Replica * Fantasy







星を砕く者編 20




I do not still know the art which changes it into hope at the just slight distance to despair
―絶望までのほんの僅かな道のりで それを希望にかえる術を僕はまだ知らない―





 雨の中を、マグダレーナの所有する車はを共に乗せて走っていた。ハズだった。なのに、眼が覚めたらそこは全く知らない場所だなんて。マグダレーナはまだはっきりしない頭を緩く振って、昨夜の最後の記憶を辿ってみる。
 滝のような雨の中を、車が走っていた。不意にくてんと肩に重みを感じ、視線をやればが自分の方に凭れて眠ってしまっていて。微笑ましさを覚えてその安らかな寝顔を見つめているうちに、自分も意識が薄れていったのだ。
つまり、記憶の遮断。眠りの深淵への落下。何か盛られて、連れ去られてきたのだろうか。今になって、背筋に冷たいものを感じる。
 そこまで思い出してから、マグダレーナは視線をめぐらせた。あの、アンネローゼと彼女の弟から預かった娘は、は何処へ行ったのか。
 一瞬のうちに、マグダレーナは現実へと戻された。そして、ひとたび自身を取り戻すと、彼女は決して取り乱したりはしなかった。幸い、はマグダレーナの視界に及ぶ範囲で、彼女と同じようにソファの上に転がされていた。


。起きて頂戴。」
「――マグダレーナ様?」


 ゆらゆらと体を揺すられ、もう半分ほども覚醒しかけていたも、程なく眼を覚ました。少女が無事であったこと、そして、自分が一人ではないことに安堵の息をついてから、マグダレーナは気遣うように上体を起こしたを支えた。
 は、まるで状況を理解していない様子で、のほほんとマグダレーナに笑いかける。


「まあ、おはようございます、マグダレーナ様。私、昨日は眠ってしまったのかしら?車から降りた記憶がないんですけど、もしかしてお屋敷の方の手を煩わせてしまいましたか?すいません…」
「違うのよ。そうじゃないの、。私こそ謝らなくてはいけないのかもしれないわ。此処は、私の屋敷ではないの。」
「セカンドハウスですか?」


 必死の様子で訴えるマグダレーナに、は首を傾げて聞き返す。窓の外に視線をやったり、時計を探したりなど、自分の置かれた状況を少しでも把握しようとしているようだが、マグダレーナは、突発的な状況についていけていないのだろうと思い、がショックを受けることを覚悟の上で、一番端的な言葉を用いて状況を説明した。


「私たち、誘拐されたのかも知れないわ。」
「まあ、それは大変ですね。」


 というのに、の反応は人をからかっているようなもので。彼女は一拍置いてから、声を上げた。何とも緊張感に欠けた反応だ。
泣き叫んでパニックになっても可笑しくない状況なだけに、マグダレーナは自身の中の緊張感も砕け散るのを実感した。変わった娘だとは聞いていたが、誘拐されてまさか「それは大変ですね」の一言で終わらせてしまうとは。
 ちらりとその愛らしい顔を見れば、は眼を丸くして、あたりの様子を伺っている。ついでに言うなら、それ以外に特に驚いた様子は見られないし、そもそもそれにしたって誘拐されたときの驚き方ではないだろう。何だか、年長者だからと気負ってしまった自分が酷くバカバカしく思えた。


「誘拐ということは、身代金でも用意したほうがいいのでしょうか…?私が寝ている間に、どなたか訪れましたか?」


 だが、は随分と冷静に思考回路をめぐらせている。どうやら、実感が湧いていないというわけではないらしい。マグダレーナも何やら考えるように視線を落とした。


「いいえ。私も先ほど眼を覚ましたばかりなの。貴方以外には誰も見ていないわ。」


 そして、マグダレーナは困ったような笑みをに向けて続けた。「ごめんなさいね」と。
 それは、様々な意味が込められていたに違いない。身の安全もすべて含めた上で、彼女はを屋敷に招いたのだから。客人を招く以上、そのセキュリティに関しても、招いた方が責任を持たなければならないのだろう。マグダレーナが気を落とすのも無理は無かったが、は軽く微笑んでそれを否定した。


「マグダレーナ様。どうか謝らないで下さい。今回の場合は、私がマグダレーナ様を巻き込んでしまったという可能性のほうが、よっぽど高いでしょうから。」


 その微笑は、年齢にそぐわないほど美しく、そしてこの状況には不似合いなほどに凛としていて、マグダレーナは逆にどきりとした。視線だけでどういうことかと問いかければ、は困ったように笑ってさらに問い返してくる。


「マグダレーナ様は、誘拐される心当たりはありますか?」
「いいえ、もちろん無いわ。」
「実は私、たくさんあるんです。」


 は笑みのままに指折り数える。クロプシュトック事件の折の報復かも知れない。その時に皇帝に声をかけられたことで、自分を疎ましく思った人間がいるのかも知れない。直接自分には関係が無くても、ラインハルトと懇意であることを公言して憚らないを、彼への牽制として利用しようとしているものが居るのかもしれないし、先日フレーゲル男爵に恥を掻かせてしまった一件が関連しているかもしれない。
 可能性は、上げればキリがないのだ。


「ね、私のほうが、謝らなくてはいけないんですよ。だから、マグダレーナ様はお気になさらないで下さい。きっと、無事に帰して差し上げますから。」


 そう言われて、そう微笑まれて、そしてマグダレーナは自身が気遣われていることに気付いて、少しだけ苦笑を浮かべた。まさか、自分の年齢の半分ほどしかない少女にそんなコトを言われるとは思っていなかったし、平静を装っていてもやはり不安を押し切れない自分に対して、が明らかに状況慣れしていることに、驚きがあった。の頭の回転は、同じ年代の貴族令嬢とは比べ物にならない。
 思わず眼を見開いた瞬間、部屋の扉を丁寧にもノックする音が鼓膜を叩き、マグダレーナは一瞬身を固くした。対しては一瞬にして無邪気な表情が消え落ち扉の方へ視線を送る。中の相手反応を待っているのか、もう一度こんこんと繰り返された音の後で、は少しだけマグダレーナに微笑んで言う。


「まかせて下さい。」


 一体、何を任せろというのだろうか。だが、マグダレーナは反射的に頷くことしか出来なかった。その反応を確認して、はもう一度ゆるく微笑む。その微笑は確かに愛らしい少女のものであったのに、もう一度、三度目のノックが響いた後には、完全に感情が抜け落ちていた。
 極上のビスクドールのようなつややかな唇が、短く一言、そのノックに応じた。


「どうぞ。」






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2008/04/11 



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