監督が唐突に連れて来たそいつの名前は、と言った。独身貴族の監督の姪に当たるらしいが、様々な家庭の事情からこの春監督に引き取られて氷帝に入学してきたらしい。 そこまでならまだしも、を溺愛する監督によって、こともあろうにテニス部のマネージャーに押し上げられたのだ。 はテニスのルールも、スコアの付け方も知らなかったし、そもそも本人の意思ではなかったから、盛大に眉をしかめた。 「使えないやつはお断りだ。監督の姪だかなんだか知らないが、特別扱いはないからそう思え。」 「分かりました。」 たった一言で返したは、コートから出ていく。まぁ懸命な判断だろうなと放置していたが、は監督の意向を無視したわけでもなかった。 自分で好んで入った部活に行き、しっかり練習したあとで、テニス部の部室を片付け、貯まっていた大量のタオルを洗濯し、ドリンクを作って、備品を確認し発注をかけて補充していく。大会を目前にコートに出ずっぱりだった俺達がそれに気付いたのは、が入部してからしばらくしてからのことだった。例年通り、1年がやっていると思ったのだ。だが、はマネージャーは自分だからと、選手は練習していろと、正面きって啖可を切ったらしい。 それなら好きにすればいいと、俺達もしばらくは静観していたのだが、クラブ委員会でテニス部の予算を例年より多く分取ってきた時には、流石に少し感心した。 「どんな魔法を使った?」 「秘技・嘘八百、です。」 聞けばはしゃあしゃあと答える。 自分の好きなことはしっかりこなしていくから、テニス部の練習に来るのだって、自分の部活が終わってからだ。だから、時には疲れ切った状態でふらふらしながら逆切れすることもある。 そんなときでも、半ば…というより、ほぼ監督の私情によってマネージャーにされたものだから、こちらが文句を言おうものなら次にはこの一言が待ち構えている。 「じゃあクビにすればいいでしょ?!」 絞め殺してやろうと思ったことは3度や4度では済まないが、1ヶ月も経つ頃には、部員のすべてがの存在を認めていた。は自分からは文句を言ったことはないし、自分が出来る範囲の仕事に対してはきちんと責任を持っていたから。 しかも、テニス部マネージャーの通過儀礼ともいうべきファンクラブの制裁も、あいつはさらっと流したのだ。前代未聞と言っても過言ではない。 「さっさとマネージャー止めなさいよ。」 「了解です。実は誰が一番早くそれを言ってくれるかひそかに期待していました。」 「――アンタ、馬鹿にしてるの?」 「いいえ?私だって太郎ちゃんが勝手に入部届けなんか書かなかったら、マネージャーなんてやりませんもん。もうもの凄く凄いストレスです。あまりのストレスさに、そのうち報復と称してレギュラーの先輩達の写真とか撮ってうりさばきそうなくらいです。」 「そう、榊先生のご意向ならしかたないわね。ストレスが貯まったら私達のとこに来なさい。」 「――はぁい。」 ことの顛末を聞いたときには、流石の俺も絶句した。 ファンクラブをやり込めるための詭弁だと、忍足などは言うが、最後に答えたときの間を考えると、俺は本心だったと確信している。詭弁かどうかはともかく、幸いにもあいつにカメラを向けられたことはないが。 そして、最近気付いたことだが、つねにぎゃんぎゃん言い返してくるあいつは、実は部員やレギュラーにいい影響を与えているのかも知れない。いつもなら大会前はどこと無くピリピリしているのが常だが、今回ばかりはそれもなく。 ある日の岳人との会話なんて、あんまりくだらなさ過ぎて聞いてるこっちが呆れた程が。 「だー!上手くいかねぇ!!」 「当たり前です。初めて挑戦することなのに、最初から上手くいったら、練習する意味ないです。」 「つったって、もう大会まで間が無ぇのに!」 「じゃあ、今ある武器で戦えばいいのに。付け焼き刃で覚えたものよりよっぽど頼りになると思うけどなぁ…。」 「――そりゃーそうだ!」 それで納得するなら最初から悩むなよ岳人。 そう言う自身は、テニス部のマネージャーを掛け持ちしながら、自分の部活の方で全国大会への切符を手にしていた。ただし、個人戦で。