雑踏の中を歩きながら問いかけてきた言葉に、顔色一つ変えずに答える。 「視えない敵に対して、こっちまで隠れてどうする。」 子供の師は言った。 いつも苦くて煙たいだけなんだから、体にも悪いし止めてくださいと、アレンに言われ続けている煙草の煙を吐き出しながら。 「そうすれば、近付いてくる奴等全員疑える。」 サラリと師は言う。 何の感情も見せずに。 人間不信だった僕を馬鹿にしたその口で、それを言うのですか? 「お前に、こんな不安は無いのだろう、アレン。」 名前を、呼ばれるのが好きだった。 だけど、そのときだけは無性にやりきれなかった。 「だけど、師匠も知らないでしょう?」 「何をだ?」 「……なんでもありません。」 酷く淋しい気がした。 結局、誰一人理解することなど、不可能。 これは、どうあっても自分が背負わなければいけない運命なのだと、思い知った。 赦されたいとは思わない。 それが当然のことだから。 自業自得なのだから。 だけど。 それでも。 通り過ぎてゆく、見知らぬ人の視線が、アレンの体中に突き刺さる。 白い髪に、顔の刻印に。 好奇の視線だけが、それの本当の意味さえ知ることも無く子供を傷つけてゆく。 うつむいたアレンに、師は無言のまま煙草をふかした。 「言いたいことがあるならはっきり言え、馬鹿弟子。」 子供の師は、彼の顔に向かって煙を吐き出す。 もろに副流煙を吸い込んで、アレンはごほりと噎せ返る。 わずかに含まれたメンソールに涙が浮かんだ。 煙によって誘発させられた涙を拭ってしまったら、更に溢れてきそうな気がして、アレンは懸命にそれを堪えながら、挑むように師を見つめた。 自分は真剣だったし、師も分かっているはずなのに、我関せずを貫き通す師が憎らしい。 「そうやって、誰も彼もを疑ってしか生きられないなんて、エクソシストは哀れですね。」 吐き捨てられる言葉。 その中に込められた嫌悪は、師ではなく自らに向けられたものだ。 自分を睨み据えている弟子に、彼はもう一度深くそれを吸い込んでから、白煙を吐き出した。 「お前がそれを言うのか?」 弟子の暴言を責めるわけでもない、低いトーンの声は余計にアレンを傷つける。 「なら、人を疑うことしか出来ない人間と、人を信じることが出来ない人間と、どちらがより哀れか答えられるのか?」 長身を誇る、赤毛に半分仮面を被った男と、小柄なのに一見老人にも見える少年という二人連れは、通りを歩む人々の視線を否応無しに釘付ける。 まただ。 また僕を突き刺してくる。 『痛い。』 師の言葉を真っ向から返せないアレンは、唇を噛んで涙を堪える。 最初から分が悪いことなど承知だ。 負けていることも分かっている。 だけど、それでもアレンは師の視線から逃げようとはしない。 通り過ぎる人々は、好奇と奇異の視線を投げかけてくる。 「俺は言いたいことがあるなら言えと言ったんだ。お前に言う気がないなら、ないならもう黙れ。」 師は無表情に煙を吐いて、淡々と言う。 アレンは唇が裂けるほど強く噛んで堪えた。 彼が言おうとしていることは理解している。 しかし、いつまでもそれに甘やかされている自分がくやしい。 駄目押しと言わんばかりに、師は続けた。 「俺はお前が言いたくない言葉まで聞いているほど暇じゃない。」 最後まで聞く前に、口の中では鉄の味が滲んでいた。 最初の涙が溢れる。 どうにか嗚咽だけは飲み込んで、俯いて涙を拭う。 脆くも崩された虚勢を、もう一度張ることは出来なかった。 「――僕が悪いのは分かっているんです。」 吐き出される白い息。 鼻を擽るメンソールの香り。 「これが僕の犯した罪に対する罰だということも……」 ひくっと上下する細い咽喉。 まだ止まらない涙。 「だけど、時々それがものすごく淋しくなるんです。」 またこぼれ落ちる涙。 吐き出される白煙。 「僕にしか見えないことが、僕にしか分からないことが苦しい。」 翻せばそれは、「なぜ自分なのか?」という疑問になる。 そして、それはアレンの中で、常に「自分が義父を壊したから」という答えに行き着くのだ。 子供の師は深く煙草を吸い込み、大きく吐き出して、短くなったそれをぐしゃりと握りつぶした。 そして、傍らで俯く弟子の頭に、ぱすりと手の平を乗せる。 くしゃりとなでてやれば、アレンは諦めたように笑った。 「師匠に、あの姿を見せることが出来たらよかったのに。」 「そんなに凄まじいか?」 「気分がどん底に落ちて、何もかも投げ出して逃げ出したくなる程度には、凄いでしょうね。師匠だって、酒と煙草をやめて、真面目に神父らしく神様に祈る気になれますよ。」 白い髪の下から、くすくすと笑う声が漏れる。 「赦されようとは思いませんが、もしも赦されるなら、僕は泣いてしまうでしょうね。」 義父と自分を繋いでいる、罪と罰という絆を切り離されることに対して泣くのか? それとも、これ以上地獄を見ずにすむ安堵感で泣くのか? 師は間違っても温厚な人間ではなかったが、思っただけでそれを口にはしなかった。 「そいつは大変だな。」 師は微塵も笑わずに、それだけを口にする。 くっと涙を拭って、アレンは師を見上げた。 「確かに僕は、アクマの姿が見えるから、師匠が言うような不安はありません。」 師匠が不安を感じることがあるとは思えませんけど……。 ふふっと笑って、間に軽口を挟む。 師は新たな煙草に火をつけて、それを大きく吸い、また子供の顔に顔を吐きかける。 子供は不意打ちにげほりとむせる。 「何するんですか?!」 抗議の声を上げるアレンを鼻で笑って、師は何食ぬ顔で煙草をふかす。 噎せ返った後の涙目で師を見上げたアレンは、おもむろに視線を外す。 「貴方に、こんな苦しみは無いのでしょうね、師匠。」 師の口調を真似て言うと、師は冷ややかに目を細めて笑った。 |
(C) 2005-2009 Replica Fantasy 月城憂. Some Rights Reserved.