昨日はリビングのソファで二人して寝込んでしまったのに、が目を覚ますとそこは自分の部屋だった。 といっても、双子の兄である余と同じ屋根裏部屋なのだが、まだぼんやりする瞼をこすっても、相方の姿は見えない。 「あまるくん…」 まだ完全に目が覚めていないのか、ボケボケのままでベッドから這い出し、パジャマのままで毛布をずるずると引き摺りながら、危なげな足取りで屋根裏から階段を下りていく。 窓の外では、霧雨が満ちており、酷い湿気を纏った大気が渦巻いていたが、どうやら今のの状態では雨だろうが雪だろうが、空が緑だろうと紫だろうと黄色だろうと、気付く気配が無かった。 寝ぼけつつも、生まれたときから住んでいる家なので、殆ど感覚的に歩いて、二階から更に一階へと階段を下りようとした瞬間。 無意識の内でが想定しているよりも一歩分早く階段にたどり着いてしまった。 平地を歩く感覚で、急に階段に踏み出してしまったのだから、当然ながらは階段を一歩目から踏み外す羽目になった。 と言っても、本人の意識はまだ完全に眠っているし、仮に階段から落ちたところで怪我をすることも稀だ。 しかし、気分の問題としては、落ちるよりは落ちない方が良いに決まっている。 「ちゃん!!」 今まさに宙に放り出されたに気付いたのは、階下から上がってこようとした続だった。 常識を著しく逸脱した反射神経と運動能力をフル稼働させて、彼は半分以上まだ眠っている妹を危なげなくキャッチした。 「――まったく。また寝ぼけていましたね、ちゃんは。」 「うんにゃあ…?」 自分の腕の中で呑気に瞼を擦るに、続はくしゃりとやわらかい髪を撫でた。 続の唯一の兄である始も、そして続自身も唯一の妹であるを溺愛していたが、兄弟の中でも特にを可愛がっている続は、そのまま妹を立たせると、まだ半分以上睡魔の手の上で踊っているに問いかけた。 「どうしたんですか、ちゃん。ちゃんと起きていないのに歩き回っては危険ですよ。」 寝ぼけている、というよりは、意識がどこかへ浮遊してしまっている印象のは、そのまま自分を受け止めた兄を見上げる。 しかし、その視界に映っているのが続なのかという認識が出来ているかと言えば、怪しいものだった。 「余くんが…」 「余君がどうかしましたか?」 「居ないの。いっちゃったの。」 「部屋に居ないのですか?」 「うん。」 まだ、虚ろな声で、はぽつぽつと答える。 続はそれを、一つずつ確認するように問い返した。 余とは、昔からよく夢を見る。 夢だけならまだしも、末の双子には、夢と現実の境が非常に曖昧なふしがあり、眠ったまま起きていると勘違いしてそこらへんを徘徊するという、いわゆる夢遊病のようなケがあった。 小さい頃などは、今のように危うく階段から転げ落ちることもよくあったし、それを受け止めようとした祖父の司が幼子の下敷きになることもしばしばだった。 余は、また夢遊病が出てしまったのだろうか? 「余君は、外に行ってしまったんですか?」 「うん。」 まったくもって、どういう感覚なら眠ったまま外までいけるのか、常人なら疑問に思うところだが、大小様々に常人とはかけ離れている竜堂兄弟の次男坊は、溜息一つでそれを受け止めた。 「仕方ありませんね。僕は余君の様子を見てきます。ちゃんは、どうしますか?まだ眠いのなら、ベッドに戻りますか?」 「ん…」 とりあえず聞いてみたものの、の返事ははっきりせず、また、聞こえているのかどうかも怪しい。 結局、そのまま部屋へ戻してもまた歩き回られては危険なので、続は少し思案してから、に言った。 「ちゃん、兄さんがまだ起きているはずですから、ちゃんは兄さんと居てください。余君は僕がちゃんと連れ帰ってきますから。」 「うん…」 紅一点の妹には甘い続が砂糖菓子のような笑みで諭せば、は重力に任せるようにこっくりと頷いて、ゆらゆらと立ち上がった。 左右に蛇行しながらも、何とか始の部屋のドアをノックするする姿を確認してから、続は一度屋根裏に上がり、双子の部屋へ寄ると余の着替えを手にとって、そして霧雨の中へと消えていった。 