腕の中の温もりが動き出した時点で、ラインハルトは完全に覚醒していた。 疲れ果てていたが、前後不覚に陥るほどに眠るなど、の存在があってなお、無理な話だった。 だけどベッドから抜け出したが、自分のことを起こさないように気遣っていたから。 それにまだ少し、その紅い眼に見つめられることが恐ろしかったから。 ラインハルトは起き上がれなかったのだ。 身体の疲労以上に精神の疲労が、彼の気力をベッドに縫い付けていた。 は静かな、だけど確かな足取りでベッドを降り、一歩踏み出す。 が、その足はすぐに崩れてしまいそうに震えた。 視線だけでそれを追っていたラインハルトにも、何故なのかが良く分かる。 彼の視線も、の背中を挟んだ向こう側に、同じものを捉えていたから。 「ジーク。」 は呟くように彼の名を呼ぶ。 だが、キルヒアイスが答えることは、もう二度と無い。 誰よりもそれを知っているはずなのに、ラインハルトも無意識にその声が答えるのを待っていた。 ただひたすら、耳を澄ませて。 だが、いつまでたっても答えることは無い。 代わりにラインハルトの鼓膜を叩いたのは、が堪えようとする、嗚咽の音ばかりで。 昨晩も子守唄代わりに聞いたそれは、何度でも何度でもラインハルトを切り刻む。 にそのつもりが無い分、余計に鋭く。 彼女が彼を赦しても、終わる事無く。 がラインハルトを赦しても、ラインハルトが自身を赦す日は、決して来ないから。 「ジーク。」 もう一度、はキルヒアイスの名を呼ぶ。 何度でも、何度でも。 だが、キルヒアイスは何度自身の名を呼ばれても、沈黙を崩さない。 だからその行動は、キルヒアイスの死を繰り返し確認することしか出来ないというのに、それでもは何度でも繰り返す。 最後の奇跡に縋ろうとするように。 は声も無く泣き崩れる。 低温保存用の柩に触れ、自分と彼を隔てる冷たいガラスに水滴を零しながら。 そして、それをもどかしげになぞると、無造作にガラスケースを開けた。 キルヒアイスの体を包む冷気は、ラインハルトのもとにまでその現実を伝えにくる。 彼は、一瞬眼を伏せたが、はキルヒアイスから目を離すことはなかった。 その姿も、感触も、想い出も。 全部脳裏に焼き付けるかのように。は愛しげにキルヒアイスに触れる。 「ジークを、選べなくて、ごめんね。もう少しだけ、あと少しだけ、ラインハルトのそばにいさせてね。」 静かに呟かれる、泣き響く小さな鈴のような音。 そして、言葉は更に紡がれた。 だが、震える肩と涙に遮られて、ラインハルトがそれを聞くことは適わなかった。 だけどが。 もう開くことの無い眼に触れて。 彼女の瞳と同じ色の髪に触れて。 それでも諦められないかのように、否、断ち切るような哀しみを込めて、キルヒアイスの体温が抜け落ちた唇に、そっと自分の唇を重ねたから。 ラインハルトは音も無く体を起こして、の視界をふさいだ。 その両手が、冷えた涙で濡れてしまったのは、解っていたから。 「――ラインハルト…、私……」 「何も、言わなくていい。。」 自分でそう言ったのだ。 なのに、今更。 本当に今更。 あの日、震える声は、本当は何と言っていたのだろう。 |
(C) 2005-2009 Replica Fantasy 月城憂. Some Rights Reserved.