とりあえず、貴族軍の中において身の安全と自由を確保したは、一晩睡眠欲のために時間を費やした後は時間を無駄にする気はなかった。 早速、ラインハルト軍が出来るだけ優位になるよう、動き始めたのである。 といっても、軍要塞でたった一人で小娘が出来ることなどたかが知れているが。 手段を問わなければ、には要塞を無効化する術もあったが、それはまた早い。 敵軍の上層部が無傷で残ってしまっては、今後同じ事が起きないとも限らないし、何しろには此処からオーディンへと帰る足が無いのだ。 ある程度ラインハルト軍が近くに来てくれてからでないと帰れない。 せいぜい迎えが早く来ることを祈りつつ、差し当たり、は好き勝手に動けるよう、要塞内の構造を理解しようと自分の足で歩いて回っていた。 ブラウンシュヴァイク公の言質はとってあるのだから、何か言われたらそう言えばいい。 暗黙の了解として、人質や捕虜は大人しくしているのが常であろうが、はそんなものに気を配る気はさらさらなかった。 軍事に対する無知と、普段はどうでもいいと考えている貴族の間の体裁こそが、今のの唯一絶対とも言える武器であった。 せいぜい頭の中身が足りない貴族令嬢を装っておくべきなのだ。 その方が、頭の中身が足りない貴族のドラ息子を相手にするには都合がいい。少なくとも、今は。 そして、貴族達はまんまとそれに嵌っている。 小娘一人自由にさせといたところで、何が出来るわけでもないと。 だからこそ、ブラウンシュヴァイク公が認めた賓客扱いに異を唱えるものなど居なかったのだ。 完璧に身なりを整えると、は要塞内の徘徊を実行に移した。 しかし、その前に自室のチェックとセキュリティを書き換える事も忘れない。 どうやらこの部屋には、とても軍事要塞とは思えないような贅を凝らしたドレスやら何やら、貴族令嬢が見たらいかにも手を叩いて喜びそうなものが一式揃っている。 これは身一つで拉致されてきた自分のために用意された物だろうかと、はクローゼットを覗き込みながら少し首を傾げた。 だとしたら、を拉致した実行犯は同盟に参加させる以外にも別の目的があったのかもしれない。 少し不愉快ではあったが、そうなると無駄にこの部屋に訪れる者も出てくることだろう。 は念のため、と。 部屋の新たな開閉条件として、自身の指紋と網膜パターンを登録してから、ぱたりと部屋にあったノートパソコンを閉じた。 恐らくここは貴族達の居住区なのだろうが、その富をひけらかす勢いの調度品の中にパソコンがあったのは幸いだった。 これでの行動は殆ど無限に広がったと言っても、過言では無かっただろう。 「それにしても、お粗末なくらい無用心ですねぇ…」 ぽつりと呟いた声は、おおよそ実用的には見えない廊下に軽くぶつかって消えて行った。 貴族軍にとって、ある意味でもっとも身近な危険人物となったを咎めるどころか、見張りさえいない。 ある程度は予測していたセキュリティさえも、殆ど見られなかった。 恐らく、この要塞内では一般兵と貴族との居住を分ける場所にしかセキュリティは強化されていないのだろう。 「無用心だから、悪い人が好き勝手出来ちゃうんですよ?」 むろん、「悪い人」とは自分自身のことだ。もう一度呟いたの声は、やはり必要性に疑問を感じる廊下の装飾に弾かれた。 しかし、今回は凄まじい怒号が、何処からともなく跳ね返って来たのだ。 それが、三つ先のドアの中からだと気付いたは、はたりと足を止める。 このまま歩いていても埒が空かないので、3割の任務意識と、5.5割の好奇心と、1.5割の警戒心を持って、ドアを開けてみた。 どうやら部屋の中は作戦会議中と見せかけて、ラインハルトへの憎悪と敵意を吐き出す会を結成していたらしい。 しかもその内容がまた、バカバカしい限りであった。 「賊軍?!我々を賊軍だと?!」 選民意識に凝り固まった貴族たちが、グラスをテーブルにたたき付ける。 何人かはその破片でもって手を切ったようだが、それを除いても、あまりにバカバカし過ぎて口を挟む気にもなれない光景だった。 その呆れを隠そうともせずにため息を吐き、至極当然のように部屋の中に滑り込めば、最も近い席に着いていた老将・メルカッツが振り返る。 彼はこの場にいるべきではないの姿を見るも、苦笑を浮かべて黙認してくれた。 「バカバカしいと思うかね?」 「はい。感情に流されて軍議にすらなっていませんもの。これでは余程の空想家でない限り、勝てるとは思いません。」 「まったくだ。この時点で、もう既に負けているということが、彼らにはどうしても理解できないらしい。」 「心中、お察しいたします。」 とてもとても、旗色の異なる軍事指揮官を相手にする会話ではない。 しかしは困ったように笑って、メルカッツに答えた。 あるいは、メルカッツ自身もそれに辟易していたのかもしれない。 しかし、引き受けてしまった以上、彼はそれに耐えなくてはならないのだ。 とメルカッツのささやかな会話は、それ以上貴族達の怒号に掻き消されてしまったが、メルカッツのため息は言葉以上に彼らの収拾の困難さを語っていた。 もはやメルカッツが何を言おうと聞く耳など持ち合わせない。 当然、戦術・戦略など決められるはずもなく、だからといってメルカッツが一人それを決めれば、ああだこうだと不満ばかりを漏らすのだ。 「私は、戦う前から敗戦を考えた事は無いが、今回ばかりはローエングラム伯が対等に戦ってくれれば、御の字というところか…。」 の何倍という年月を生きて来たメルカッツに対し、彼女がこう思うのは失礼にも値することであろうが、それでもは同情に近い物を感じた。 メルカッツも、おそらくは強要されて貴族軍の総司令官にならざるを得なかったのだろう。 しかし、それならそれで、彼に従うべきであるはずなのに、そんな気配は微塵の見られないどころか、貴族達は実戦に出る前からラインハルトの戦略に陥っている。 端的に行ってしまえば、殴り合いが始まる前の口げんかにおいて、完全に頭に血が上ってしまっているのだ。 これを宥めすかして戦わせ、勝利に導くことは容易ではない。 だが、それでも彼らにとって勝利は当たり前のことであり、メルカッツが彼らをそれに導くことが出来なければ、自分達の能力を棚に上げてメルカッツを無能と罵るだろう。 いかにもありそうなことを予見して、はそれだけで頭に血が上ってしまった。 普段ではそんなことも無いだろうに、彼女もまた、貴族達の空気に流されてしまったのかもしれない。 は、殆ど一瞬にして、考える間もなく行動に出ていた。 「黙らせて差し上げます。」 にっこりと、笑みを刻んだ顔は、ラインハルトを評するものと同様、古代の名工のように洗練された美しさを誇っている。 だが、それに続いた行動は、見事にそれを裏切ったのだった。 |
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