個人戦と言えば、各都道府県で多くても2名程度だろう。は東京都の個人代表として、9月に行われる全国大会への出場が決定している。 遥かに多い枠を持つテニスで、俺達が負ける訳にもいかない。 それにしても、と、問い掛けてみる。 「何で選抜試合の日、言わなかった?言えば応援くらい行っただろうが。」 「先輩達、弓道に興味あったの?」 「いや、ねぇけど。」 「じゃあ、テニスの練習してた方が有意義じゃないの?試合、近いんでしょう?」 むしろが弓道部に入っていたことすら、初めて知った。 だけど、そういう問題じゃない。俺達はにサポートをしてもらってる身だ。だからこそ余計な雑用はせずにテニスだけに没頭出来る。対してははサポートをしながら、弓をしているのだ。フェアじゃない気がしただけだ。 それを告げれば、はとても不審そうに呟いた。 「跡部先輩でもそんな殊勝なことを言うんですね?!」 「テメェ、、この場で犯されてぇか?」 「嘘ー!嘘ですー!」 きゃーっと逃げたは、俺から距離を確保すると、笑って叫ぶ。 「じゃあ、私がこんなに頑張ってるんだから、先輩方も勝って下さいよー?」 「じゃあって何だ、じゃあって。」 イヤミでもなく激励でもない言葉で、あいつは俺達を励ます。だが、俺達はの酷く適当で、だけど心からの言葉に、答えてやることが出来なかった。 「ゲームセット!ウォンバイ青学!」 青学に負けた俺達は、全国への道を絶たれた。どうであれ、結果は変わらない。様々な要素があったとしても、結果として青学が氷帝より強かったということだ。 それが分からない訳でもないだろうに、は涙でぐしゃぐしゃの酷い顔にする。そして、生意気な一言を言うルーキーの安い挑発に、はものの見事に乗せられた。 「まだまだだね。」 「何よ!あんたたちなんか、あんたたちなんか、次はめためたにやっつけてやるんだからー!!!」 びしぃ!っと、越前に向かって人差し指を突き出したに、青学の面々はもちろんのこと、氷帝の面々まで固まったのは無理もない。 めためたってな。お前は小学生かよ。まぁ半年前までは小学生だったんだろうけど。 ぷっと吹き出した不二に、は毛を逆立てた猫の如く睨み付ける。突き出された人差し指を軽くつまみながら、越前は面白いオモチャでも見つけたように笑って、の泣き顔を覗きこんだ。 「へぇ、アンタが相手してくれんの?」 「わ、私じゃなくて、先輩達が!青学なんてこてんぱんにしちゃうんだからね!!」 はからずとも、氷帝テニス部200名の心境を代弁したであろうは、握られた指を大急ぎで取り返して後退った。 「楽しみにしてるよ。」 越前はそれだけ言って笑う。べーっと舌を出すを、どうやら青学の面々は気に入ってしまったらしい。何となくそれが面白くなくて、俺は樺地に視線だけで命令した。 「うひゃっ!」 担ぎ上げられて間抜けな声を上げるを見上げる。放っておいたらいつまでもぎゃんぎゃん言い続けそうなを強制的にコートから出して、俺達は試合会場を後にした。むろん、送迎のバスが来ている駐車場につくまで、はそのままで。 恥ずかしいだの何だの言って、まだ泣きながらぎゃんぎゃん騒いでいるは、盛大に俺に苦情を申し立てている。 「何よー!俺様!あほべー!せっかく、せっかく…!誰のせいで泣いてると思ってるのー?!」 「ああん?俺達のせいだろ?他に何かあるのか?」 「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」 散々文句を言っているは、多分気付いていないのだ。そうして口にする人間がいることで、俺達が溜め込まずにすむことを。現にもうレギュラー達は、呆れたような苦笑で喚き立てるを見ている。 もういい加減泣き止めと思い、ごく当然のように切り返せば、は唇を噛んで涙を押し止めようとする。だが、結局上手くいかなくて。 「くやしい」 押し出された言葉は、俺達全員の次の目標を定めた。 ぽんっとの頭を撫でれば、は涙でぐしゃぐしゃのまま、笑う。 「泣くな。次は、全国に連れていってやるから。」 |
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