珍しく仕事が一息ついて部屋に居るというから、教団の中でも特に薄気味悪いと噂のコムイのプライベートな実験室の階に来たというのに、予想に比べて随分普通なものだから、は拍子抜けしたようにため息をついた。 まぁ、コムイを訪ねに来たのは別にプライベート実験室を案内して欲しかったわけじゃないから、それほど落胆したわけでもない。 「それで、。相談ってなんだい?」 コムイが愛用の兎模様のカップにコーヒーを入れて手渡してくる。 特に広くも狭くも無い部屋に備え付けられたソファーに寝っ転がっていたは、声と同時に上半身を起してカップを受け取った。 「ねぇ、コムリン。これ砂糖とミルク入ってる?」 「何も入ってないよ。」 「あたし甘くないと飲めないのに。」 剥れて言ってみれば、コムイは白い眼を向けて無常に言い放った。 「だからって飽和状態になるまでミルクと砂糖を入れるのは邪道です。」 「ちぇーっ!」 ワザとらしく舌打ちをするが、はそれ以上文句も無くコーヒーのカップに口を付ける。 彼女はよく、あることないこと言って周りを振り回して楽しむ傾向があるが、この分で考えると、ブラックコーヒーが飲めないというのも、その一つなのだろうと、コムイは思った。 「それで、。さっきも言ったけど、相談ってなんだい?」 小さなテーブルを挟んで向かい側に座り、を見据える。 長い黒髪を一つに束ねて、無造作に大きなシャツを一枚は追っただけの女性は、シャツの裾からすらりと伸びた足を組み替えた。 どうしてその短さでシャツの中が見えないのか疑問なところだが、どんなに短い服を着ていてもその中身を見せないのは、昔から伝わる教団の七不思議の一つだから今頃気にしてもしょうがない。 はそれまでの能天気そうな雰囲気を一転させてカップの中身に視線を落とした。 本来黒かったはずの液体はすでにミルクティーのごとく白く濁っている。 その表面に自分の顔が映っているのを覗き込みながら、は能天気に話し出す。 「あたしがその辺でテキトーに見つけたイノセンスなんだけどさ。」 おもむろに口を開いて、そしてまた一口コーヒーを含む。 コムイがこちらを見ていることに気が付いて、は続けた。 「どこやったっけ?」 コムイが含んでいたコーヒーを勢い良く噴出したのは無理も無い。 はある程度予測していたのか、言い終わると同時に身を沈め見事にそれを回避したが、コムイのほうはそのまま激しくむせ返ってしまった。 「?そんなこと僕初耳なんだけど?」 ようやく呼吸を整えたコムイは、汚れた口元を綺麗に拭うと、座った眼でを見据える。 額に青筋の一つが痙攣している。 「ちなみに、いつごろ、いくつ見つけたの?」 ワザとらしく要点で言葉を区切って問い詰めれば、は悪びれもせずに口調を真似て答えた。 「ここ15年くらいの間に、2つ。あ、3つかな?」 「で?失くしたんだ?ふ〜ん。」 「いやいや、失くしてはいませんよ。手元に無いだけで。」 「じゃあ、保管場所は分かってるわけだ?」 「……………ハイ。」 「、その間が気になるんだけど。」 短い応酬を繰り返してから、コムイは諦めたようにソファーに身を沈めた。 この場にあるのなら、仕事が増えるだけだが、今ここにないのなら騒いでも仕方ない。 「で、どうして急にそんな話を持ち出したの?」 幾分声を落ち着かせて、コムイは天井を仰いだ。 全く、には以前から驚かされっぱなしだが、今回のそれは結構キた。 何しろ普段から自分たちはイノセンスの争奪戦をすべく、ありとあらゆる可能性をしらみつぶしにイノセンスを探しているというのに、この女性はそれを一切無視してさらりと「見つけた〜」と言うのだ。 天くらい仰いでも、無理は無い。 「いや、ノアが動き出したみたいだから。」 何人かのエクソシストが殺され、所持していたイノセンスが奪われた。 だから、今まで見向きもしなかったイノセンスを思い出したのだ。 「やっぱ、イノセンスを守るなら、ヘブラスカに預けるのが一番かと思ってさ。」 結んだ毛先をくるくると弄びながら呟く。 「ただ、それだけじゃないんだよね。」 くつくつと咽喉の奥で笑って、はコーヒーカップをテーブルの上に置く。 「あたしが見つけたイノセンスを預けてる子なんだけど……。」 勿体つけるように間を空けて、はテーブルの上に身を乗り出した。 つられて、コムイも身を乗り出す。 「有効活用してくれてるよ。」 その言葉の意味を汲み取れない程度なら、その若さでコムイが室長の座に着くことなど出来なかっただろう。 「じゃあ、まさか預けてるっていう相手、エクソシスト?」 エクソシストを、イノセンスの適合者を見つけることは、ある意味ではイノセンスを見つけることよりも難しい。 