Replica * Fantasy







野 望 編 03




Therefore, I practice nothing but saying "Goodbye" to you.
―だから僕は ただ君に「さよなら」をいう練習をする―





 部屋に入ったは、まずそのどんよりと淀んだ空気に眉を顰めた。
 勇猛を馳せる歴戦の幕僚たちも、たった一人の主を現実の世界に引き戻す術を持っておらず、結局は彼らの半分程度の年齢の少女にコトを託すしか選択肢が無かった。
 この時点で、がキルヒアイスの死について、ごく客観的にしか知らなかったのはむしろ幸いしたかも知れない。
 薄暗くカーテンを引かれた部屋の最奥で、事実上の帝国の支配者となった青年が椅子に身を沈めていた。側には低温で保存されたキルヒアイスの柩があり、ラインハルトはそれが視界から消えていくのをかたくなに拒んでいるようだった。中にいる赤毛の幼馴染は、今はもう綺麗に血を洗い流されて、静かに瞼を閉じている。
 無駄に広い部屋に足を踏み入れ、ラインハルトの下まで半分も行かないうちに、は足を前に進めなくなってしまった。今まで、およそ見たことが無かった美貌の幼馴染の姿に、足を動かすことが出来なかったのだ。
 話に寄れば、キルヒアイスがラインハルトをかばって死んでから此方、彼は食事も睡眠すらも取ろうとしないらしい。
 はオーディンからガイエスブルグへの航行中にキルヒアイスの訃報を聞き、出来る限りの速度をもってたどり着いたのだが、それでも結構な時間が消費されていたのは事実だった。


「フロイライン」


 遊離していたを手繰り寄せるように、ミッターマイヤーがごくささやかに声をかける。反射的に背後を振り返ると、ミッターマイヤー以外にもラインハルトの元帥府に招かれた僚友たちが、陰鬱とした表情で集まっていた。
 彼らも同様にキルヒアイスの死をいたみながらも、半ば廃人と化しているラインハルトを、どうにかして此方に連れ戻して欲しいという視線をに向けている。
 だが、縋るような視線を受けた少女は、今にも泣き出しそうな顔をしてぽつりと呟いた。


「ジークが、ラインハルトを連れて行ってしまうわ。」


 今まさに、それを危惧している部下たちが最後に縋った砦としての自身そういわれ、「帝国の双璧」を筆頭に平均年齢が大幅に低い軍人たちは返す言葉も無かった。


「私独り置いて、二人で行ってしまうわ。」


 ついで発せられた言葉と透明な涙を見て、彼らはようやく有ることを自覚した。
 大切な友人を亡くし、悲しんでいるのは彼女も同じだということを。いや、それどころか、ラインハルトやキルヒアイスとともに無邪気な時間を共有していたの悲しみは、自分たちの比ではないのかもしれない。
 にも関わらず、この小さな少女に頼らざるを得ないと思うと、不甲斐無さが重くのしかかってくるのが分かった。
 しかし、ラインハルトにはどうあっても立ち直ってもらわなくてはならない。ようやく機能しかけた新しい帝国で、その支配者が廃人となってしまっては何もかもが破滅してしまうのだ。


「フロイライン」


 ロイエンタールがテノールの声でそう一言だけ口にし、ハンカチを差し出す。は軽く頷いてそれを受け取り、涙を拭った。
 そして、その一言に込められた彼らの意思に了解の意を示して、ゆるりとラインハルトに近付き、その足元に屈みこんで、うつむいて髪に隠れたその表情を覗き込む。


「わたしが、わかる?ラインハルト。」
「――あぁ、。」


 は、肘掛にかけられたラインハルトの手に自分の小さな手を重ねて問いかける。
 普段よりも低い声が、答えた。ラインハルトの幕僚たちが彼の声を聞くのは、あれ以来初めてだった。
 ラインハルトは極僅かに顔を上げて、口元を吊り上げる。覇気も生気もない、自嘲の笑みだった。


