Replica * Fantasy







 【 信頼よりも愛がある 】 




この夫婦に何かある度、そのきっかけは…今回はエミールの一言ではない。
その傍でのんびりと紅茶を飲みながら帝国宰相の婚約者、が鈴のような声で言ったのだ。

「キスリング隊長。どうして男性は、たくさん『愛してる』というものなのでしょうか」

エミールがソーサーとカップをガチャリ、とぶつけ合う音がする。
自分が紅茶を飲んでいなくて良かった。
ついでに言えば煙草も吸っていなくて良かった。
親衛隊長である故、大抵の事柄に対して耐性はあるつもりだが、どうもこの女性の一言にはそれを破壊するものが含まれている。

「…フロイライン・クロプシュトック…それは、つまり、どういったことなのでしょう」

エミールに目だけで気にするなと制する。
うーん、と腕組みをしながらはつまり、とかいつまんで説明をし始めた。

「えっとですね、ジークが。ジークってほら、お仕事が忙しいから、必然的に私は帰ってくるまで待ってる時間が長くて。
それで、様にたくさん映画をお勧めしていただいたんです」

顔を赤らめながらは呟く。その内容はキスリングにとって想像に難くない。
───ポルノまではいかなくても、それに近い内容を伴った恋愛映画だろう。
いかにもが考えそうなことだ。
勧めた本人はそういった類のものは一切興味もなく、見ても三分で眠れる体質だ。

「だから、…男の人って、なんであんなに『愛してる』っていうのかな、って」

一言でも十分なのに。
はぽつりと呟くが、それは映画だけのことを指しているわけではないことをキスリングもエミールも悟っていた。

「それは…女性が安心するからではないですか?」

経験がそれなりにある、と言えるであろうキスリングは早くこの話題をどこかへ持ち去ろうとした。
エミールの期待の目を裏切るわけにはいかない。
そして他に味方もいない。
はきょとん、としてキスリングに少しだけ詰め寄った。

「安心ですか?」
「え、ええ。言葉にしないとわからないと言われる前に、言葉にするのは得策かと。」

一体何だ。
キスリングも近寄られた分だけ体をのけぞらせ、さらにもっともらしいことを続けた。

「それに、自分の気持ちも言わないで、何処かへ行ってしまうことがあったとしたら、後悔するでしょう」
「確かに、そうですね。うん、本当に仰る通りです!」

はむんずと傍のクッションを掴むと、ぶん、と軽く振った。

「うわああ!た、隊長!!様!!」

それをエミールに止めることはできなかった。
とは違って力は弱いながらにしても、キスリングの顔に上等なクッションは命中した。

「フ、フロイライン!?」

あまりに突然のことで、流石のキスリングも面食らった。
しかし、はつん、として謝る姿勢など見せない。
テーブルには、紅茶が散乱していた。エミールの顔が青くなる。

「…様は、言われたことないって仰ってました」

立ち上がって、エミールとテーブルの片づけをしながら、はキスリングを少しばかり睨んで呟いた。

「───愛してる、なんて言われたことないって、仰ってました」

トパーズの奥の瞳孔が動いたのを捕獲出来たのは、だけで。
苦虫を噛み砕くように、キスリングは戸惑う。
ため息と抱えたい頭と煙草に手を伸ばしたい手を同時に押さえるのは非常に困難であった。


愛してる。


流石にこの年になれば、言われたことも言ったこともそれなりにある。
冗談半分のものも、本気だったことも、すべてを越えてと今後の人生を共に歩む。
とてそれは同じだ、とキスリングは思う。

出会いも、付き合いだしも、事が事だっただけにそう言った言葉を発すること自体少ない。
だが、寄り添っているだけで落ち着く。
同じ香りを纏って、グラスを傾けて、ソファでゆるやかにまどろんでいく時間や、その後も。
元々口数が少ないのだ、と自分は思う。
解っているはずだ。だから、言う必要なんてない。
じゃなければ、も結婚なんかしないだろう。
すきだ、とたまに口に出す彼女に何も返すこともない。
言わなくとも、わかっている女だから。

「ただいま」
「おかえり」

歯ブラシを片手に、いつも通り出迎えるは、が心配するようなことは全くない。
もう、眠いから先に寝るね?と洗面台へ向かうの後ろ姿は、いつも通りの線の細さで。
それを強調するようなコルセットと、下着一枚で疲れた体を引きずってるように見えて。

「」
「にゃにー?」

くるんと歯ブラシを口に差し込んだまま振り返る彼女は、今日、自分に起こったことなど何も知りはしない。
その間抜けな返事と、眠そうな瞼に、口の端が思わず持ち上がる。

「何でもない。お疲れ、おやすみ」
「おふあれさわ」

ひらっと手を振っては洗面台へとまた歩き出す。
キスリングも、詰襟を外してシャワーブースへと向かった。

そうだ、全部もうわかっている。
若くて愛らしい、を溺愛するまた年若い宰相閣下が、特別に愛の言葉を囁きすぎるのだ。
それは映画のように美しい絵である、とキスリングは思う。
職場であることを除けば、と時折目線を泳がすことになるのは仕方ない。

