Replica * Fantasy







此処で睦言を





「ラビ、見ませんでしたか?」


任務を終えて教団に戻ってみても、一番会いたいと思っていた顔は無常にも出迎えてくれなかった。
だからって不機嫌になるほど、お子様ではないと自分に言い聞かせながらも、すれ違う人たちに問いかける口調がほんの少しとげとげしくなってしまうのは無理も無いだろう。
 だって、自分は彼に会いたくて大急ぎで任務を終えて帰ってきたのに。
もちろん任務に手を抜いたりはしなかったけれど、それでも結構神経を使ったのだ。
 室長のコムイに報告をして、その足で部屋に行ってみたけれど、そこは蛻の殻であった。
 最初はちょっと怒っていたけど、こんなに探しているのに影も形も見えないと、だんだん頭に上った血も冷めてくる。
 アレンが任務から帰ってきたことは、そろそろ教団内に知れてきている。
「おかえり」っと声をかけてくれる人がたくさんいるのが、いい証拠だ。
 それなのに、ラビは自分を探しにも来てくれない。


 ひょっとして、もう新しい任務についてしまった?
それとも、僕に会いたくないとか?
会いたいと思っていたのは、自分だけ?
貴方はもう、僕に会いたいとは思ってくれないの?


 しょげ返って自分の部屋に戻ろうとしたとき、暗い廊下の向こうから見慣れた老人が歩いてくるのを見つけた。


「ブックマン!」


 急がなくてもいいところを、思わず走ってしまうのは、不安がそれだけ大きいことの表れだ。
早く、会いたい。
 そうしたら、この不安も笑い飛ばしてくれるかもしれない。


「ラビ、見ませんでしたか?」


 勢いで問いかける。
彼の師であるブックマンがいるということは、任務には出ていないはずだ。
 教団内にいるなら、自分で探しに行けばいい。


「おぉ、お帰りだったか。」


 ゆるりと笑い、老齢の聖職者は孫を見るようにアレンを見やる。
久々の再開に、アレンもふわりと笑った。
それでも、馳せる思いが止まらない。


「それで、あの、ラビは…」


 アレンの様子に、ブックマンは咽喉の奥でくつくつと笑いながら答えた。
その様子は、子犬が飼い主と逸れて困っている様子に似ている。
 もしその体に尾があれば、自分が弟子の居場所を教えた瞬間に激しくそれを振るに違いない。


「あれは一週間ばかり前から古いほうの書庫に篭っておるよ。」
「分かりました。ありがとうございます!」


しっかりお礼までし、アレンはそのまま書庫に向かって走りだす。
しかし、一週間前といったら自分が任務に出た頃ではないのか。
ラビは記憶するとことと記録することを生業とした道を選んだ人間だ。
これまでも度々本に噛り付いている姿を見たことがあったが、一週間も書庫に篭りっきりなんて話は聞いたことも無い。
 足早に廊下を駆け抜けて書庫の前にたどり着く頃には、呼吸が乱れていた。
肩で何度か息をし、呼吸を整えてからほんの少しだけ開いている扉を押し開ける。


「ラビ?」


申し訳程度の声で部屋の中に呼びかけてみても、返事は無い。


おかしいなぁ。
ブックマンは此処にいるって言ってたのに。


「ラビ?いないんですか?」


埃にまみれて黴臭くなった部屋の中に滑り込む。
ただでさえ狭い通路の両脇に、本以外にも書類の束や丸められた地図などが散乱しているものだから、歩きづらいことこの上ない。
書架に手を着きながら薄暗い部屋を突き進んでいくと、不意に足元から伸びてきた何かに手を引っ張られた。


「わっ!」


 バランスを崩して、手をかけていた書架の本を巻き沿いに倒れこめば、床とは違った柔らかなものに受け止められる。


「ってぇ……」


ばさばさと音を立てて落ちてきた本を、思いっきり顔で受け止めてしまったのか、アレンを引っ張った青年は右手でアレンの腕を掴み、倒れてきた体を受け止めてから、顔にかぶさった本を退けた。


「お帰り、アレン。」


 本の下から覗かせた笑みに、アレンも安堵の笑みを見せる。
ようやく、探していた人を見つけた。
 任務に出ていた時間は本当はそんなに長くは無かったけれど、それでも、会いたいと思う気持ちと不安になる気持ちが、焦れて募るには十分な時間だった。
 狭い通路に両足を投げ出し、古びた書架に背を預けて座り込んでいたラビは、そのままの体勢で軽々とアレンを抱き上げると、自分を跨がせる形でその体の上に座らせた。
 互いの体温が絡み合って、自然とアレンの顔に赤みがさす。
照れているのを隠そうとするように、アレンは口を開いた。


「重いですよ?」
「アレンは健啖家さんだもんな。」


 あんなに会いたいと思っていたのに、本人を目の前にすると、なかなかまともに顔を見られない。
俯き気味にそう言えば、ラビはからからと笑って答える。
その反応に、ラビが気にしていないことを読むと、アレンはにっこりと微笑んで言った。


「ただいま。今戻りました。」
「うん。」
「ずっと此処にいたんですか?」
「うっかり部屋にいると暇してると思われて、コムイに任務に出されちゃうさ。だから、アレンが帰ってくるまで忙しいフリをしてたさ。」


 悪びれずに言い返すラビに、アレンは苦笑を浮かべる。
 近距離にある小さな白い顔に手を伸ばして、両手で包み込むように顔に触れる。
引き寄せて、抱きしめて、額にペンタクルに唇を触れれば、アレンはくすぐったそうに笑った。


