その日、キルヒアイスが仕事を終えて帰宅すると、玄関で彼を出迎えたのは、実用性よりも装飾性に重点を置いたメイド服を着用したの笑顔だった。 やたらと短い丈のスカート。そこからすらりと伸びた足。 無駄に胸を強調したデザイン。軽薄で愛らしい真っ赤なリボンが揺れている。 ふんだんにフリルをあしらったエプロン。無駄にふわふわしたそれに、顔の半分が埋まりそうだ。 そしてヘッドドレス。不幸中の幸いというべきか、今日はそこにバニーの耳が重なってはいなかった。 「お帰りなさい!」 語尾に『ご主人様』と付けられなかっただけ、幾分かマシだったのかも知れない。 本来の使用目的とはかけ離れた存在意義を有するそのメイド服は、在りし日の思い出として処理するにはまだ日が浅すぎたため、キルヒアイスはその出所をはっきりと思い出した。 それでもキルヒアイスは、微塵もその思考を見せずに微笑む。 「ただいま、。今日はフラウ・ロイエンタールとフラウ・キスリングに会っていたのかい?」 「ええ、様と様のところに行っていたの。どうして分かったの?」 答えたは、どこと無く眼が泳いでいる。 今度は何のファッションショーをしたのだろうかと思ったが、キルヒアイスはその質問は留めておくことにした。 何とかごまかそうとしているの分かりやすい反応に、思わず笑みを零してしまったから。 「その格好を見ればね。それは以前、フラウ・キスリングに頂いたものだろう?」 普段着としての機能、というよりは、普段着としてのアイデンティティを微塵も持たないメイド服を、まさか自宅以外の場所へ着て歩いたわけではないはずだ。 の精神構造と、一般平均から斜め四十五度程ずれている常識を考えるならありえない話ではなかったが、そこはそれ、メイド服を布教してきたと、面白がって便乗したが、さすがに最低限の注意事項とフォローは入れてくれたはずである。 というか、入れておいてくれなければ困る、というところか。 だが、はキルヒアイスのささやかな危惧など全く持って察していなかったから。 ふわりと一周身体を翻して、メイド服姿を披露して見せた。 短いスカートが心持浮いて、更にの白い足をあらわにしたが、キルヒアイスの長身とこの接近戦では残念ながら見えない。 キルヒアイスは苦笑を浮かべたが、はそのまま続けた。 「ジークはいつも制服でしょう?だから私もお揃いにしてみようかなって思って。」 「軍服と、メイド服か…。何だか倒錯的で良いかもしれないね。」 キルヒアイスは苦笑を薄い微笑に置き換えて、その長身からを見下ろした。 「倒錯的?」と聞き返してくるは、キルヒアイスの言葉の意味にも、その思惑にも、まるで気付いていないらしい。 もしが、言葉の意味をすぐにでも理解してしまったら、その頬は一瞬にして赤く染まってしまうだろうし、はすぐに顔を背けてしまうだろうから。 キルヒアイスは軍服の肩から垂れ下がって黒いマントを不割を広げてをその中に閉じ込めた。 今までキルヒアイスはこのマントが何のためのものかさっぱり理解できなかったのだが、なる程、中々有効活用が出来そうな気配だ。 は自分がキルヒアイスの射程範囲に差し込まれたことなど、気付いてもいない。 黒いマントはの白い肌も銀色の髪も、良く際立たせている。 その中で、訝しげにキルヒアイスを見つめてくる紅い瞳だけが、酷く扇情的で。 「ジーク?」 無言のまま、を愛しげに見つめていたキルヒアイスは、その声によって無言のまま現実に引き戻された。 この状態が、いっそ自分に都合のいい唯の夢ならば、踏みとどまることも出来たのかも知れない。 だが、現実に引き戻されてなお、自分のマントに包まれたは、キルヒアイスの妄想でも幻想でもなく、唯そこに在って。 この状態は、確かに自分が都合がいいように仕立てた状況なのだけれど。 こんな格好で出迎えてくるが悪い。 そんなに無防備に見つめてくる眼が悪い。 を構成する、白が、黒が、紅が。 自分を誘ってくる存在総てが悪い。 「――違う、悪いのは僕だけだ。」 ごく短い時間の間に、キルヒアイスは理性を根底から揺るがすような酷い衝動と、自己を弁護するための正当化された言い訳の嵐に襲われたが、結局最後に浮かんできたのは自嘲の笑みだった。 そう、いつまでも無垢で無防備なは悪くない。 何をしても、どんなに汚そうとしても汚れないのは、のせいではない。 どうしても自分の手で汚したくなる自分が、ただ悪いのだから。 「どうしたの?ジーク。」 「ごめん、。全部僕が悪いんだ。」 「ねえ、ジーク。本当にどうしたの?何か悪いの?」 脱力したように微笑むキルヒアイスに、は酷く心配そうな表情で、黒いマントの中から白い手を伸ばして、キルヒアイスの頬に触れようとする。 自分の方へと伸ばされたその手が、頬に触れるか否かという瞬間、キルヒアイスはのその手を掴み、小さな身体を引き寄せた。 「きゃあっ!」 バランスを崩した身体をしっかりと抱き込み、黒の中にある白い肌、あらわになっているの首元に、キルヒアイスは新しく紅を添えるべく唇を寄せた。 「ジーク…っ!」 びくりと震えた身体を宥めるようにその場所に舌を這わせてから、音を立てんばかりに吸い付いて、数秒後にはのそこには鮮やか過ぎるほど鮮やかな紅が咲いた。 気が済んだとばかりにキルヒアイスがの首元から離れれば、は顔を真っ赤にしてふるふると震えていた。 何か言いたそうに口を開くも、言葉にならずにぱくぱくとしてしまう様は、まるで水槽の中をひらひらと泳ぐ金魚のようで。 思わず笑いを堪えきれなくなって、倒錯的どころの話ではなくなってしまったキルヒアイスは、咽喉の置くから漏れ出す笑い声をくつくつと押し殺して、今度はの耳元にゆるりと顔を寄せると、面白そうに囁いた。 「ごめん、。全部僕が悪い。」 だけど、どうしても耐えられなかったんだ、と。 まるで説得力の無い笑みでそう言われても、はどう返せばいいのか分からなかった。 「だから、許して?」 呆気に取られてしまっているの耳元で囁き、更に顔を寄せてきたキルヒアイスに、は反射的に身を翻すと、閉じ込められていた黒い囲いの中から盛大にマントを跳ね上げて、花が咲いた首元を手で覆い隠しながら叫んだ。 「もう、絶対メイド服なんか着ないんだから!!」 だけど、はまだ気付かない。 どこにいても捕まってしまうのだ。 キルヒアイスと暮らすこの家に中には、逃げ場なんて、どこにもないということを。 |
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