Replica * Fantasy







蝶よ花よと慈しむ





徹夜続きで頭痛の局地もピークを過ぎ、そろそろ麻痺しかけてきた頃、何日かぶりにコムイは食堂に姿を現した。


「ジェリー、コーヒー入れて。うんと濃い奴。」


焦点の合わない目でそれだけ言えば、思ったよりも重傷そうな姿にジェリーも軽口を叩くことなく無言で首だけを振ってこたえた。
厨房へ入っていく後ろ姿を視界の端で捕らえながら、コムイはふらふらと空いている席に倒れ込むようにして座る。
一気に疲労感がましたようだ。
ぐだぐだと何かを呟きながら、テーブルの上に行儀悪く腕を投げ出して突っ伏すように頭が降りてくると、頭がテーブルにたどり着く前に、視線の直線上に愛すべき妹たちの姿が映った。
食堂の片隅を占領して、その一角だけテーブルの上には所狭しと皿が並んでいる。
楽しそうな声も聞こえてくるが、さすがにこの距離だと会話の内容は分からない。


「なんかリナリーが新しいレシピに挑戦したみたいっスよ。」
「あぁ、それでアレン君ね…」


突然、向かい側に現れたリーバーは、まるでコムイの思考を読み当てたかのように苦笑しながら言う。
それに違和感無く答えてから、コムイは思い出したかのように問いかけた。


「何でここにいるのさ?」
「リナリーがいないとなると、コーヒーが飲めるのはここしか無いでしょーが。」


なるほど、確かに若さの差か、コムイよりは余力があるものの、リーバーの目の下にも立派すぎる程のクマが出来ている。


「はい、おまちどーん」


そのまま、何となく会話も続かないままぼんやりとしているうちに、二人分のコーヒーを持ったジェリーが現れ、同じようにしてコムイの隣に腰を下ろした。


「料理長自らとは恐れ入ります。」
「仕事はもういいんですか?何かガラガラみたいですけど…」


濃厚な味のコーヒーを含みながら口々に言えば、ジェリーは呆れたように答える。

「忙しいのも分かるけど、二人とも完全に時間感覚がずれるまで籠もるのは不健康よ?今は真夜中で、アタシの仕事は片づけから仕込みまで終わってるわ。」


だからダイジョーブ☆


と、語尾に星までつけてウィンクをする料理長に、黒の教団の室長と科学班班長は揃って苦い笑みを浮かべる。


「それで、リナリーたちは何もこんな時間に何してるのさ?」


さすがに遠く離れた位置まで聞きにいく気力はないのか、行儀も悪くべしゃりとテーブルに崩れたままでコーヒーカップにかじりついたコムイは、面白くなさそうに呟く。


「ちょっと前までリナリーちゃんに付き合ってたのよ。そしたら、アレン君がお腹空いたって起きてきたから、試食してもらうことになったの。そこにラビと神田が任務から帰ってきて、便乗したというわけ。」
「え〜、任務報告もしないでサボってるの〜?」
「あぁ、それで神田、機嫌悪そうなのか。」


不機嫌を装っているのか、疲労感からか、間延びしたコムイの口調より苦笑を浮かべたままのリーバーの方が、少し的確に状況を把握しているようだった。
どうせ便乗したのはラビで、神田は強引に席に着かされたのだろう。
嫌がる割にも体は空腹を訴えていたものだから、不本意ながらも黙々と箸を進めているわけだ。


「神田君め、リナリーの手料理を食べてるくせに、何が不満なんだ。」


変わらず、面白くなさそうにコムイが呟けば、相席している二人は面白そうに答える。


「リナリーちゃんも、大変ねぇ…」
「兄と言うよりは、頑固親父の領域っスね…」


実際、十以上も年が離れている上、早くに両親を失っていれば、父親にならざるを得なかったのだろう。
まして、リナリーは物心が付くか付かないかで、半ば拉致されるように黒の教団に引き取られてきたのだ。
コムイの並々ならぬ努力のおかげで、現在は元気に暮らしているものの、一時は狂気に侵されそうになったとあれば、コムイが過保護になる理由としては十分すぎるくらいだ。


「………………。」


しぶしぶといった感じを隠そうともせず、コムイは行儀悪く音を立ててコーヒーを一口啜ると、頬杖をついて賑やかな一角を見やる。
そのままその一点を凝視するように見ていたコムイは、ふと口を開いた。


「ねぇ、あれくらいの頃、君たちは何してた?」


答えを期待しているような、それでいて何となく答えを知っているような、なんとも心許ない口調だ。
リーバーとジェリーは揃って顔を見合わせると、これまた図ったように同じ動作で首を向け、若いエクソシスト達を見やってからそれぞれに答えた。


「アタシ、ちょうどあれくらいに家を飛び出したのよね。」


さらりと言って、黒の教団を影で支えている料理長は懐かしむように答える。


「俺は…好きなことばっかしてましたねぇ…」


いささかげんなりとした口調で呟いたのは、若気の至りという言葉を思い出したのか。
正確に読みとるなら、リーバーの言い分は「好きな物ばかり学んでいた」ということになるのだろう。
もう少し全般的に学んでいれば、今頃はここよりも体に優しい職場を選択することも出来たのかもしれない。
しかし、それぞれの茶化すような答えに、コムイは乗ってこなかった。