。もう聞いたか?キルヒアイスが死んだ。」
「うん。聞いたわ。」
「俺をかばって、死んだ。」
「うん。それも、聞いたわ。」
「俺が、殺したんだ。」
「うん。そうなのかも、しれないね。」


 直ぐそこまで迫った破滅に身をゆだねるような危うさで、ラインハルトは大きくもなければ小さくも無い声で呟く。
 彼らから僅かに距離を置いて同じ部屋でその様子を見守る幕僚たちにも、その声ははっきりと聞いて取れた。
 はラインハルトの言葉を拒否することなく、受け入れる。自身が殺したのだと、そう告げる言葉さえもは否定しなかった。何か言いたそうにビッテンフェルトが半歩前に踏み出したが、ファーレンハイトがそれを無言で制した。
 そんなやり取りに気付いた様子も無く、ラインハルトは更に深く自嘲を刻んでに問いかける。


「お前も、俺を責めるか?」
「私は、誰も、責めない、よ。」
「そうだな。お前は、誰も責めない。だから、綺麗なままだ。」
「ラインハルト、私は綺麗なんかじゃないよ。そんなことで、綺麗とか、綺麗じゃないとか、一括りにしないで。」


 の声は、先程ミッターマイヤーたちを前に発せられたような、弱い響きは含まれていない。


「俺は、キルヒアイスに、血を流させたんだぞ。」


 ようやく、豪奢な金髪に隠れた顔を上げ、ラインハルトはを真正面から見つめた。その背後には、自身の幕僚たちが此方を見ていたが、ラインハルトの視覚には、一人しか映していないようだった。
 ようやく目を合わせた見目麗しい幼馴染は、憔悴しきっているように見えた。どこか縋るような視線に、はふっと表情を緩める。今にも泣き出しそうな微笑だった。


「そっか。ラインハルトは、誰も『お前のせいだ』って言わないから、辛いんだね。」


 その一言に、ラインハルトの蒼氷色の眼が揺らいだのを、は見逃さなかった。ラインハルト自身でさえも意表を突かれた一言に驚いたのは、言われた本人ばかりではない。
 は椅子に座ったままのラインハルトの膝に両手をついて顔を伏せ、一言ずつ、自分自身が理解するように続けた。


「ジークが、ラインハルトをかばったせいで殺されてしまったのは変えようも無い事実なのに、それを回りは、ジークが自分の意思でラインハルトをかばって死んだことばかりを強調するから。ラインハルトの代わりにジークが殺されてしまったことを、さも当然のように言うから、余計に辛いんだよね。ジークが死ななきゃならなかった理由なんて、何処にも無いのに。同じくらい、助けられたのがラインハルトじゃなきゃいけなかった理由も無かったんだよね。」


 いつもなら、ころころと鈴を鳴らすように紡がれる声が、今日は酷く掠れていた。ラインハルトの膝に伏せながら、は泣いていたのだ。


「どうして、が泣く?」


 虚ろにの言葉を聞いていたラインハルトは、伏せてなく少女の、絹糸のような銀の髪を一筋救い上げながら呟いた。


「泣いてるんじゃないわ。ジークにお願いしているの。『どうか、ラインハルトを連れて行かないで』って。」


 言いながら顔を上げたの、極上のルビーを思わせる瞳から、透明な滴が溢れる。その色は、鮮血を連想させると同時に、故人の髪の色と同じであることに、ラインハルトは今更のように思い返した。


「ね、ラインハルト。」


 顔を上げたが、涙を拭おうともせずに互いに残されたもう独りの幼馴染の名を呼ぶ。はそのまま、極自然な流れでラインハルトの腰に装備されたブラスターに手を伸ばした。
 咄嗟に、部屋の出入り口付近に控えていた幕僚たちの間に緊張が走り、その中の幾人かは自身が装備したブラスターに手をかけたが、ラインハルトはそれすらも意に介さずにを見つめていた。


