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星を砕く者編 21




I do not still know the art which changes it into hope at the just slight distance to despair 03
―絶望までのほんの僅かな道のりで それを希望にかえる術を僕はまだ知らない―





「失礼いたします。」


 部屋に入ってきた相手は、マグダレーナの予想を裏切っていた。無表情にワゴンを押して入ってきたのは、こざっぱりとした白い前掛けと、濃紺の長いスカートを穿いた女性。つまり、侍女だったのである。もマグダレーナも女性とはいえ、一人の女性が二人の女性を誘拐など、まず無理な話であったから、マグダレーナは無意識に肩から力を抜いた。
 しかし、は硬質なビスクドールの態度を崩さないまま、お上品にソファに座って入ってきた女性を見つめている。その、見かけよりも鋭く、居心地の悪い視線を一心に浴びながらも、侍女は淡々と告げた。


「お食事をお持ちしました。」


 そして、慣れた手つきで紅茶を淹れ始める。それを無感動で見ていたは、彼女がお茶を淹れ終わるのを待ってから、おもむろに問いかけてみた。


「今日は、何日かご存知ですか?」
「五月十八日にございます。」


 侍女は淡々と答える。
 ということは、眠っていたのはそれほど長い時間ではないのだなと、は整理した。だが、この誘拐されたという状況下で、まず最初にその質問をしたに、マグダレーナと侍女は少なからず不審に思ったらしい。元々侍女はとマグダレーナに対して硬質な拒否の態度を作っていたから無理も無い。
 無言で差し出された紅茶を無言で受け取り、は何も臆することなくそれを乾した。毒物の可能性を疑って躊躇っていたマグダレーナが、思わず声を上げそうになるくらい、思い切りのいい飲みっぷりだ。侍女も一瞬だけ、呆れたような表情を浮かべ、それを目ざとく確認したは、悪戯っぽく笑って応える。


「意外ですか?私に警戒心が見られないことが。」


 にしてみれば、今の自分は警戒心の塊である。しかし、今までの経験から言うならば、こんなものは大した状況ではないと、思ってしまうだろう。クロプシュトックに対する今までの貴族諸侯の態度に比べれば、この侍女の態度も、この侍女の雇い主である誘拐の首謀者も、お上品過ぎるくらいだった。


「折角のお気遣いですもの、ありがたく頂かせてもらいますわ。ちょうど、空腹を覚えていましたの。」


 はなおも一人で喋り続ける。言いながら軽食のサンドウィッチに手を伸ばす姿は、アンネローゼのサロンで歓談を楽しむそれの態度と何ら変わりは無い。ただ一点、そのピジョンブラッドのような眼だけが笑っていないという一点のみを除いて。
 はいくつかを別の皿にとりわけ、マグダレーナにも手渡す。そして自分はワゴンに直接手を伸ばして、一口齧った。とても侯爵令嬢のマナーとは思えない動作だったが、奇妙にもそれをはしたないと感じさせないのは、の存在が、そもそも現実離れしているせいだろうか。


「もしかして、この差し入れは貴方の独断ですか?来るはずだった方が未だいらっしゃらなくて、私たちを放って置けなくなって、ご自分で判断なされた?」


 ふふっと笑いながら、はまた一口サンドウィッチを食む。もう一杯紅茶をカップに注ごうとしていた侍女の手が、ぴくりと一瞬停止した。幸せそうにサンドウィッチを齧るは、無論それを見逃さなかったが、攻めに転じたのはきちんと手に取ったサンドウィッチを食べ終えてからだった。
 見計らって、二杯目の紅茶を差し出した侍女の手を掴み、引き寄せる。そして、何処から取り出したのか、は彼女の頬に小さなナイフを当てて微笑んでいた。


「残念ですが、シュザンナ様は此処へはいらっしゃられないと思いますよ?」
「っ!」


 侍女は肯定も否定もしなかった。しかし、その表情の変化と、顔の血流が示す顔色の変化は、誰の眼にも明らかだった。
彼女の驚愕は、頬に当てられたナイフよりもその言葉によるものが大きかっただろう。それほどに、の動作は速かった。それも、先ほどから変わらずにソファに座ったまま、それをやってのけたのだ。マグダレーナがその行動についていけたのは、侍女が差し出したカップが床に砕けて、暖かい紅茶の香りが広がってからだった。


「シュザンナ様…?まさか、この誘拐の首謀者は、ベーネミュンデ公爵夫人だというの?!」


 は、言葉にしては応えなかった。代わりにマグダレーナに向かってにっこりと微笑み、対照的に侍女は表情を歪める。今まで無表情だったそれは、今は酷く青ざめていた。


「違うというのなら、聞き流してくださって構いませんが、シュザンナさまはおそらく此方へいらっしゃいません。私が思うに、典礼省に連行されているか、陛下の御寝所に迎えられている頃でしょう。」


 所詮、私たちはメイン目的ではないはずですから、と。は淡々と告げる。その口調が、だんだんと底冷えするような冷たい響きに変わっていったということに、二人の女性は気付いていた。
 それは、自身も気付いていなかったかもしれないが、侍女が否定の言葉を発しないことが、一つの原因とも言えた。


「ですから、私たちもう帰らせていただきます。よろしいでしょう?」


 は、侍女の反応もマグダレーナの反応も待ったりはしなかった。微笑みながら先ほどと同じ速度で侍女の頬にひたひたと当てていたナイフを離し、そしてまた勢いよく、侍女に向かって方向を変えたのである。


「ひっ!!」
!」


侍女が息を飲む音と、マグダレーナの短い悲鳴が重なったが、は躊躇わなかった。






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2008/04/14 



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