「哲」 「へい、恭さん。」 この、句読点やカッコまで含めたって二人で12文字しかない会話のどこで、彼女が眼を輝かせたのか、俺は今でも理解できない。 だけど眼の前に引っ張り出された少女は、頭の上でかわされたその短いやり取りを聞いた瞬間に、異様なほどに眼を輝かせて俺と恭さんを交互に見つめたのだ。 それは、何かとてもいいものをひらめいた子供のような反応で、正直そんなイキモノの相手などしたことが無い俺は、恭さんの次の言葉に戸惑わざるを得なかった。 「これ、。適当に見てて。僕は着替えてくる。」 適当にと言われても。 突然イタリアのボンゴレ本部から帰ってきたと思えば、珍しくも同伴者がいた。 しかも一般人的少女。 恭さんは手短過ぎる程短く、その少女を紹介する。 どんなにこの場所に不似合いでも、恭さんが連れて来たのならこの少女は一級VIP扱いだ。 だから「はい」と答えれば、恭さんは無言で背をむけ、自室へ戻ろうと足を踏み出す。 が、思い出したように振り返って、口元だけを笑みの形に変えるとやはり短く補足した。 「ああ、変な子だから。」 「変な子、ですか?」 「うん、変な子。」 「ちょっとー!雲雀さん!なんですかそれー?!」 本人の前で言うべき言葉ではないなと思いつつも、やはり俺の優先順位は恭さんが常にトップであるから、了解の意を返せば、と紹介された少女は食って掛かるように恭さんの背中に噛み付いた。 無論、恭さんは相手にもしなかったけれど。 むうっと頬を膨らせる少女は、まあ見た目は可愛いのだが、そもそもこの年代の子供は、女の子は、一定の年齢に達した成人男性から見れば、無条件に可愛く見えるものだろう。 そうだろう。 決して、風紀財団の中には女性が極端すぎるほど少ないから異性に見慣れてなかったなんて理由じゃない。 俺は断じてロリコンではないし。 「雲雀の部下の草壁です。」 「知ってます!草壁哲矢さんですよね?私、です。『ちゃん』でも『お嬢』でも好きに呼んで下さい!!」 「――何かの映画の見すぎですか?」 とりあえず、適当に見るにしろなんにしろ、自己紹介はしなくてはと思い名乗れば、少女は笑って返してくる。 何だか奇妙に高いテンションを持って。 なるほど、恭さんが「変な子」と言った意味が、説明されるまでも無く分かった。 「えー、だって、雲雀さんってやっぱりジャパニーズ・マフィアのボスなんでしょ?」 「そんなことはありませんよ。ここは、普通の財団です。」 「嘘。普通の財団は出入り口が秘密になってないし、そもそも地下じゃないってば。」 もはや風紀財団をヤクザの組のようにしか思っていないらしい少女、は、食い下がってくる。 まあ、その心情は分からなくも無いが。 「じゃ、『お嬢』って呼んでくれたらそういうことにしといてあげる。」 俺がため息をついている間に、は、いや、お嬢は適当に妥協案を出し、俺はいつの間にかそれを飲む羽目になった。 まあ、呼び方なんぞはどうでもいい話だが。 「草壁さんは、雲雀さんのことを『恭さん』って呼んでるんですね?」 「はあ、まあ。」 「いいなー、私も『恭さん』って呼んでみたい。」 「呼んでみればいいじゃないですか。きっと許してくれますよ。」 「ところで草壁さんはどうして私に対してまで敬語なの?別にいいのに、小娘に対して丁寧にしなくても。」 「いえ、貴女は恭さんのお客人ですから。」 「『貴女』じゃなくて、『お嬢』ね。嫌なら別に『ハニー』でも『スウィートハート』でもいいけど。」 「――へい、お嬢。」 「うむ。よきにはからいたまへ。そんでもって、今度敬語使ったら、草壁さんのことは『哲っちゃん』って呼ぶからね?」 「――どこの子供ですか、それは。」 「へぶーっ!はい、ペナルティ。草壁さんは今日から哲っちゃんです。」 草壁さんが『ハニー』って呼んでくれるなら、私も『ダーリン』って呼ぶけど、と。 何だか良く分からない会話が続いていく。 何のごっこ遊びかと思ったが、そう宣言した彼女は、有言実行の少女だった。 ころころと表情が変わって面白い。 一種独特な思考回路と度胸の強さを除けば、まったくの一般人にしか見えないのに、そこがまた恭さんに連れて来られただけのことはあると言うところなのだろう。 「ねぇねぇ、哲っちゃん。本当に私も『恭さん』って呼んでもいいと思う?」 「駄目ってことは無いでしょう。ちゃんと聞けば。それにしても、どうしてその呼び方にこだわるんです?」 恭さんに、惚れましたか?とは、聞けなかった。 彼女の背後に、黒の着流しに着替えた恭さんが戻ってくるのが見えたから。 こうしてみると、確かに彼は彼女が言うようにジャパニーズ・マフィアの、いわゆる『若頭』なんてポストが似合うのかも知れない。 何しろここでは彼に頭を垂れずにいる者などいないのだから。 その恭さんが、もはや半径3メートル以内にまで戻ってきていると、お嬢はまったく気づいていない様子で、俺から見れば小さなこぶしを両手に握り締めてなにやら力説する体制に入っている。 「だって、こんな日本家屋で、リーゼントの部下は『哲』&『恭さん』で会話なんだよ?!私も『お嬢』になって『恭さん』って呼んで、なんちゃって極道の妻ごっこしたい!!」 「へぇ、。極道の妻ごっこってことは、僕の嫁にでもなる気?」 「おぎゃーっ!ひばりさん!!いつからそこに?!」 「『ねぇねぇ、哲っちゃん』ってあたりから。別に、僕をどう呼ぼうと君の勝手だけどね、」 「ふえ?」 「そういうことは普通、僕に訊くべきでしょう?」 恭さんはお嬢の頭を引き寄せて、ムダに色気のある音程でお嬢の耳元で囁く。 一瞬にしてお嬢は顔を真っ赤にし、口をぱくぱくさせながら飛び退った。 俺は得意技の「見ざる・言わざる・聞かざる」を発動して、何も無かったことにしようとしたが、恭さんがなにやら機嫌よくお嬢を指差して「ね、変な子でしょう?」と言うので、「そうですね」と無難な返事をしておいた。 「馬鹿な子。最初から僕に訊けばいいのに。」 |
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