いなかった。 だが、なぜ言わなかったのかと問われれば、はいつも通りくてんと首を傾げて、いっそ凶悪的なまでに無邪気な顔で答えたに違いない。 「こんなことになるなんて、思ってもみなかったのだもの」と。 どうせ彼らは「私も力になりたかったの」と言っても、取り合ってくれないのだから。ラインハルトとキルヒアイスにとってが守るべき対象であるのと同様に、にとってもラインハルトとキルヒアイスは守るべき対象であるのに、彼等はそれを上手く理解してはくれない。 「さて、はこれからどうする?」 「もう少し待っていてくれるなら、今日こそディナーを一緒に取れると思うけどね。」 「そう言って、もう何回約束を反古にしたと思っているの?本当に針一本飲ませちゃうわよ?」 無邪気に問い返せば、にとって見上げる程の身長を持つ二人は、それぞれに苦笑を浮かべた。ラインハルトは助力を申し出たヒルデガルド・フォン・マリーンドルフに対しても、いずれ食事でもと誘っていたが、実のところそれもいつになるか分かったものではない。 情勢が情勢だけに、悠長にディナーなど取っている暇が無いというのが、ラインハルトとキルヒアイスの言い訳なのだろう。 それでも気を使って声をかけてくる二人に、はのほほんと笑ったまま続けた。 「今、忙しいのは知ってるから、だからいいの。『少し待って』が、『これから』に変わったら、そしたらディナーに連れていってほしいな。」 せいぜい物分かりの良い子を装って、はちょこんと膝を折った。今日はもう帰ると、言外に伝えたのだ。 「送らせようか?」 「大丈夫よ。ジークは心配性なんだから。」 「それはお前の危機感知能力が低いからだろう。」 「ラインハルトの言うことなんか聞こえないもん。」 「冗談はさておき、情勢が情勢だから、護衛はぜひともつけて貰いたいな。」 「ジークの言うことは、もっと聞こえないもん。」 少しだけひやりとしたものの、は両耳を塞いで答えた。もしかしたら、自分が考えていることはこの二人を裏切る事になるのかもしれないと、背筋が寒くなるような感覚に襲われたから。 の歩調に合わせてゆるりと歩いていたラインハルトとキルヒアイスは、不意にが足を止めたのにも、合わせて立ち止まる。 「どうした、?」 「どうかしたのかい、?」 「――ううん。何でもない。」 短く声が重なり、の鼓膜を叩く。 顔を上げてまた笑いかければ、ラインハルトもキルヒアイスもそれ以上は突っ込んで来なかった。 一歩先んじて止まった二人の間に飛び込んで、彼らの腕に自分の両腕を絡める。 「私は、何があってもずっと二人の味方だからね。」 「どうしたんだ、急に。」 「どうもしないわ。言いたくなっただけ。ラインハルトもジークも、大好きよ。」 目は、合わせられなかった。 けれど、それだけがにとっての真実だ。 ラインハルトとキルヒアイスは一瞬だけ訝しげに顔を見合わせたが、の心理がつかめないままに、彼女が望んでいる言葉を口々に贈った。 そして地上車に乗り込んだの後ろ姿が、そのまま行方不明となった事を知らされたのは、仕事に忙殺されていたラインハルトとキルヒアイスがようやく開放された翌日の夜の事だった。 |
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