「うわぁっ!」 「おきゃっ!」 セレモニーホールの裏方に続く通路で、ユリアン・ミンツは見慣れない少女に出会いがしらにぶつかってしまった。 「捕虜交換式が終わったら、直ぐに逃げ出すから、私服をよろしく」という、おおよそ大将とは思えない彼の保護者の発言の元、ユリアンは控え室に続く通路を走っていたのだ。 もちろん、本来走るべき場所でないことは分かっていたし、急いでいるとはいえ、そこまで常識を離れた速度で走っていたわけではなかったが、通路と通路の丁度十字路に当たるその場所で、いきなり向こうも走ってくるとは思わなかったものだから、ものの見事に衝突してしまったのだ。 ユリアンはそれほどまでによろけはしなかったが、ぶつかった相手は車と衝突したくらいの勢いで吹っ飛ばされてしまった。 「あぁ!大丈夫ですか?!」 ユリアンはすぐさま駆け寄ったが、小さな少女は完全に眼を回してしまったらしい。 声をかけても揺すっても、きゅーと伸びてしまったのか、無反応だった。 「どうしよう?打ち所が悪かったのかな?」 少し迷った末、ユリアンはその小さな身体をひょいっと持ち上げた。 想像していたよりも軽くてふわふわした感触に、少しだけどきりとしたのは内緒の話。 よく見れば酷く綺麗な少女だと思う。 銀色の髪に幾筋か真珠を通し、白いシンプルな、だけどとても手触りが良い生地で作られたワンピースを着ていた。 全体的に白い印象を受けるのはそのせいだろう。残念ながら伸びしまって眼は閉じられていたため、ユリアンは気付いていなかったが、もしその眼が開いて上質なルビーのような色を覗かせていたら、その印象は白からピンクへと変化していたかもしれない。 ともあれ、ユリアンは女の子を抱えたまま、ヤンの私服が入った紙袋を下げ、再び控え室に向かって走り出した。 そんなに大きくは無いとは言え、少女を抱えて同じ速度で走れるというのは、若さのなせる業だったかもしれない。 「提督!ヤン提督!居ますか?」 「あぁ、ユリアンかい?」 「そうです、ちょっとドアを開けてもらっていいでしょうか?」 目的地について、ユリアンは大声で中にいるはずの保護者に向かって声をかける。 両手が塞がっているため、無理も無かったが、ヤンは些か戸惑った様子でドアを開けた。 「ユリアン、ノックくらいすべきだろう?お客さんがびっくりしていたよ…って、お前、その子はどうしたんだい?」 お小言を言いながらも、ヤンは被保護者の要望どおりきちんとドアを開けてやる。 珍しくきっちりと軍服を着て、髪も寝起きのまま放置ではなくちゃんと整えた自由惑星同盟の大将は、ドアを開けるなり、小さな女の子を抱えたユリアンを、驚いた様子で見やった。 確かにユリアンはフライングボールでちょっとした英雄的存在ではあるし、容姿もその保護者よりも1.5倍ほど恵まれているから、女の子が絶えず寄ってくるのも頷ける。 しかし、しかし、急にこれは…? 「ユリアン、君にはシャルロット・フィリスがいるだろう?」 「提督、何言ってるんですか?それより僕、走ってて女の子轢いちゃったみたいなんです!ちょっとここで休ませてあげてもいいですか?」 電光石火で思考回路がとんだヤンに、至って冷静な突っ込みを入れたユリアンは、そのまま少女を抱えて部屋に入った。 思わず胸をなでおろしたヤンはきちんとドアを閉め、その背中を見やったが、その姿に声をかけるより先に、中に居た来客者が声を上げた。 「?!」 びっくりしたのはユリアンもヤンも同じだっただろうが、帝国の軍部代表者としてヤンの元を訪れていたキルヒアイスにも同じことだった。 ユリアンは思わず抱えていたを落としそうになったが、帝国からの来客者を轢いた上に、更に落としたともなれば、最悪開戦の理由にされかねない。 ユリアンは丁寧にをソファに寝かせると、直ぐに振り返って自身の保護者と、たった今自分が寝かせた少女の保護者に向かって敬礼した。 「すいません!急いでいたら、角のところでぶつかってしまって…!」 「あぁ、それで君が連れてきてくれたのですか?ありがとうございます。」 若干顔色をなくしつつも、叱責を覚悟で頭をユリアンが頭を下げれば、キルヒアイスは丁寧にユリアンに頭を下げて笑いかける。 「君が頭を下げる必要は無いはずですよ。この子はと言って、………………………………私の妹に当たるのですが、少し好奇心旺盛な部分がありまして、おとなしく待っていることが出来ないのです。」 キルヒアイスはについて、様々な部分を省いて紹介した挙句、深々と溜息をついて呟いた。 ユリアンは敬礼した体勢のままでヤンを見上げ、ヤンもなんとも言えない表情で顔を見合わせてしまった。 例え敵国同士であっても、今回の捕虜交換式は同盟、帝国共に公式のものだ。 そんな中に少女がもぐりこむなど、普通であれば考えられないし、仮にも敵軍の施設の中を一人で歩き回るなど、もっと考えられない。 目の前の若い提督は、深々と溜息をつきながら、ぺちぺちと少女の頬を叩いているが、正直言って反応に困る状況だった。 