ごく当然のように部屋についてきた白い子供は、部屋に入るなり彼のベッドを占領すると、我が物顔でその上で丸まった。 まるで、大きな白猫だな、と思いつつも、自然とその行動に不快感を抱かせないその子供に、諸手を上げて降参の意を示すと、白い子供は「何ですか、それ」と力なく微笑んだ。 それっきり会話の途絶えた部屋で、自分も手持ち無沙汰になってその辺の本を手に取り、なんとはなしに意識を取られていると、気付けばいつの間にか、白い子供はまじまじとこちらを見詰めていた。 何か用かと問いかける前に、子供はベッドに転がったまま問いかけてくる。 「眼、視えますか?」 自室で床に座り込んで、ベッドに背を預けながら本を眺めていたラビは、一瞬掴み損ねたような表情で顔を上げた。 くっと首をそらし、のけぞるようにして、自分のベッドに横たわるアレンに眼を向ける。 どうやら本にばかり気を取られている自分に対して、すねてしまったわけではないらしい。 視線の先に捉えた白い子供の表情は、いつもと変わらない、どこか遠くの人に想いを馳せているときの表情だった。 膝の上に載せていた本をそのまま床に放り、ラビは冬眠から覚めたばかりの獣のようにゆるりとした動作でベッドの上の住人に向き直る。 「眼って、コレ?」 分かっていて、悪戯に笑いながら眼帯の無い方を指せば、アレンも苦笑めいた微笑を返してベッドに転がったまま首を振る。 「こっちです。」 言いながら、おっかなびっくりという体で触れてきた左手は、ラビに心地良い熱を伝えてきた。 一見して強張ったように見える真っ赤なその手は、意外なほどに柔らかい。 拒否の反応を示さないラビに、アレンは好奇心旺盛な子供の如くベッドから身を乗り出すと、そのままラビの右目に触れようとした。 その眼帯の下に何があるのか、見極めようとするように。 「アレン、くすぐったいさ。」 ラビの言葉に、アレンは一瞬だけ手を引っ込めたが、ちょっと笑ってまた同じようにラビの顔に触れ始める。 大胆なようでいて、実はいつ咎められるか気にしながら、それでも触れてくるアレンの手は、想像以上にラビに甘美なくすぐったさを与えていた。 ラビはしばらくアレンの好きにさせていたが、右目を覆う眼帯を取られそうになって、さすがにその手を止める。 「アレン」 見た目はごついくせに、実際に掴んでみると折れそうなその手首を掴んで、静かに名前を呼ぶ。 伺うような表情でこちらを見てくるアレンを、ラビは真正面から見据えた。 「この眼は何も視えないさ。」 ラビの言葉を、噛んで含めるように間をおいてから、アレンは自分の手首をラビの手の中に残したまま笑い、ただ一言答えた。 「そうですか。」 安心したような、それでいてどこか寂しそうな、二つの相反する感情の、そのどちらもうまく押し殺しきれなかった表情は、わずかにラビの眉間にしわを寄せた。 アレンは時々こういう表情を見せる。 口に出しては決して言わないが、それはラビにとって、あまりいい経験とは繋がらないものだった。 隙有らば、いつでも「ソレ」を自分に向ける意思を持った表情だ。 アレンはソレを否定も肯定もしないままに、少し笑ってラビの顔を覗き込む。 「どうしたんですか?怖い顔してますよ?」 その原因を知ってるのかいないのか、困ったような表情に、ラビは内心を押し殺して微笑む。 「何言ってるさ、俺はいつでも可愛いさ。」 「かわ…」 思わず言葉を失ったアレンは、次の瞬間には声を押し殺したまま静かに笑い出した。 うん、こっちのほうが、よっぽど健康的さ。 ラビに腕を取られたことも忘れたように、アレンはひとしきり笑ってから、ようやく顔を上げた。 せっかく、そのほうがいいと思ったのに、笑いを収めたアレンがあげた顔には、もういつものつかみ所のない表情が張り付いていた。 それでも、笑みの名残を目元に残したアレンは、わずかに滲んだ涙もそのままにラビに問いかける。 「どうして眼帯を?」 「視て、楽しいものじゃないから。」 いつもの通りに答えたはずなのに、それでもラビの声は少し強張っていた。 コレは、外せない。 