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No.28  【 仕舞い損ねた鋭さ 】




 ぱんっ、と。
耳に心地よい弦の音を頼りに足を進めた。
テニスコートからそれほど遠くない、しかし視線をやっただけではうかがうことが出来ない位置にある弓道場に足を運ぶのは、これが初めてだった。
 弓道の試合が近いということで、がテニス部の方は朝練だけサボると高らかに宣言したのは三日程前のことだった。
それに対して、俺たちが否と言えるわけも無い。
夏が終わったテニス部に対し、には個人戦とはいえ全国への道が開かれている。
 結局、三年は夏休み中の部活への参加を許可されてはいたが、モチベーションが低下していたのは眼に見えて明らかだった。
だから気分転換というか、の部活を覗いてみようかと思ったのかも知れない。
たしか、言い出したのはジローや岳人あたりだったと思うが。
 ただそんな理由でも、練習風景を見に行くことに対して、は快く了解した。
そして今、俺は一人で弓道場に足を向けている。何となく、俺が見たことが無い姿を、俺より先に見る奴がいるのが気にくわなかったから。
 足を踏み入れた俺を、痛いくらいの空気に呑み込んで来る。


「あ、跡部先輩、いらっしゃい。今は自主練で私しか居ませんから、楽にして下さってていいですよ。」
「ああ。」


 袴に着替えて既に練習を始めていたは、俺が声をかけるより早く俺の存在に気付いて断る。
ごくいつも通りに笑って。
そして言うだけ言ってしまうと、後はもうさっさと弓と矢を打つ準備に入る。
多分、貴重な時間を無駄にしたくないのだろう。
 テニスにはテニスのルールがあるように、弓道には弓道の礼儀作法があるだろうに、はそれについては、俺に押し付けようとはしない。
最初からその気が無いのか、言っても無駄と思っているのか。


「最初の一立か二立が限界とみました。」
「そんな早く痺れるような足じゃねぇよ。」
「それもですが、見ていることそのものに飽きますよ、きっと。」
「ぬかせ。」


 俺が、を見ていて飽きるなんてことがあるかよ。
なんて言ったら、多分渋い表情をされるから言わないが。
 無意味に神聖なイメージがある弓道場の中で、想像に反して軽口を飛ばす姿が少し意外だった。
俺には、もう少しガチガチに厳しいイメージがあったから。
 だが、そのイメージはあながち間違ったものでもなくて。
一瞬前まで何時もと変わらず軽口を叩いていたの空気は音を立てたかと思うほど、がらりと変わった。
一礼して、が一歩目を射場に入れた瞬間に。
 その切り替えは確かなもので、射場に入って肩幅に足を開いたときには、もうには俺の声は届いていなかった。
邪魔をするなと、暗に釘を指されたのか、それとも、ただ的以外が見えなくなったのかは分からなかったが、の空気は明らかに変わったのは、弓道には素人の俺でも意味くらい察せる。
 袴を着て弓を構えている姿は、いつもと変わりなく小さいのに、その動作が大きく見える。
いや、違う。
大きいのはが纏っている空気なのかもしれない。
それほど近いわけでもないのにびりびりと伝わってくるものは、殺気なのか集中力なのか。
 ぎりぎりと弦を引き絞って静止した視線の先には、もう鏃と的しか無いのだろう。
その、射殺すような空気。
殺気にも似た緊迫感が、ぴりぴりと空気をしびれさせる。
そして。
 弓弦の音。
一瞬遅れて、的に矢が刺さる。
小気味良い音が響く。
同じ動作を繰り返して、同じように集中力を放ちながら、同じように空気を切り裂く。
四本の弓をすべて打ち終わるまで、それほど時間はかからなかったはずなのに、矢を打ち終わったが射場から出てきたときには、俺はタイブレークまで縺れこんだ接戦試合の後ような疲労感に襲われていた。
打ったのは、俺ではないのに。


「つまらなかったでしょう?」


 だが、射場から出てかけを外して傍らに置いたは、少し笑って言う。その笑みは、いつものと何ら変わらないそれで。
食い入るように見つめていた俺は、馬鹿みたいに大きく息をついた。
 いつもとはまるで違うの空気に当てられて、こっちは無駄な体力を使う羽目になったのに、何でも無いことのように笑う姿が、何だか気に食わない。
 いや、そうじゃない。
今まで知らなかった一面が少し意外過ぎただけで、俺の方が戸惑っているだけなのだろう。
は、今まで俺に対してそんな集中力を微塵も見せたことがなかったから。
 それはそれで面白くなかった俺は、打った矢を取りに行こうと立ち上がったの手首を掴んだ。


「とんだ猫かぶりめ。」
「えー、猫なんて被ってませんよ?」


 そう答える声は、本当に何もなかったような、少し困惑したような声で。
無意識かよ質が悪いなと試しにもう一つ問い掛けた。


「弓を打っている時には何を考えてる?」
「何も。」


 ほら。
答えたの表情は変わらないのに、もうその声は弓道部員の声だ。
俺のの声じゃない。
俺は多分、それが一番気に食わないのだ。
だから、ろくに考えもせず、先に口を出していた。


。この後テニス部の方にも顔出せ。」


 暗に、優先順位を変えろという意味に取れるそれを、は眉をしかめて即答した。
それじゃあ意味が無いだろうと、はっきり表情に出して。


「射殺しますよ、先輩。」


 一瞬にして、矢を放つ時の鋭さに晒される。
 無理は承知の上。
独りよがりも自覚済み。
だから俺は、一つ肩を竦めて仕方なくその手を離してやった。


「冗談だから、殺気をしまえよ。お前は俺を本当に射殺す気か?」






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2009/06/15
一度はやってみたかった弓道ネタ。



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