「。起きなさい。」 「ん…じーく……?」 ゆらゆらと起き上がった、と呼ばれる少女に、ユリアンとヤンは思わず二人を見やった。 どうやらは眠った後のように頭がはっきりしないらしいが、どうやら怪我などは無いらしい。 キルヒアイスは黙ってそれを確認すると、あからさまに溜息をついてを見据えた。 「、ルッツ提督とワーレン提督と先に帰りなさいといったでしょう。」 「えっと、ごめんなさい?」 疑問系で答えながらも、はきょろきょろとあたりを見回す。 どうやら自分がいつここに来たのか、思い出そうとしているのだろう。 数秒置いてから、はキルヒアイスに問いかけた。 「そうだ、ジーク、私ね、走ってて、人とぶつかっちゃって。」 一生懸命説明を始めようとすれば、キルヒアイスはまるで見ていたかのように、が続けて言おうとしたことを続ける。 「どうせ、こっそり抜け出したはいいものの、このホールで迷ったんでしょう?だんだん不安になって足早になって、泣き出す寸前で、周りもろくに見ずに全力疾走していたら、こちらの少年にぶつかって、勝手に吹っ飛ばされて伸びてしまったのでしょう?だから、ちゃんと好き嫌いしないで食べなさいと言っているのに。はただでさえ同年代の平均より小さいんですからね。そうそう、ちゃんと挨拶をしなくては行けませんよ、。この少年は、がぶつかったにも関わらず、自分が気絶させてしまったと責任を感じて、ここまで連れてきてくれたんですからね。」 「はい。すいませんでした。ぶつかってしまった上に、お世話になってしまったようで。」 くどくどと、諭す姿は、兄というよりは父親か母親のような印象を与える。 しゅんと肩を落として、その言葉を素直に受けたは、実にさりげなくワンピースを調えると、ちょこんと両裾を少しだけつまんでユリアンとヤンに向かって頭を下げた。 ヤン艦隊のメンバーも、大概酔狂な者が多いが、どうやら帝国の人間も、似たようなものらしい。 どこと無く親近感めいたものを感じたヤンは、思わず笑いを抑えることが出来なかった。 「キルヒアイス提督、そんなに怒っては妹さんが気の毒ですよ。こちらは、私の被保護者のユリアン・ミンツというのですが、どうやらユリアンも周りを見ずに走っていたようだ。ユリアン、君もきちんと謝りなさい。」 ヤンがキルヒアイスとの中に仲裁に入り、更にユリアンにも謝罪を促せば、こちらも素直に頷いて、ユリアンも深々と頭を下げた。 「はい。こちらこそ、吹っ飛ばしてしまって申し訳ありませんでした。どこも怪我などしていませんか?」 「はい、大丈夫です。あの、本当にご迷惑おかけしました。」 「いえ、こちらこそ、本当に思い切りぶつかってしまったので…」 「大丈夫です。本当に、運んでいただいて助かりました。ジークとも会えましたし。」 「あの、さん?もし後から調子が悪くなったりしたら、ちゃんと見ていただいて下さいね。」 「で結構ですよ。ご心配には及びません。私これでも丈夫なんです。ユリアンさんこそ、大丈夫でしたか?」 「僕のこともユリアンと呼んで下さい。僕も全然大丈夫です。そんなに頭下げないで下さい。僕が悪かったんだし…。」 「じゃあお言葉に甘えてユリアンって呼ばせていただきますね。でも、私も全力疾走してましたし。廊下は走っちゃいけないところなのに、だからユリアンは悪くないですよ。私の方こそ、余計なお手間をかけさせてしまって。」 「えっと、それじゃあ僕もって呼びますね。廊下を走っていたのは僕も同じですから。それに、僕はを吹っ飛ばしてしまいましたし。」 「えっと、私が勝手に伸びちゃっただけですから…」 「うん、でも…」 と、いった具合に、素直な子どもたちは一旦謝り始めると、互いに自分の非を譲らず、しかも互いに相手を気遣いすぎて、謝罪の言葉は終わる気配が無い。 それどころか、重ねるごとに頭を深く下げるものだから、過保護な保護者たちはいつ子どもたちが転げるかをはらはらしながら眺めていた。 「そろそろお互いにいいでしょう。」 「そうだね、それだけ謝れば十分じゃないかな?」 それぞれに苦笑を浮かべたヤンとキルヒアイスは、とユリアンに顔を上げるようにいい、キルヒアイスは改めて、に「魔術師」と呼ばれる敵軍の将を紹介した。 「、此方が自由惑星同盟のヤン・ウェンリー大将だ。」 「まぁ、それでは貴方がラインハルトをこてんぱんに負かした同盟軍の魔術師ですのね?!」 星でも飛び出しかねないほど眼を輝かせて歓声を上げたに、キルヒアイスはメデューサの頭の蛇と眼があったかのようにびしりと固まり、そのまま小さな手を出されたヤンはどう反応したものかと、やはり一瞬止まってしまった。 一体帝国では、ヤン提督はどんな人だという噂が流れているのだろうなぁと、のんびり思ってしまったユリアンだけが、大はしゃぎのと固まった二人の大人を見つめてくすりと笑ってしまった。 |
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