一方で、続に言われたとおり始の部屋に向かったは、こんこんと控えめにノックをしてみた。 が、どうやら兄は読書中であるらしく、返事が無い。 完全にの眼が覚めている状態であれば、はもう一度ノックを繰り返しただろうが、いまだ覚醒仕切れずに居るは、そのまま返答のない部屋の扉を開けて中へ滑り込んだ。 中では始がソファに腰をかけて、読書に没頭している。 が入り込んだことにもまったく気付かない様子だ。 はそのままゆらゆらと始が座っているソファに近付くと、兄に声をかけることも無く、無言でその隣に腰をかけ、兄の膝に頭をおくようにころんと寝転んだ。 「?」 そこでようやく、が入り込んだことに気付いた始が、少し驚いたように視線を下げる。 はほんの少しだけ笑って、そのまま眼を閉じた。 まだ眠たかったし、何より始の近くはとても安心できる。 始の方でも、驚いたものの特に何を言うでもなかった。 双子が甘えっ子であるのは今更であったし、は始の邪魔をするわけでもない。 眠たいのならば眠ってかまわないと、軽く髪をのけるようにその額を撫でてやり、始は再び本の方へ視線を向けた。 額を撫でたり、眼を塞いでくれる始の大きな手が気持ちよくて、ゆらゆらとまた意識と無意識の境で浮遊していたは、やはり意識的か無意識的か、虚ろな声で兄に話しかけた。 「余くん、ちゃんと戻ってこられるかな?」 前後の事情を知らない始は、その声に視線を本から外して妹を見やる。 それに気付いたのか、はまどろみの中で微笑んだ。 殆ど条件反射とも言うべき微笑だ。 「余くんね、また夢を見てるの。」 ぼんやりと呟くの口調こそ、そのまま夢の世界へと旅立っていきそうな口調だった、始は本を閉じて、半ば何かを予言するように呟くの言葉を待っている。 「ちゃんと起きられるかな?ちゃんと帰ってくるかな?続お兄ちゃんの声は、届くかな?」 「――続が居るなら大丈夫だ。余はすぐにのところへ帰ってくるよ。」 最後には寝息が続いてしまった言葉に、始は言い聞かせるように応じた。 竜堂家の双子は、実によく夢を見る。 そのうち、余はどうやら前世というか、過去の夢を見るのに対し、は未来の夢を見ることが多かった。 正確に言えば、「未来を夢にみているようですね」と、続などは評する。 というのも、予知ともいえるその夢を、が細部まで覚えていることは皆無に近く、のちのちに「どうやら夢で同じものを見たらしい」という結論に落ち着くことが多いからだ。 もっとも、始や続に言わせれば、未来など知っていても面白くないと思っていたし、だからといってその力を頭から否定するほど頑なでもなかった。 未来など、分からないのが普通であるし、分かったところで手帳にスケジュールとして書くわけにもいかない。 むしろ、年長組が気にするのは、こうした曖昧すぎることを言われたときであり、始は眠ってしまったをそのままに、もう一度本に視線を落とした。 読書を再開したようにも見えるが、実はまるでその内容を読む気にもなれず、の言葉を反芻してみる。 余が、また夢を見たのだろうか。 は、何をそこまで心配していたのだろうか。 「戻ってこられる」か、「起きられる」か、そして「帰ってくる」のか。 あまり考えたくないことだが、どうやらは余が夢に捕らわれないかどうかを心配しているようだ。 だとすれば、そこまで鮮明な夢を見ているのだろうか。現実と見紛う程の。 そこまで思考がとんだところで、部屋の扉をノックする音が響いた。 始が遊離していた思考回路を足が付く高さまで引き戻すまでに、もう一度、先ほどより少し強い音が続く。 思い出したように返答すると、続が入ってきた。どうやら、余を連れ戻してきたらしい。 「我、夢に胡蝶となるか、胡蝶、夢に我となるか」 続が掻い摘んで今夜の話をすれば、始は荘子を呟いていまだ自分の膝で眠っているを見やる。 どうやら、が心配していたことは、杞に終わったにしろ、あまり軽視できる事態でもなかったようだ。 |
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