適合者には意思があり、教団に属するか否かを決定する権利があるからだ。 コムイは僅かに期待を弾ませたが、は笑って答えた。 「近いといえば近いけど、正確には違うんだな。残念だけど、適合者じゃないよ。」 「じゃあ、君と同じノアかい?」 落胆と幾分の複雑な感情を入り混ぜてコムイは更に訪ねる。 久々に面と向かってノアと呼ばれたは、凶悪に意地の悪い笑みを浮かべて体をソファーに戻した。 「それもハズレ。」 じゃあ、一体なんなんだい?っと訪ねれば、彼女は一転して冷めた口調で答える。 「一般人の範疇には入らないけど、人間よ。大元帥のおっさん達なら、涎をたらして喜ぶわよ。本人の意思や回りの静止も聞かずに人体実験を始めるほど、貴重な存在だと思うから。」 軽蔑の念を隠そうともしないの言葉に、コムイもカップをテーブルにおいて考え込んだ。 「ちょっと待って。それじゃあその子は、ノアでもエクソシストでもなく、イノセンスが使える。つまり、適合者では無いのにイノセンスを使えるから、上層部が喜んで人体実験をしたがるような子ってことかい?」 いくらなんでも無理があるだろうと、コムイは笑い飛ばそうとしたが、はにっこりと微笑んで「ご名答」と答えた。 「さっすがコムリン。頭良いね。」 「頭良いね」と褒められたかといって、この場合、うっかり喜んでいる場合ではなかった。 ただでさえ、目の前のという、ノアの血を引きながらイノセンスに愛された女性の存在に、理解しているふりをしていると言うのに、今度はイノセンスの適合者ではないのに、それを使うことが出来る存在が居るというのか。 やや、というよりは、激しく混乱し始めた脳内をどうにかなだめようと、無言でカップに口をつける。 そんなコムイを気遣う様子も無く、嬉しそうに言って、は更に続けた。 「そんな子が本当に居たら、連れて来て欲しい?」 「そりゃあもちろん。本人にその意思があればね。」 自身の体験の所為もあるが、コムイは決して強制的な行動は取らない。 任意によってエクソシストになってもらい、黒の教団に招き入れる。 それが上の人々にとっては生ぬるいやり方であるという非難を、あえて真っ向から受け止める形となっていた。 「その子、アジア支部極東地区のサポーターなの。」 「極東地区というと、あの10年くらい前まで鎖国をしていた島国かい?」 「そう。鎖国をしていたから、あまり本部や他の支部との連絡が無かったけど、そこの2代目サポーター。」 「説得しやすいのかしやすくないのか、微妙なところだね。」 この際、どういう理由でそんなのような異例な存在が出てくるのかは、無視することにした。 そこに存在している以上、その理屈が不明でも理解できなくても、理解あるふりをした方がはるかに懸命な判断というものだ。 やや開き直り的な方向に諦めたコムイは、次の段階に備えて大真面目に呟きをもらす。 はそれに対して、得意げに笑って見せた。 聞けば少女は、痴呆老人よりも性質の悪い放浪癖を持ったが、日本に滞在したときに知り合った関係なのだという。 日本にに居る間、彼女の母親が率いるサポーター日本支部で世話になる代わりに、その娘を鍛え上げていたというのだ。 「あたしが声をかければ、喜んで来てくれると思うな。」 「どうしてだい?」 「両親は居ないし、彼女は教団のために働くことを誇りだと思っているから。」 あたしのこと、大好きだし。 さらりと吐き出された言葉に、コムイは非常に嫌そうな顔をする。 「それは、大元帥達に大変都合のいい考え方だね。」 「そう。彼女は理不尽な事はしないし、自分を曲げることもしないけど、それが本部の、しかも上層部からの命令といわれたら、ころっと従う可能性があるんだよ。」 それはまた、ある意味では非常に癖のある子だ。 口に出すのは不謹慎だと思ったのか、咽喉の奥で縫いとめる。 「でも、有能だよ。まだまだ未熟だけど、来てくれたらきっと力になってくれる。クロスのあしらいもうまいよ。」 最後の一言にうっかり言葉をなくしたコムイは、落ち着きを取り戻すために一口コーヒーを流し込むと、それはそれは驚いた口調で呟いた。 「それだけでも、十分すぎる才能だね。」 この世に以外で、教団でも指折りの問題児であるクロスをあしらえるなど、コムイには想像もつかなかった。 はまたもや身を乗り出して、コムイに耳打ちするように問いかける。 「で、コムリン。どうする?どっちにしてもイノセンスを集めるなら、取りに行かないといけないけど、召集をかけるなら持って来てもらうよ。」 「ぜひとも、声をかけて貰いたいね。」 教団における人的資源の消耗は激しい。 