関越自動車道で、当事者からすればなんとも傍迷惑な理由から大惨事が起きてからちょっとした頃、東京都中野区の哲学堂公園から程近い住宅街の一角にある古くて堅牢な洋館風の木造建築の邸宅では、末っ子の竜堂が、リビングのソファで膝を抱えてゆらゆらと左右に揺れていた。 「終お兄ちゃんと余くん、遅いねぇ…」 そろそろ時計の針は11時を指す。13歳のからすれば、もうそろそろベッドに入っていてもおかしくない時間であったが、どうやらは自分の片割れである余を待ちたいらしい。 半分、というよりは、殆ど夢の国に片足を突っ込んでいる妹に、竜堂続は本日3度目の言葉をかけた。 「ちゃん、眠たかったら寝てしまってかまいませんよ。終君と余君が帰ってきたら、ちゃんと起こしてあげますから。」 三月末の大雨に肌寒さを感じてはと、次男の続は妹にまで礼儀正しい口調で言いながら、毛布を持ってくる。無意味にゆらゆらとゆれていたを、眠たいのだろうと判断した続は、その毛布で小さな身体を来るんでやりながら、白皙の美貌で微笑んだ。 「ありがとう、続お兄ちゃん。でもだいじょうぶー!」 「そうですか?では言い方を変えましょうか。もうそろそろ、寝る時間ですよ?」 「う〜んと、それじゃあ余くんが帰ってきたら、一緒に寝るから。ね?」 三男の終であれば、裸足で逃げ出す笑みにも、は動ずることも無く膝を抱えてゆらゆらゆらゆらしたまま、にっこりと笑いかえす。うふふふ、と笑う妹の隣に腰を降ろして、続は愛妹を抱き寄せた。 「始お兄ちゃんは、まだ鳥羽の叔父様と話してるのかな?」 「そうですね、兄さんも災難です。」 「叔父様じゃなくて茉理ちゃんだったら大歓迎だったのにね。続お兄ちゃん寒くない?入る?」 「僕は大丈夫ですよ。まぁ、茉理ちゃんだったら兄さんが眉間に皺を寄せる必要もなくなりますけどね。おや、帰って来たようですね?」 そんな他愛も無い話をしているうちに、どうやら続は弟たちの気配を感じたらしい。軽快な動作でソファから立ち上がる。もそれに続こうとしたが、包まった毛布を踏んづけてソファの上で転げてしまった。続は苦笑を浮かべての脇に手をやり、毛布ごとを抱き上げると、そのまま玄関ホールに向かった。 まったく足音を立てずに、だけど歩調を緩めているわけでもなく、いたって普通に歩いていたのだが、こっそりと玄関に入り、眠っている余をホールに引き摺り上げていた終は、その気配にまったく気付いていなかった。 「誰ですか、ただいまも言わずに家に上がりこむのは。」 従って不意打ちにかけられた次兄の声に、終は余を半分抱えたまま飛び上がり、振り返って妹を抱えた兄を確認した終は、思わず直立不動の姿勢をとった。 「た、ただいま続兄貴。」 「お帰り。」 「お帰りなさい、終お兄ちゃん。余くんも。」 「遅かったですね、終君。十時までには帰るという約束でしたよ。」 「悪かったよ。でもちょっと事情があって。」 「二人してびしょ濡れだし、何だかとっても災難だったみたいだね。終お兄ちゃんも余くんも、わたしを置いて遊びに行っちゃうからだよ?」 双子の片割れと、兄の姿をまじまじと見てから、は頬を膨らませて言う。一言言うために二人が帰ってくるのを待っていたのかと、続は苦笑してから抱えていたを床に降ろした。身長の関係から、今度は上目遣いで自分を睨んでくる妹に、終も苦笑いを浮かべて応える。 「悪かったよ、。でも優待券は2枚だけだったし、始兄貴がいいって言ったからさ。」 「うん。知ってる。だから今日は、変わりに続お兄ちゃんが映画に連れて行ってくれたもの。だから、言ってみただけー!」 「ちぇっ。なんだよ、それならいいじゃないか。映画って何見たんだ?」 「えへへ、トランスフォーマー見たの。バンブルビーが可愛かった!」 「へぇ。バンブルビーってロボットだろ?可愛かったのか?」 「可愛かったよ!その後でね、苺のケーキ食べたんだ!」 「へぇ。何だかんだ言って、俺や余よりのほうが充実してたんじゃないか?こっちなんて、雨に打たれた挙句、高速道路を延々とローラースケートで帰ってきたんだぜ?」 「はいはい。君たちいい加減にしなさい。ちゃんはタオルを持ってきてもらえますか?このままでは余君が可愛そうですし、終君ももしかしたら風邪を引いてしまうかもしれません。」 「分かった!」 「また毛布を踏んで転ばないでくださいよ?」 「はぁい!」 言いながら走っていってしまった後姿を苦笑で見送りながら、終は余を抱えなおす。 「終君も、事情は始兄さんに話してください。後でいいですから。」 「後でって?今じゃなくていいの?」 「兄さんは今応接室でお客に会っていますから。先に余君に薬を飲ませて寝かせておいでなさい。」 「お客って、誰?」 「叔父さんが来てるんですよ。」 「招待したの?」 「まさか。押しかけですよ。」 その一言だけが妙に冷ややかな響きを含んでいて、終はそれ以上は軽く首を竦めるだけに留まった。直ぐ上の兄が叔父を嫌っていることは今に始まったことではなかったし、終自身も積極的に会いたいと思う相手ではない。どうせ叔父が用があるのは家長の始だけであるし、こういう面倒ごとに進んで首を突っ込む必要も無い。 「終お兄ちゃん!タオルいっぱい出したよ!」 の間延びしたような声が、続の冷ややかな空気を打ち砕く。終の代わりに「いまいきますよ」と応えて、続はまた向き直る。 「ほら、終君。早く余君を拭いてあげてください。僕は兄さんにお茶を淹れ直してきますからね。」 「はいよ。」 短く答えてから、ひょいっと弟を抱えてリビングに向かうと、ソファにはが用意したタオルが背もたれに大量にかけられており、の姿は無かった。 きょろきょろと見回しながらも、余の濡れた服を剥いでタオルで拭いてやっていると、背後でパタパタと足音がした。 「終お兄ちゃん、これ、着替え。余くんの分も。」 「おう!さんきゅ!」 「大丈夫?凄く冷たくなってる。」 「あぁ、まぁ、大丈夫だろ?俺も余もそんなにヤワじゃねぇし。それより、俺腹減っちゃったんだけど、何かある?」 「晩御飯の残りのシチューならあるよ。温めておくから、終お兄ちゃんはシャワーでも入ってきなよ。」 手早く余を着替えさせている姿を眺めながら、はのほほんと笑う。終は余を着替えさせると、もう一度抱き上げて部屋に運ぼうとしたが、がそれを引き止めた。 「お兄ちゃん、余くんはこっち。」 「こっち?」 「うん、こっち。」 こっち、と言いながら、が指差したのは、先ほどまで自身が膝を抱えてゆらゆらしていたソファで。 「でも。余はもう寝てるぜ?」 「いいの。余くんはこっち。」 ベッドの方がいいんじゃないの?と、思いつつも、続でさえ無条件で許してしまうほどの笑顔に、終が勝てるはずも無い。それでなくても自分を含めた兄弟たちは、紅一点の妹には甘いのだ。 結局終も、溜息一つで負けを認めて、深い眠りに落ちてしまっている余をの望みどおりにソファに落ち着かせてやった。 |
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