寝室へ戻ると、暗がりにぼんやりとの銀の髪が浮かんでいる。
うねるようにシーツに落ちているその束を掬い、口づける。
顔に掛かったさらりとした髪をはらい、いつもより柔らかな表情で眠るは幼く見える。
凛とした、飄飄とした、妖艶な顔ではない。
眉が下がり、薄く開いた唇は子供のようだ。

「…今更言えるか」

毒されたな、とキスリングはその隣に横になる。
だが、その毒は抜けるどころか、喉元にひっかかるような熱さで苦しめる。

に至極当然、と返した自分の言葉が棘のようにちくりと刺すのだ。

──自分の気持ちも言わないで、何処かへ行ってしまうことがあったとしたら、後悔するでしょう──

天気予報よりも確実な、それは軍人たる自分達の日常だから。
キスリングの周りでもよくあることだった。
自分もそうなるかもしれない。
平和な時間を過ごしているようで、実質自分もも軍人である。
また、キスリング自身は皇帝の親衛隊長だ。
自分がその任を解かれねば、平和というものとはありつけないものだろう。
も同じだ。
ふたりとも今の道を捨てないのは軍人でないとしても、死はいつでも隣合わせということをよく知っているから。

「」

起きることのない程度の声。
もしこれが、永遠に開かれない瞼なら。
紅色の目がなあに?と細めて自分を見ることがないとしたら。

「…」

もう一度呼ぶ。
深い眠りから彼女は戻らない。
ぎしり、とベッドを軋ませても彼女は動かない。
耳元で、もう一度囁く。

「……」

ぴくり、との体が動く。
それでもまだ起きるわけではなくて。
それでも、キスリングの気持ちが融けるには充分であった。

「…愛してる、」

低い自分の声が彼女の耳から体中に響いて、貫いて、気持ちで殺せればいいとすら思った。
狂気的な程の気持ちを、愛と呼べるだろうか。

「…んー…ギュンター…なあに…?」

闇に映える赤が、自分を捕らえた。
ふらふらと頼りない声にもう一度キスリングは呟いた。

「何でもない。愛してる、と言ったら起きた」

ばちり、とはその一言で完全に覚醒した。
裸のまま、は彼に詰め寄る。

「嘘」
「…嘘じゃない」
「…嘘だ」
「本当のことを言って何がおかしい」
「だって、ギュンターは『言わなくてもわかる女』だから私と結婚したんじゃないの?」

キスリングは苦笑交じりに悪かった、と。ごめん、と言いながらの頭を撫でる。
そうさせたのは、自分なのかもしれないと思った。

「そうじゃない。言いたかっただけだ」
「わけわかんない」
「…もう一度言ってやるよ」
「わー!いい!いい!わかってる!わかってるっ!!!」
「ウソつけ、聞いてないんじゃ意味がないだろう」

潤んでより赤い目と同じくらい、顔を真っ赤にさせたに、思わず声をあげて笑った。
美しい、可愛い、守りたい、守られている、好きだ、嫌いだ、全部毎日ひっくるめたらこうなってしまった。

「、愛してる」

キスリングの笑顔に、の涙が溢れた。
飾らない、いつも困らせてる、困らせてみたい、綺麗な顔、低い声、守ってくれる、助けてくれる、そんな日々がキスリングにこんな思いを抱かせた。
わかっている、わかっていた、でも自分も言葉にすることを避けてきた。

「…私も…」
「知ってる」
「愛してる」

共通点は同じ、わかっていると思うから、大事なことを言葉にはしない。
遮るな!いいところだったのに!とは手近な枕をキスリングに向かって投げようとしたが、その前に手を封じられた。
逃げ場がなくなったは目をこすって下を向く。
言ってよかった。
明日がどうなるかわからない。
今更噛みしめることになるなんてとキスリングは、同じ紅眼銀髪を持つに心のうちで礼を言った。

ふたりの重ね合った夜の、刹那のこと、次に言葉になるのはいつだろうか。
明日かもしれない。いや、もうないかもしれない。
抱き合った形で、体を繋げることもせずに眠る。

明日も愛してると言えるかわからないし
言うのかもわからないし
言われるのかもわからなく
気持ちでは分かっていて
それでも貪欲に明日も共に生きたいと

まるで満ち足りて溶けて消えそうになる体をベッドにとどめて、明日が来ることを祈る形に見えた。










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2008/10/23
すぎやま由布子さんから頂きました! ありがとうございます!!



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