少なくとも今は、外してはいけない。 そう決めて、今までそうしてきたのだから。 その僅かに緊張をまとったラビの空気を読めないのか、それともただ知らないふりをしているのか、アレンは微笑んで応じる。 「僕は平気ですよ。」 笑っているけど、その眼は少しも笑っていない。 どこかラビとは別の緊張を孕んだその視線を受けて、白い子供より少しだけ大人の少年は同じように笑っていない左目だけをそのままに、笑うふりをする。 「俺は平気じゃない。」 アレンの赤い左の手の甲に埋め込まれたイノセンスに、愛しむように唇を触れて、続ける。 「アレンに視られたくない。」 自分の赤い手に触れるその唇をぼんやりと眺めながら、アレンは一瞬、血の気が引くように押し流された笑みを、再び拾い上げるように微笑を浮かべた。 それは先ほどよりも、少しだけ楽しそうな微笑で。 「じゃあ、僕も眼帯をしましょうか?そうしたら、おそろいですね。」 「どうしてアレンが眼帯なんてするんさ?」 一拍置いてラビが、その調子に合わせるように苦笑を浮かべながら問い返せば、白い子供は真顔になって答えてくる。 「だって、黒の教団はアクマを払う聖職者集団なのに、その中に呪われた人間がいるなんて騒がれたら、信用を無くすと思いませんか?」 冗談めいていても真顔で答えるアレンに、ラビはもう一度その手の甲にゆるりと触れながら呟いた。 「しなくていい。」 「どうしてですか?」 「………」 言わないと、分からないのか。 それとも、言わせたいのか。 そう思った一瞬だけ、表情をなくしたラビに気付いたのか、アレンは困ったようにラビを見据えて、弁解するような口調で言葉を続けて紡ぐ。 「心配しなくても、眼帯をしたってアクマはちゃんと見えますよ?」 だから、自分の利用価値になんら障害はないと、アレンはそう言いたいのだろうか。 あいにくと、そんな言葉を聴きたいわけではないラビは、低い声で応じた。 「そういうことじゃない。」 どうにも話が噛み合わないのは仕方がない。 しかし、これ以上感覚が噛み合わなくなることには、危険なシグナルが鳴り響いていた。 ラビが黙り込んだその隙に、手を取り戻そうと、そろりと左手を動かすアレンに、ラビは少しだけむきになってその手を掴む力を強めた。 「アレン。」 「何ですか?」 戸惑った視線を向けてくる白い子供に、少しだけ彼より長く経験を積んだ少年は、真っ向から見据えて問いかけた。 「言いたいことは、はっきり言うさ。」 その一言に、アレンはラビの視線に耐え切れなくなったように視線を泳がす。 しかしラビはその追及の手をとめることはしなかった。 「ここはエクソシストのホームさ。俺らはみんな家族さ。だから、ここの人間に遠慮はいらないんさ。」 そこまで言ってから、ようやくラビは掴んでいたアレンの手を開放した。 そして、ゆるりと笑いながら、それでもその視線はそのままにアレンを見据える。 アレンはしばらくラビに掴まれていた部分を押し抱くように右手で掴み、何度か口を開きながら、同じ回数だけ言葉を飲み込んでいた。 「僕は」 ややあってから、白い子供は酷く頼りない様子でようやく口を開いた。 考えて、考えて、考えた末に紡がれた言葉は、どうしても口には出来ない感情が溢れている。 「眼に、視えるものでしか、安心できないから」 酷く押し殺された、感情ぎりぎりの声。 「片目の貴方が、少し、羨ましかっただけです。」 矛盾した言葉。 しかし、白い子供より少しだけ大人の少年には、しかも実際の年齢よりはるかに大人の思考回路を持つラビには、その言葉の裏に潜む正確な願望を読み取ることが出来てしまった。 だか、それに応えることが出来ない少年は、少しだけ笑って、俯いた白い子供の頭をくしゃりと撫でて、一言呟いた。 「アレン。疲れたときに眼を閉じることは、何も悪いことじゃないさ。」 そのまま視界を塞ぐように抱き寄せて、ラビは未だに目の閉じ方を知ろうとしないアレンの背中を、優しくなでてやった。 |
(C) 2005-2009 Replica Fantasy 月城憂. Some Rights Reserved.