「僕は、勉強をしてたよ。ここに僕の必要性を認めさせるためにね。」


吐き捨てるように、静かな声で言えば、苦笑ともつかない笑みを浮かべていたリーバーとジェリーは同時に口を紡ぐ。
 無理やり引き離された唯一の家族が、悲しみのあまり狂気になりつつあると聞いたとき、コムイはすでに己の進むべき道を定めていた。
 そうして黒の教団に入り、実力で先代の室長とやりあった話は、ある程度の年齢に達した団員の中ではちょっとした語り草になっている。
 妹のためもあっただろうが、コムイはそれまで日常的に行われてきたイノセンスの適合に関わる非人道的なやり方を一掃し、エクソシストだけではなくサポーターやファインダーに対する待遇も改めた。
 そういった内部の問題をあらかた片付けてしまった後は、息をつく間も成しに千年伯爵とのイノセンス争奪戦の指揮を執っている。
 何より心配だった妹がすっかり元通りになった今、安堵してしまったのか、いくつか螺子が抜けてしまったようだが、それでも今も昔も変わらずに第一に信頼されているのは、その実績がモノをいっていた。


『世界を救う前に、まず、世界を救うための働きをしている人を救いたい。』


 口に出してこそ言わないが、コムイは常にそう考えている。
 自分自身はイノセンスの適合者ではなく、直接的に戦うことが出来ない身であるからこその信念でもあった。


「それでもねぇ…僕がアレくらいのときに勉強していたのは、自分で決めたことだったんだ。」


 ぼんやりと呟くような口調に、リーバーとジェリーは返す言葉も見つけられないでいる。


「あの子達は、自分で選んだ道を歩んでいると思っているのかな?」


 ぼんやりと定まらない思考の中には、常にある罪悪感が蟠っている。
 自分が、そうさせているのではないだろうか。
若者たちの様々に伸びた道の中から、もっとも過酷な道を選ばざるを得ない状況にさせていたのではないだろうか。
 子供たちは、今の自分は自分自身で選んできた結果だと思っているのかもしれない。
それでも、考えずにはいられないのだ。
 ずっとコーヒーを啜れば、今の心境と合いまったような苦い味が、口の中に広がっていく。
 徹夜明けを理由に、いつもより何倍も濃く淹れられたコーヒーの味は、頭の芯までも痺れさせようとしているように苦い。
 今更それに気付いたかのように、コムイはせっかく淹れてもらったコーヒーを軽く睨んで、おもむろにカップをテーブルに戻した。


「ねぇジェリー、このコーヒー苦くない?」
「貴方か濃くしてっていったんじゃない。」


 わずかに戻ったコムイの調子に、ジェリーはどこかで安心したように応じる自分がいるのを感じていた。
 そうだっけ?と、得意のお惚けをかましながら、コムイはのらりくらりと標的を変えて続ける。


「リーバー君、ちょっと頂戴。」
「全部飲まないで下さいよ?」


 ジェリーと同じように、苦笑を浮かべながらリーバーがコーヒーカップを差し出す。
自分のそれよりはるかに薄いコーヒーをひと口ふた口含んでから、コムイはふっと溜息を持たした。


「神様もさぁ、残酷なことをすると思わない?」


 視線の先には依然として、楽しそうに試食会を繰り広げている、若すぎるエクソシストたちがいた。


「どうして、あんなに前途有望な子供たちばかりが、イノセンスの適合者なんだろうね……」


『指令を出すだけじゃなく、自分で行くことが出来るなら。』


それはコムイに限らず、戦うことが出来ない者が一度ならずと思うことだった。
 真剣に、そして仲間を大切に思っていれば思っているほど、それは狂おしいほどの無力感となって押し寄せてくる。
 せめてそれをエクソシストたちに知られないように振舞うことが、最低限度の仕事だった。


「あの子達は、それほど悲観的じゃないと思うわ。」


 慰めるように、ジェリーは言葉を選びながら紡いでいく。


「誰かのために戦えることを、きっと誇りに思っている。自分で選んで、そうしているのよ。」
「あいつらみたいな若い奴らが体張って働いているときに、俺たちみたいないい大人が何も出来ないというのは、結構堪えますからね。俺だってせいぜい胸を張れる程度には、働きたいと思ってますよ?」


 ためしにコムイが頼んだ特濃コーヒーを口にして、思わず舌を出しながらリーバーも相槌をうつ。
 それでもコムイと目を合わせず、未だ静まるどころかだんだん盛り上がってくるエクソシストたちにも視線を向けられずにいるのは、自分も同じように思っているからだろうか。
 大人二人の言い分に、コムイは苦笑を浮かべる。
こうして、同じように思ってくれる仲間がいることは、幸せなことだ。
 同じように見守ってくれている人がいるということは、最前線に送り込まれる彼らにも心強いことだろう。


だけど…
それでも……



「それでも僕はね、出来ることならそんなことはさせたくないんだよ。」


 静かに目を伏せて、もうひと口コーヒーを含む。



蝶よ花よと慈しみたかったんだ。






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2006/06/23 



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