「。」 「なぁに、ジーク。」 「。」 「もう、どうしたの?ジーク。なぁに?」 「うん。ただ、呼んでみただけ。」 「ひょっとして私、からかわれているのかしら?」 にっこりと笑うキルヒアイスに対して、はやや困惑気味に問い掛ける。 整った眉が、左右非対称に弓をしならせて、それを現していた。 「ジーク。」 「なんだい、。」 眉を困惑の形にしならせたまま、今度はがキルヒアイスを呼ぶ。 キルヒアイスは止めていた手を再開して、何やら書類にペンを走らせながら答える。 だからは、彼がさっきそうしたように、もう一度、ただ、その名前を呼んだ。 「ジーク。」 「なんだい、。」 それが、自分の真似であることを最初に理解していたキルヒアイスは、もう一度同じように答える。 ただ、名前を呼ぶ、という、その行為を、愛しむように。 は名前を呼んでも見向きもしないで書類に視線を落としているキルヒアイスに、何だか不満そうな表情を浮かべている。 残念ながら、にはキルヒアイスの意図は余り上手く伝わらなかったらしい。 キルヒアイスが、半ば分かっていながらも分からない振りをしてそのまま仕事を続けていれば、はまた、拗ねたような声でキルヒアイスを呼ぶ。 「ジーク。ねぇ、ジーク。」 「なんだい、。」 「ジーク。」 先程より一回多くがキルヒアイスの名前を呼び、キルヒアイスは先程と同じ言葉で答える。 だが、今度はも引かなかった。 白くて華奢な両腕を伸ばして、はもう一度キルヒアイスの名前を呼ぶ。 求めるように、ねだるように伸ばされた腕は、言葉の中に「もっと私に構って」という意思表示を含んでいる。 このようにが両腕を伸ばして来たときは、キルヒアイスは無条件でその身体を抱き上げる、という行為を繰り返してきたから、余計に。 確かに、仕事中ではあるのだけれど、左腕で抱いてしまえば、右腕は空くわけで、サインを書くだけの仕事に支障が出るわけでもない。 だが、キルヒアイスはの要求に応えなかった。 「。ねぇ、。」 「―――狡いわ、ジーク。」 今度はキルヒアイスがの真似をしてその名前を呼び、両腕を広げる。 そうすれば、は自分が伸ばしていた腕を下げて、何だか少し悔しそうに応えた。 キルヒアイスの両腕が示すその意味は、の両腕が示すその意味よりも、もう少し密着度が高いから。 の両腕が、構って貰いたいと望んで伸ばされたものならば、キルヒアイスのそれは、大事に大事に愛したいという意味だ。 そんな風に求められたら、には拒否するなんて、もう出来ないから。 「。」 「なぁに、ジーク。」 「来て。」 命令のような懇願が、ほんの少し躊躇っていたの背中を、軽るく押した。 何だかよく分からない悔しさと、直接的な言葉でないからこその羞恥など、簡単に押し流されて、はキルヒアイスの腕の中に納まる。 大事に大事に。 だけど、壊してしまう直前までの力を込めて、キルヒアイスはを抱きしめる。 何処までなら大丈夫なのか。 自分の想いの強さに、何処までならが受け止められるのか測るように。 「。」 「なぁに、ジーク。」 「もっと、僕の名前を呼んで。」 懇願のような命令で、キルヒアイスは更にを抱きしめる腕に力を込める。 まるでその力は、拒否権を与える意志など無いと告げているようにも感じられたが、はそもそも拒否するつもりなど無かったから。 「ジーク、ジーク、ジーク。」 呼べば呼ぶ程に強くなっていくようなキルヒアイスの腕は、だけどその分『愛している』と無言で言われているようで。 苦しい呼吸と苦しい想いに、の眼から涙が溢れそうになる。 だけどキルヒアイスは、その寸前で、を抱きしめる腕から力を抜いて。 「、、。」 今度はキルヒアイスがの名前を呼ぶ。 どうしてキルヒアイスが、ただ名前を呼んだのか、ただ名前を呼ばれたがったのか、は少しだけ理解したような気がした。 だけど、やっぱり何だか悔しくて。 「ジーク。名前は、ただ呼ぶだけの意味しか無いのかしら?」 他に何も意味は無いのかと呟けば、キルヒアイスは苦笑を浮かべて、を両腕で抱き上げた。 視線の位置が同じ高さになってから、キルヒアイスはもう一度の名前を呼ぶ。 「。」 「なぁに、ジーク。」 「キスしてもいいかい?」 懇願でも命令でもない、許可を求めるその言葉に、は一瞬だけ言葉を見失ってから、思い出したようにほんのりと頬を染めて。 「――狡いわ、ジーク。」 いつもは、許可なんて求めないで不意打ちでしてくるのに、と。 表情だけでそう告げて。 だけど表情と想いとは裏腹な言葉で応えて、はゆっくりとキルヒアイスの顔に、自分の顔を近付けた。 ちょうど、自分の唇がキルヒアイスのそれを塞ぐ瞬間に視界が閉ざされるように、ゆるゆると瞼を伏せながら。 |
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