Replica * Fantasy







No.07   【 匂い 】 

→ 空腹を訴える匂い



 は綺麗なものや可愛いものに目が無い。
 そして唐突に目に付いたものに嵌るらしいが、それでもお風呂に入浴剤を入れるのは、ラインハルトと出会って以降、キルヒアイスと再会する前に身に着いた習慣だ。
 そもそもは、バスグッズを取り扱っているお店が可愛かったというのが、嵌ったきっかけではあるが、まあそれはまた別の話であって。
 だからには、香水をつける習慣は無いが、代わりにいつも入浴剤やバブルバスの香りを身にまとっている。
 苺に林檎、グレープフルーツにマスカット。
が好むのは花よりも果実の香りが多く、ビッテンフェルトなどは「美味そうだな、!」と、獅子の泉(ルーヴェンブルン)の広間のど真ん中で叫んでキルヒアイスに殺されかけたことがある。


「美味しそうですか? そう思いますか? そうですね、よく分かります。 ですが、食べたら駄目ですよ?」
「も、もも、もちろんだとも!」


 キルヒアイスはかなりの長身であるが、ビッテンフェルトもそれに劣らぬ体躯を持っている。
しかも彼はキルヒアイスよりも鍛えてあるから、その二人が並んでいればビッテンフェルトの大声など無くても自然と目を引くのだ。
それが、いかにも筋骨たくましいビッテンフェルトの方が威圧されているともなれば、なお更。


「ジーク、ビッテンフェルト提督が困っているわ。」


 美味しそうな香りを体中から振りまいているは、今にもビッテンフェルトの胸倉に掴みかかりそうな勢いのキルヒアイスをたしなめる。
 振り返ったキルヒアイスは、ビッテンフェルトに向けたものとは全く正反対の意味を含む微笑を向けて振り返った。


「大丈夫、ちょっと注意しただけだから、差し支えないはずだよ?」
「注意って、ジーク。 ビッテンフェルト提督は、バブルバスの香りを『美味しそう』って言っただけじゃない。 そもそも、注意する必要だって無いわよ。」


 呆れたように言って、は抱えていた籠バッグの中から一つ、包みを取り出してビッテンフェルトに差し出した。


「ビッテンフェルト提督、ジークがごめんなさい。 これ、昨日焼いたクッキーですけれど、よかったら食べてくださいね。」


 差し出されたクッキーを嬉々として受け取ったビッテンフェルトは、再度「美味そうだな、!」といいかけて、キルヒアイスのドライアイスのような視線に射抜かれ、そのまま固まってしまった。
 『美味しそう』という言葉によって表される比喩的表現の意味よりも、単純にその言葉が示す意味の方しか浮かばなかったは、キルヒアイスの行動がどうしてそこまで目くじらを立てる理由があるのかよく分からない。
 とりあえず、これではビッテンフェルトが気の毒だということだけはしっかり認識したは、キルヒアイスの軍服の裾を引っ張ってその場を後にした。


「それじゃあ、ビッテンフェルト提督。 この次は美味しそうな香りの入浴剤を差し入れますね。」


 そう言ったときのキルヒアイスの反応は、何だか苦笑めいたような、そんな表情で。
苺や林檎など、がまとっていれば愛らしいで済む香りだが、ビッテンフェルトがまとっているともなれば、また少し状況が変わってくる。
 しかもそれが、自分とも同じともなれば、ぞっとしないわけがない。
げんなりした様子で、に歩調を合わせるキルヒアイスは、ため息抑えられなかった。


「どうしちゃったの? ジーク。 ため息なんかついたりして。」
「なんでもないよ。 ただ、のことだから、ビッテンフェルト提督にも、きっと苺の香りの入浴剤を渡すのだと思ってね。」
「あら、だってビッテンフェルト提督だって『美味しそう』って言っていたじゃない。 きっと提督も苺が好きなのよ。 好きなものをプレゼントしたほうが、喜ばれるでしょう?」


 確かに、の言うことは一般的には支持されている論法だ。
だが、それならきっとビッテンフェルトは苺の香りの入浴剤よりは食べられる方の苺がいいと言うだろうし、食べるものをくれるというのなら、苺よりもっと腹持ちのいいものを要求してくるだろう。
 そこまで考えて、なんとも言えないため息が零れてしまったキルヒアイスに、横を歩いていたはふと足を止めて彼を見上げた。


「そういえば、ジークも苺の香りよね?」
「昨日は苺の入浴剤だったからね。」


 生活を共にしている、ということは、つまりそういうことだ。
いちいち入るたびに湯を入れ替えるなど、非効率的な上に無駄なことはしないから、とキルヒアイスは大抵同じ香りをまとうことになる。
 足を止めたは、空いている方の腕をキルヒアイスの方に伸ばした。
何も言われなくても、それが何を示しているのか知っているキルヒアイスは、少しだけ腰を屈めてが伸ばした腕が自分の首に回るように屈む。
 そして、左腕一本で、子供を抱えるようにの小さな身体をひょいっと抱き上げれば、は少しバランスを取ろうとみじろきした後、キルヒアイスの頭を抱きこむようにして、その柔らかな赤毛に鼻を押し付けてきた。


「ジークも、美味しそうな匂いがするわね。 食べちゃいたいくらい、甘い苺の香りだわ。」


 ふふっと笑って、はキルヒアイスの顔を覗き込む。
にっこりと笑う顔に、キルヒアイスもにっこりと笑って返して、彼は少し首の角度を変えた。
 それだけで、キルヒアイスの唇は、抱き上げたの細い首の辺りに触れる。
だけど、そこには触れないで。キルヒアイスも一つ、ゆるりと二酸化炭素を吐き出し、代わりにの身に絡んだ苺の香料を孕んだ酸素を吸い込む。


「くすぐったいわ、ジーク。」
もいい匂いだ。 食べちゃいたいくらいにね。」


 が少し身をよじれば、キルヒアイスの唇は届かなくなってしまう。
だけど、少しバランスを崩すように前に屈めば、は落下しないように慌ててまたしがみついてくるから。
 ようは、確信犯なのだ、キルヒアイスは。
だから、と自分が言う「食べちゃいたい」という言葉が示す意味が違っていることも、キルヒアイスは知っていても知らない振りをする。
 自分が認識している意味と、が言った意味の間には何の差異もないという振りをしたまま、キルヒアイスは再びの首元に唇を寄せて、今度は軽く触れて笑った。


、どうせなら、苺じゃなくて『僕』が食べたいって言って。」






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2008/09/22 



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