実践においても、サポートにおいても、常に有能な人間を求めているのだ。 ノアであり、ヘブラスカと並んで長くの時間を過ごしてきたの推薦とあるなら、是が非でも確保したい人物だった。 コムイはすっかり悪代官の気分で、耳打ちを返す。 するとは、先ほどから何度か繰り返している雰囲気の一転をここでもやってのけた。 「で、いくら出す?」 は指先で円を作り、何をさして言っているのか明確に分かるように一言言った。 最初はふざけて言っているのかと、コムイは苦笑を浮かべてソファーに体を戻したが、真正面から見つめたの表情に冗談の色が無いことを悟ると、自身も表情を僅かに固くした。 「黒の教団は人身売買組織じゃない。君は、弟子を売るのか?」 冷ややかに言ってのける。 コムイの口調は、に対する軽蔑と、自身の所属する教団を侮辱されたことに対しての怒りが含まれていた。 普通の女性であれば、めったに見せないコムイの冷ややかな視線に確実に怯んだろう。 しかし、はあらゆる意味で普通とはかけ離れていた。 コムイを鼻先で笑い飛ばし、わざわざ尊大な態度で足を組みかえると、コムイのそれより更に冷ややかな声で言い放った。 「アナタが来る前は、人身売買組織より性質が悪かったのは事実でしょ。なんなら、リナリーを証言台に立たせる?」 苦い記憶を強引に呼び起こされて、コムイは眉を顰める。 はわざとそうして相手の怒りを買うような口調で続けた。 「今はそんなこと無いでしょうよ。でも今回あの子を呼んで、上が昔と同じことをするなら、あたしは上を殺すか、あの子を連れて逃げるか、どちらかの選択をせまられる。そうなったときの資金を、確約できるか聞いてんの。」 氷点下まで引き下げられた声は、痛烈な言葉を伴って更に強く叩きつけられる。 「極東地区と本部との任務じゃ危険度も過酷さも比にならない。人の娘を、一人の女の子を引きずりこむんだ、いくら任意でも、何かあったときに助ける気があるのかどうか聞いてんのよ。納得できなくても、理解あるふりくらいしてくれないと困るの。」 ようやくの言いたいところを理解したコムイは、回りくどいその言い方に苦いため息を漏らして答えた。 「どうせなら、逃亡資金よりも実験が起こらないという保障をさせていただくよ。」 その言葉に、はにっこりと微笑む。 全く、笑い方によってはリナリーとそう変わらないような歳に見えるというのに。 「コムリンからそれを聞ければ、あたしは安心してを呼べるよ。」 口約束ではあるが、室長にそこまで言わせれば、とりあえずは身の安全は確保できるだろう。 ヘブラスカが教団におけるイノセンスの番人であるなら、は教団におけるエクソシストの番人でるといえる。 はテーブルに置きっぱなしになっていたコーヒーを一気に飲み干すと、その素晴らしく鍛え上げられた体を起した。 一つ伸びをしてコムイに笑いかける。 「それじゃ、あたしは早速手紙の一つでも書いてこようかな。」 「その、ちゃんとやらに迎えは必要ないかい?」 「自力で教団にすらつけない子を、あたしが弟子にすると思う?」 全く持って正論だが、日本とこの教団本部がある欧州との間にどれだけの距離があるか、は果たして理解しているだろうかと、コムイは一瞬だけ苦笑を浮かべた。 「大丈夫、アルカエストかティンクトラを迎えにやるから。」 「あぁ、クロスが作ったっていうゴーレムね。僕には一向に懐いてくれないけど。」 「気にするな、コムリン。ティンクとアルは他の子にもあんまり懐いてないって。」 慰めにならない慰めをかけて、はコムイのしょ気た様子を笑い飛ばす。 「あの子、あたしを崇拝してるから、きっとすっ飛んで来てくれるよ。」 「へぇ、そんなに君に懐いてるんだ?どんな子?」 用件が済むや否や、自室に戻ろうとするの背に向かって、声をかける。 人体実験にかけられる危険性を持ち、非常に曲者であるの弟子であり、教団では腫れ物扱いとなっているクロス元帥をあしらう少女とやらがどんな少女なのか、いささか興味を引かれたのだ。 そして、それに対するの返答は、簡潔極まりなかった。 「あたしにそっくりで超可愛いよ。」 は上機嫌でコムイの私室を後にする。 一瞬耳を疑いたくなるような言葉に、コムイはを引き止めて詳しく聞きだす隙を逃してしまった。 あたしにそっくりで超可愛いよ。 あたしにそっくりで そっくりで そっくりで… 「もしかしてとんでもない人に召集をかけちゃったのかな?」 呆然と呟いた言葉は、テーブルの上に残された2人分のコーヒーカップに跳ね返って部屋にこだましていった。 |
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