「辛い、し、苦しい、ね。ジークがいない世界は、なんて寂しいんだろう?」


 自分自身にも言い聞かせているような、そんな口調。
 は、ラインハルトから奪ったブラスターを、慣れない手つきでいじり、いじりながら少しだけ微笑んだ。


「でもまだ、ラインハルトがいるの。アンネローゼ姉様がいるの。だから私は、まだ死にたくない。でも、ラインハルトが、ジークがいない世界で生きるのが辛いなら、こんなにぼろぼろになっても、まだ泣けなくて、自分を責めることしか出来ないなら、一緒に死んじゃおうか?」


 どうやらセーフティを解除することを諦めたらしいは、ブラスターをラインハルトのこめかみに押し当てて、笑った。
 背後の空気が、一瞬ごとに重量を増していくことを、は小さな体の全身で受け止めながら、それでも口を挟ませない。


「ジークは、きっとヴァルハラで怒るだろうね。でも、ジークがいない世界で、独りで苦しみながら戦い続けるラインハルトを見ていくのは、嫌なの。だから、ラインハルトが生きたくないのなら、私はこの引き金を引くから。ラインハルトにとって一番いい選択をしよう?」
「俺がそれを望んだら、お前もついてくるのか?。」


 の言葉を遮るようにして、ラインハルトはブラスターが握られたの手を掴んだ。僅かに、声と眼に生気が戻ったのは、見間違いではないだろう。だが、当のは微塵の迷いも無く答えた。


「ジークとラインハルトがいない世界で、どうして私だけが独りで生きないといけないの?」


 明確すぎる、問いという名の答えが刻まれる。


「ラインハルト。お願いだから、食事をして、眠ろう?それが嫌なら、一緒に死んじゃおう?私は、もう何処にも行かないから。ラインハルトを置いては何処にも行かないよ。だから、ラインハルトも私を置いていかないで。もう独りにしないで。」


 笑みを浮かべながら紡がれていた言葉も、最後はやはり涙に押し流された。再び表情を涙でゆがめたを、ラインハルトが抱きしめる。腕の中に閉じ込めた少女の、なんと小さいことか。
 ラインハルトは、ようやく自分にはまだ残されているものがあるということを思いしらされた。姉に決別を言い渡され、親友をなくし、それでもは自分の下にいるということを選んだのだ。
 ならば自分も、もう絶望の海ばかりを漂っていることは出来ないだろう。


「何処にも置いていかない。俺は、だけは守って見せるから、だからもう死ぬなどというな。」


 キルヒアイスが死んだとき以来の、理性的な言葉に、彼の幕僚たちはようやく安堵し、もその言葉に、ようやく緊張を解いたのか、それとも現実を実感したのか、後はもう故人の名を呼びながら涙するばかりだった。


「ジーク、ジーク、ジーク……っ!」


 涙ながらに呟く声に混じって、の手からブラスターが落ちる音が、不気味なまでに部屋に響いていった。





 その光景が最後だった。次に眼を覚ましたときには、いつもと同じベッドの上で。
 覚えているような、いないような。そんな曖昧な感覚だけが、疲れと共に身体に取り残されているような気がした。
 嫌な夢だったな、と、思いながら。ゆるりと上体を起こして手のひらで眼を覆う。眼を伏せても良かったのかも知れないが、そうしたらまたどこか嫌な気配を残す夢が鮮明に甦ってきそうな気がしたので、それはやめておいた。
 自分の所為で、泣いて欲しくなかった。彼の為に、生きて欲しかった。彼と共に、生きて欲しかった。彼女の元で、在って欲しかった。
 思考回路はそこで行き詰る。どうせ、夢なのだから、と。どれほどリアルな感覚を残していても、それは夢なのだから、と。自分自身に言い聞かせながら、それ以上不吉な思考回路が展開しないようにきっちりと遮断して、ベッドから降りる。
 なんとなく窓辺に近づき、無造作にカーテンをつかめば、薄暗い部屋の中に眼に染みる程の光が差し込んだ。
 今日も、忌々しいほどに青い空。良く晴れていて、太陽が眼を犯してくる。だけど、それよりも、なによりも、いつもと同じ笑みを湛えて自分の側にいてくれるその存在こそが、今は総てであって欲しいと、思った。
 夢見が悪かったせいでもあるが、早く、会いたい。






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2008/07/04 



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