Replica * Fantasy







或る少年と或る少女





 窓の外は一面真っ白な雪で埋め尽くされている。
その中には、町があり、家があって、人が住み、樹や鳥や空も見えたが、少女にはその目が痛くなるような白しか視界に映らなかった。
その色は果てしなく気持ちを沈ませることしかしない。
 厳重に戸締りされた窓硝子に触れれば、冷え切った硝子には自分の手の体温との温度差によって、白い曇りが出来上がる。
 自らの意思に反して生まれ故郷から唯一の家族と引き離されて来た少女は、最初のうちこそ大人たちの隙を見て逃げ出そうと試みていたが、今ではもう気力すら失せてしまったのか、行く先々の宿でも、大人しく椅子に座り窓の外ばかり見つめている。
 音も無く一筋涙が零れ落ちた。


 あぁ、今日も雪は止みそうに無い。







墓に花が添えられる。
新しく建てられたばかりのそれは、まだ降り出したばかりの雪には埋もれていない。
だけど周りに見える景色のように、白に溶け込んでいくのも時間の問題だろう。
少年は墓の前に立ち尽くす。
 ほとんど関わりなど無かったけれど、彼の死を悼んでくれたごく僅かな人々の声も、少年の耳には届いていなかった。
 涙は音も無く流れ落ちる。
最初は慰めの声をかけてくれていた人も、時間の経過と共に温かい家へと帰っていった。
 日が暮れて、星が昇り、雪が止んでも少年は動かない。


 あぁ、このまま死んでしまえればいいのに。







朝、日差しを浴びて僅かに視線を上げる。
どうやら少女は椅子に座ったまま一睡もしていないらしい。
 音を立てて扉が開き、誰かが何かを話している。
 雪の所為で出発できない。
そんなようなことを言っていたようだが、少女は見向きもしなかった。
 昨晩と同じように窓の外に視線をやれば、宿のすぐ近くに小さな墓地が広がっているのが見えた。
 ぼんやりと眺めているうちに、白くなった地面に濃い影が落ちていることに気付く。


 あぁ、あの子も会いたい人がいるんだ。







 随分長い間立ち尽くしていた。
声は出ないが涙はまだ止まらない。
 少年は日が落ちたことも、星が雲に隠れたことも、雪がいつの間にか空から落ちてこなくなったことにも気付いていない。
 体中の水分が涙となって流れ出してしまったとしても、今の少年はそれすら気付かないだろう。
 不意にがくりと足が崩れて、暑く積もった雪の中に沈みこむ。
必要以上に奪われた熱と、飲まず食わずで立ち続けていたことによって、少年の気力と体力はもう底を尽きていた。
 立ち続けることも出来なくなった少年は、墓に寄り添うようにして座り込む。
もし動く体力が残っていたとしても、帰る場所も目指す場所も持ち合わせていなかった。
 酷く虚ろな視線が何かを求めるように虚空を彷徨って、枯れ木と格子窓の向こうに自分の方を見ている少女を捕らえる。


 あぁ、君も僕がいけないと責めますか?







 二人の視線がぶつかる。
近くも遠くも無い距離を挟んで。
 確かにお互いの姿をその視界に映しているのに、少年も少女もぴくりとも表情を変えない。
 お互い死んだ魚のように曇った瞳で見詰め合っているだけ。


 少女は思う。


 きっとあの少年も会いたいだけ。
遠く離れてしまった人が恋しいだけ。
 だから待っているんだ。
その人に会いに行けるのを。
 自分の命を引き換えに。


少年は思う。


 きっとあの子も会いたいだけ。
遠く離されてしまった人が恋しいだけ。
 だから待っているんだ。
その人が会いに来てくれるのを。
一縷の望みにかけて。


二人の視線が外される。
互いに苦しい存在を見詰め合ったところで、呼吸が楽になるわけでもない。
 窓辺に座った少女は、ゆるりと視線を自分の膝の上に落とした。
 墓前の雪に塗れた少年は、ぼんやりと墓碑に刻まれた名前を見上げる。


 あぁ、神様。
所詮人間なんて、独りきりの存在。







 慌ただしく声がかけられて、夜だというのに煌々と明かりが点けられてばたばたと影が動き出す。
 少女にとっては不愉快極まりない、薔薇を模した十字架の紋章を身につけた者は、此処に来たとき同様に少女の腕を力任せに掴むと、少女を引き摺るようにして宿を後にした。
 少女は自分がどうなってしまうのか、知らないまま、成されるままにしている。
 行き着く先がどこなのか、何のために連れて行かれるのか、自分はどうなるのか、少女には何一つ分からない。
ただ、分かっていることは、向かう場所にはたった一人の家族がいないということだけだ。
 それならば、と、少女は鈍くなった頭で考える。
 無抵抗、無反応、無関心を装うことこそが自分に出来る唯一のことなのだと。


 あぁ、あの少年はどうなっただろう?







 もはや涙は意志の力でどうにかできる代物ではなくなっていた。
思考回路は随分前から働いていない。
 ただ、時折吹く風の音が、自分を呼んでいる声に聞こえて、その度に視線を彷徨わせては絶望することを繰り返していた。
 何度か少女がいた窓辺にも視線をやったが、そこにはもうその姿は無かった。
 そういえば、先刻真夜中だというのに急に明かりが点いたのは、あの部屋だったかも知れない。
 しかし、別のことを考えていても、視線はすぐに墓標に吸い寄せられてしまう。
 彼の名前を呼んでみようとしたが、声を出すことが出来なかった。
 近くで雪がきしりと無く音が聞こえる。
「彼を、甦らせてあげましょうカ?」
 一瞬、空耳だと思ったのは、不可能だと分かっていたから。
それでも振り向いたのは、そうなることを望んでいたから。
 降り積もった真新しい雪を犯していたのは、横に長く伸びた耳と、見たことも無いデザインの帽子を被った、でっぷりと太った男。
 彼は続けて繰り返す。
「我輩が、彼を甦らせてあげましょうカ?」
 そして、何も知らない少年が奈落に落ちるのは数瞬後の話。
 彼の名前を呼ぶ直前に、ふと思ったこと。


 あぁ、あの少女はどうなるんだろう?







 或る少年或る少女
二人の宿命は同じなのに、今はまだ出会うことさえ許されない。






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2005/10/21 



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