ただ、其処にあって、それが総てであるように。 はぼんやりと天井を見上げた。 ごぼりと音を立てて、肺の中から空気が逃げていく。 でも別に、それで死ぬわけでもない。 の体には太さも様々な管が何本も何本もついていて、養水を満たした水槽の中でも溺れ死ぬことは無かったし、自身がどうこうしなくても、彼女以外の人間がその総てを管理しているのだ。 不測の事態など起こるはずも無い。 一日の内に何度か、ごく気まぐれにはその眼を開くことがあった。 天井を見上げたときのように。 だけど、水の中からじゃはっきりとモノが見えるわけでもないから、には、自分の腕さえ朧にしか見えなかったし、そもそも自身と水槽と自分を管理するコンピューター機器と、それらを繋ぐ管が世界の総てだから、見えなくてもなんら不自由があるわけではないのだ。 無論、は知る由も無いのだけれど。 自分自身の住処である、水槽の中でさえ朧気にしか認識できないは、当然ながら水槽の外の世界のことなど、自分自身とは常に無関係のことであった。 そこに誰が居て、何をしているかなど、にはまったくもって関心がない。 の世界は、『外』ではなく『内』こそがすべてなのだ。 だから、目の前で自分の そういうふうに、つくられてきたから。 「生存者?」 「生命維持活動が出来ているかという意味でしたら、生きているでしょうね。」 ヒトとして生きているかという意味なら、分かりませんが、と。 骸は補足する。 実際、呟いた雲雀にも答えた骸にも、そして自身にも、判断はつかなかったに違いない。 この状態が、果たして生きているのか、死んでいるのかなど。 には聞こえないし、だから答えられるはずもないのだ。 養水は彼女の水槽の前に立つ、二人の男の声も遮断しているから。 ただ、反射的にごぼりと一呼吸分、吐き出した空気が、まるで彼らの言葉を肯定するかのようなタイミングだったから。 「どうしますか?殺しますか?生かしますか?」 「――どうして僕に聞くの?」 トンファーを両手に握った雲雀恭弥と三叉槍を構えた六道骸はそれ以上言葉を交わさなかった。 だが、お世辞にも仲が良いと言えないこの二人は、この時ばかりは意思が通っているかのように全く同じ行動を取った。 まだ、子供の領域と大人の領域のどちらに生を定めるか、決めかねたような華奢な身体は、何も纏ってはいなかった。 だから、その皮膚の下まで蝕んだ管の凹凸が、まるで生来刻まれた痕跡であるかのようにに馴染んでしまっている。 悪趣味な好事家であれば、水槽ごと持ち出そうとしたかもしれないが、生憎と雲雀にも骸にもそんな趣味は無い。 だから彼らは同時にの世界の総てを叩き壊したのだ。 迷うことも互いの意向を確認することも無く、ただそれが当然の行動であるかのように、を狭い水槽世界へ繋ぐ、無数の管を躊躇無く切断して。 昔、理科室にあったホルマリン漬けの哀れな蛙を、群れている奴らに投げ付けたことがあったな、と思いながら。 雲雀は、恐らくは強化ガラスであろう水槽にトンファーをぶつける。 この少女は、蛙のように身体の中身を引きずり出されていない分、まだマシなのかも知れないなと思いながら。 片や骸は養水の中の居心地の良さと嫌悪を思い出しながら、砕けたガラスと液体に塗れて滑り落ちてくる小さな身体を受け止める。 三叉槍で、の身体を蝕む無数の管を引き千切って。 骸は知っているから。 ここで行われたことが程度の差こそあれ、今後どれ程の枷となって少女を脅かすかを。 陽に当たっていない身体は、白く軟弱だった。 どれくらいの期間を水の中に居たのか、皮膚はふやけて頼りない。 それでも、酸素吸入と流動食を流し込む為の二本の管を外してやれば、小さな少女は懸命に僅かな水の名残を吐き出そうと咳込む。 生まれたばかりの新生児が、初めて呼吸をしたときのように、うっすらと開いた眼からは涙がこぼれて。 骸は小さく微笑んで問い掛けた。 「さぁ、君は、折れずに生きて行けるでしょうか。」 それは、意地悪な言葉だ。 まるで揶揄するかのように。 もしかしたら、同じ道を歩んで来た者としての、配慮の言葉だったのかもしれないけれど。 うっすらと開かれた、だけどきっと見えていないであろう、の瞼に唇を寄せて、骸は昏く嗤った。 キスというよりも、光に慣れていないその眼を、その動作によって再び閉じさせるために。 酷く倒錯めいた感覚を思わせる骸の行為に、雲雀はうんざりしたように溜め息を吐く。 「ねぇ、ロリコンに目覚めるヒマがあるなら、資料の一つも探したら?」 「それは君に任せますよ。僕はね、今この子から離されたら、自分を抑える自身がありませんから。」 「じゃ、さっさと出て。邪魔。」 「はいはい。」 雲雀は肩に引っ掛けていたスーツのジャケットを骸に放り投げると、それがどうなるかを確認する前にさっさと背を向けた。 骸は片手で放られた黒いジャケットを掴むと、無造作にそれで裸のを包む。 ジャケットに着いた、乾ききってない返り血で白い肌が侵食される様には眉を潜めたけれど、今は贅沢も言っていられない。 「六道骸。」 早々に立ち去ろうとした骸に、背を向けたままの雲雀が思い出したように声をかける。 「何ですか?」と答えれば、雲雀は含むような表情を浮かべて続けた。 「手を出しちゃ駄目だよ。」 「善処しましょう。」 からかうようなそれは、骸が同類種に向ける執着心に向けられたものであったけれど。 少なからず自覚があった骸は苦笑を浮かべてを抱え直し、雲雀に背を向けるとまた一つ伏せられた瞼に口付けを落とした。 |
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