「それはきっと、色鮮やかな世界だと思うんです。」 唐突にそう呟くアレンの足下に、その手が掴んでいた残骸がぼとりと落ちた。 しゅうしゅうと音を立てて、それが落ちた地面は悲鳴を上げる。 降り積もった雪がそこだけ溶け出すのは、アクマが消滅されるときに熱を発しているのか、それとも壊された身体から溢れた血液の温度によって溶かされているのか。 いずれにしろ、美しいと思うのはその白い雪と黒い地面と紅い血のコントラストだけで、匂いは酷いものだった。 身体は当に死んでいたのだから、腐っていても無理はない。 そこまで考えて、アレンはふっと笑った。 「もう死んでしまっているのなら、その血が暖かいはずもないですね。」 呟かれた声は、誰に答えられる訳もなく、爆音の中に消えていく。 ゆるりと見上げた視線の先には、まだ何体ものアクマがこちらを見下ろしている。 人海戦術さながらの数で押し寄せたレベル1のアクマの群を、左目が捕らえた。 きゅいんと小さく鳴いて、アレンの目はそれらに照準を合わせる。 それは酷く見慣れた黒白の世界だ。 先ほどまで見えていた、少し曇った灰色の空も、雪の白も地面の黒も、そこに馴染んだ血の紅さえも、今は平等に白と黒。 視線を空に固定したまま、横から襲ってきたアクマは一瞥もせずに握り潰す。 ぐしゃりと、嫌な音が鼓膜を擽り、嫌な感触が対アクマ武器を通してアレンの神経を伝った。 彼らの目には、自分が今どう映っているのだろう。 アクマの骨組みには、眼らしきものは無い。 ならば、彼らは彼らが被った愛しい者の見る物を、彼らが見ていることになる。 愛した人間が見る世界は、どれほどに美しいのだろう。 アレンは地面を軽く蹴りながら考える。 その目に映るものが全て獲物に見えても、全てが敵に見えても、それでも美しいに違いない。 遠くでオレンジ色の炎が上がった。 きっとそこには、鮮やかな赤をまとったラビが戦っているのだろう。 更に遠くで青い閃光が走った。 きっとそこには、艶やかな黒をまとった神田が戦っているのだろう。 ぐしゃり。 またも、無造作に、目の前のアクマを排除する。 不愉快なにおいを纏った小さな紅い飛沫が、顔をぬらした。 それでも、アレンの視界には黒い雨が降ったに過ぎない。 『アレン、お前を、愛しているぞ』 唐突に脳裏に響いた声に、アレンはふと振り返る。 視線の先で、空気が走った気がした。 そこではきっと、抜けるような白い肌のリナリーが戦っているのだろう。 それでも自分の視界にはざらついた様な白い影が走るだけだ。 溜息を漏らした。 視線をそらした隙に、何体かのアクマが放ってきた弾丸をモロに受けてしまう。 体の中がぞわりと蠢き、だけどそれはすぐに洗い流されていく。 もし、ここで自分が死んでしまうなら、愚かな自分を知っている愚かな誰かが、この名前を呼ぶのだろうか。 この皮を被ったら、その目に見える世界は黒白の世界なのだろうか。 「アレン!」 誰かが、まだ生きている自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。 戦闘の最中に詮無きことを考えて、逸れていた意識が呼び戻される。 反射的にそちらを向いてみたが、めまぐるしく変わる白と黒の世界に、自分を呼んだ相手が誰かも判別出来ない。 曖昧に微笑んで、アレンは自分にアクマの血の弾丸を浴びせかけた相手に向き直る。 寄生型のイノセンスを持つアレンには、毒を帯びたアクマの血の弾丸が効かない。 そのせいで、それを浴びることに関して、アレンは無頓着すぎるほど、無頓着だった。 「アレン!」 それを咎めるような声で、もう一度仲間が彼の名を叫ぶ。 「大丈夫。」 相手にだってこちらを気にする余裕がないことを弁えて、アレンは己のイノセンスを変形させる。 その間にも、左目はかしゃりかしゃりと音を立て、視界の先に何体のアクマがいるのかを正確に捉える。 そして、変形したイノセンスから放たれる、アクマと同じ数の光の槍。 疲れたような表情で、アレンは目をそむけた。 静かに目を閉じると、左目も元に戻っていく。 落ち着いてくるのを待ってから、アレンはゆるりと目を開いた。 そこらじゅうに、アクマの残骸が散らばっている。 それらは全て、愛する者との離別に耐え切れず、千年伯爵の手の上で踊らされただけの哀れな人間に過ぎない。 愛する者を失った世界が、どれほど悲しいものか、アレンは知っている。 その名を呼んでしまうことの愚かさも知っている。 だけど、アレンは名前を呼んだ後の、もっとも暖かい棺桶の中までは知らなかった。 「貴方たちが見た世界は、愛する人の目を通してみた世界は、どんなものでしたか?」 そっと呟いて、打ち砕かれたアクマの骨組みに触れれば、そられはさらさらと崩れ落ちていった。 「きっと、黒白なんかじゃなくて、色鮮やかな綺麗な世界だったでしょうね。」 ゆるりと立ち上がれば、煙の向こうで綺麗な白と黒と赤を持った仲間が、自分の名前を読んでいるのが聞こえた。 |
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