ざく、と。 いかにも痛そうな音を耳が捉えるのと、反比例するかのごとく、緊張感の無い声が「あ」と思わず漏れたのは、殆ど同時だった。 だけど目ざといは、横で洗っていたトマトをシンクの中に置かれた、水を張っているボールの中に戻して顔を上げる。 少しだけ眉を顰めたは、自分の横で包丁を握っていたキルヒアイスを見上げて、その指先から血が出ているのを見つけると、小さくため息をついた。 「ジーク、気をつけてっていったのに。」 「うん、ごめん。 気付いたら切れちゃって。」 「『切れちゃった』じゃなくて、『切っちゃった』でしょ?」 困ったように笑みを口元に滲ませながら、は濡れた手をあまり機能的とはいえないフリルだらけのエプロンで拭うと、キルヒアイスの手を取ってキッチンから離れた。 珍しくカレンダーどおりに休みが取れた休日。 二人してのんびりと惰眠をむさぼった後で、朝食と昼食をかねた食事を作ろうとキッチンに向かったを、キルヒアイスが引き止めた。 キルヒアイスに言わせれば、一日中一緒に居られることなど珍しいのだから、料理なんてしないでこうして引っ付いていたいのだと、を抱き寄せたのだけど。 は子供のように無邪気に笑ってのたもうたのだ。 「おなかすいた」と。 結局、『惚れたほうが負け』という言葉を体現するかの如く、キルヒアイスは肩をすくめてを解放し、妥協案ではないが自分も手伝うことにしたのだ。 だけれども。 「ジークは、お料理が苦手だったのね?」 「うん、まあ。 白状すると、苦手と判断出来るほどの経験が無いというのが、事実かな?」 救急箱を取り出しながら、キルヒアイスをソファに座らせたは、その足元に膝を着きながら笑う。 「意外だわ。 ジークって何でも出来るのだと思っていたから。」 「そうは言ってもね、。 僕だって万能な人間じゃないんだから、指くらい切るよ。」 「残念ね。 一緒にお料理が出来る人って、素敵だと思ったのに。」 軽口をいいながらも、はてきぱきと消毒液やガーゼ、サージカルテープなどを救急箱から出していく。 かつては軍人ではあったキルヒアイスも、自分で手当てが出来ないわけではないが、如何せん指先のちょっとした切り傷など、一人では手当てしにくいことこの上ない。 それに、何だか大げさなくらい手当て用の一式を広げている。 別にそこまで大げさに手当てなどしなくても、これくらいなら舐めておけばそのうち治るだろうにとキルヒアイスは思うのだが、何だかとても慎重に自分の指の様子を見ているがかわいらしくて、キルヒアイスは好きにさせておくことにした。 「綺麗に切れているから、きっとすぐにくっつくわ。 ジーク、二・三日は水洗いを出来るだけ控えてね。」 濡れると、くっつきにくくなっちゃうから、と。 はガーゼに消毒液をしみこませる。 だけど、そうしている間に、キルヒアイスの傷口から、その髪の色と同じくらい鮮やかな赤が流れ出して。 「!」 「にゃに? ひーふ?」 「あ」と、思ったときには、はキルヒアイスの指先を、口に含んでいた。 確かに、舐めておけば治るとは思った。 思ったけれども、これは不意打ちだ。 口にキルヒアイスの指を含んでいるから、当然の言葉はしたったらずになる。 キルヒアイスはソファに座っているのに対し、は絨毯に膝をついているから、これもまた、自然と上目遣いになる。 更に、ぺろり、と。の口に中でキルヒアイスの指先が舐め挙げられる。 その動きに合わせて押し当てられる、唇と舌の感触に、色んな意味で眩暈がしそうになった。 もちろん、に他意はないのだろう。 ただ、血が流れた。 このままだと絨毯に垂れてしまうから、舐めただけ。 多分。 だけど、キルヒアイスはそれでも曲解したかったから。 「。」 名前を呼んで、口に含まれた人差し指以外の指で、の頤を持ち上げる。 自然、添えられるようになった親指と小指、薬指。 あまった中指を、人差し指同様にの唇に添えて。 「舐めて。」 「っ!」 反射的に人差し指を押し出そうと薄く開いた唇に、強引に中指をねじ込み、柔らかい舌を二本の指で捕らえようと追いかければ、は真っ赤になって目を固く閉じた。 それでも、キルヒアイスはの顔を自分の方に向けたまま離さないから。 真っ赤になって固まってしまったに意地悪な表情で微笑んで、キルヒアイスはが握っていた消毒液のしみこんでいるガーゼを、その左手から抜き取った。 思わず握り締めてしまったガーゼから滲んだ消毒液が、の細い指を濡らしている。 その手を取ってキルヒアイスが自分の方に寄せれば、自然と崩れる体勢に、が思わず眼を開けて、まるでそれをはかっていたかのようにキルヒアイスはにっこりとに微笑むと、その人差し指と中指に軽くキスをして、そして自分の口に含んだ。 「ひーふっ!」 キルヒアイスの指を銜え込んだままで叫んだ声は、正確にその固有名詞を言うことは出来ず、少しだけキルヒアイスの指にの歯が当たった。 甘噛みのようなその感覚を真似するように、キルヒアイスも自分の口に含んだの指に軽く歯を立てれば、驚いたように小さな身体がびくりと震えて。 思わずの目から涙が零れそうになったところで、キルヒアイスはようやくの指を解放し、の小さな口からも自分の指を引き抜いた。 中途半端に開いた口内を散々弄られたため、零れてしまった唾液をがむきになって拭えば、キルヒアイスは飄々としながら自分の指を濡らしているの唾液を舐めて、笑った。 「消毒液の苦い味より、こっちを味わえばよかったかな?」 「――ジークの、ばかっ!!」 |
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