「やっと、本物を抱き締めたさ。」


 探し物をやっと見つけた時の子供みたいに、ラビはアレンの胸に額を押し付けて、きつく抱き締める。


「ラビ、苦しいです。」


 本当はその苦しささえも愛しいのに、その好意が恥ずかしいのか、アレンは顔を真っ赤にして呟く。
 十分堪能してから、ラビがようやくアレンを解放すると、アレンの顔は真っ赤になっていた。
いつまで立っても自分の愛情表現に慣れないアレンに、ラビは思わず苦笑を漏らす。
 可愛い恋人が、またそれで拗ねても困るので、ラビは今度は相手の呼吸に負荷がかからない程度に、子供が母親に甘えるような仕草でもう一度抱きつき、同じように甘えた声で言ってやった。


「だってアレン、一週間も会えなかったんだぜ?俺寂しかったさ。」


 自分と同じことを考えていたラビに、ふっとアレンの顔に笑みが浮かんだ。
 なんてことは無い、自分達は、ちゃんと繋がっている。
だけど、普段は自分を甘やかすラビが、今日に限って甘えてくる姿が愛しくって、アレンは抱きついて来るラビの背中に優しく腕を絡ませながら、答えた。


「たった一週間ですよ?」


 さっきまでは、自分がラビと同じことを思っていたのに、その存在を確かめた今では、こんな軽口さえ叩ける。


「一週間は、アレンにとっては長くない時間?」


 ラビが不満そうな声を漏らし、もぞもぞと動いてアレンの腕から抜け出す。
相変わらず自分の上にアレンを跨らせた状態は変わらなかったが、いつもは上から降る視線が、今日は下から見つめられて、アレンはすぐにまた頬を紅く染めた。
 一度離した顔をもう一度引き寄せて、さっきと同じようにその額に刻まれたペンタクルし優しいキスを落す。
 そして、耳元で囁いた。


「アレン、俺に会いたかったって、言うさ。」


 とたんに、アレンの紅い顔がさらに紅くなる。


「俺に会えなくて、寂しかったって言うさ。」


更に耳元で囁く。
ふとした拍子にアレンと眼が合えば、アレンは気まずそうに視線をそらして俯く。
 それが、そう大きくは無いラビの嗜虐心を擽った。


「言って。」


言葉にしなくても、アレンの答えなど分かっているだろうに、それでもラビは誤魔化しを許さずにアレンに言わせようとする。
 真っ赤になったアレンは、その顔を見られないようにラビに抱きつき、ラビがそうしたように耳元に唇を寄せて、消え入りそうな声で答えた。


――もっと、言ってください。


 とたん、ラビの悪戯な表情が柔らかな苦笑に変わる。
 打算でもなんでもなく、そういうことを言うから、恐ろしい。
ラビがアレンに言わせようとしていることは、裏を返せばラビが思っていることそのものだということを、アレンは知っていて言ったのだろうか?
惚れたほうの負けというのは、どうやら古今の心理らしい。
 ラビは恥ずかしがって顔を見せようとしないアレンの顔に両手で触れて、自分の真正面に持ってきた。
 顔を背けることが出来なくなったアレンは、きつく瞼を閉ざす。


「俺を、見るさ。アレン。」


 どうしていいか困ったように、恐る恐る荒れんが眼を開くと、そこにはラビの笑みがあった。
顔に触れたまま、ラビは真っ直ぐにアレンを見つめる。


「アレン、大好きさ。」


そのまま髪に手を突っ込めば、さらさらと流れる白い髪からはかすかに紅い香りがする。


「アレン、大好きさ。」


細い腰を引き寄せて、もっと体を近づければ、少しだけ目の前の顔が困ったように紅く染まっていた。


「アレン、大好きさ。」


気休め程度に押し返してくる紅いその手を取って、中指に優しいキスを落す。
そして、もう一度。


「アレン、大好きさ。」
「――っ……!」


ただ、彼は同じ言葉を繰り返しているだけなのに、それだけでアレンは自分の脳内が麻痺していくのを感じる。
 単調な睦言は、それでも耳を擽り、甘美な響きをこだまさせていく。
くらくらと眩暈を起しそうな繰り返しに、アレンは顔を俯かせた。
 その細い頤を掬い上げて、ラビは独特の色彩を放つ瞳に唇を落す。
反射的に目を閉じて、だけどすぐに離れていった間隔に目を開けば、間を空けずに今度はダイレクトにざらりとした柔らかいものが自分の眼球を這った。


「ラビっ!」


さすがに驚いて声を上げれば、ラビはぺろりと自分の唇を舐めながら飄々と答える。


「あんまり綺麗な紅だから、苺の味がするかと思ったさ。」


 瞬間的に、アレンの顔に血が上る。
突拍子も無い愛情表現にも、さすがに慣れてきたと思っていたのに、自分はまだまだ彼に踊らされている節があるらしい。


「僕の目は飴じゃないので味なんかしませんっ!」


 真っ赤になった顔を背ければ、視界の端には咽喉の奥で笑っているラビの笑みが映る。
からかわれている様で、悔しくて何か言い返してやろうかと思えば、ラビはまたアレンの顎を掬って自分の方に向かせた。


「そうか?じゃあ、甘かったのは気のせいってことにしとくさ。」


 そうしてまた、柔らかく唇を落す。


「アレン、大好きさ。」

さらさらと、流れ落ちる髪をのけて、額に。


「アレン、大好きさ。」


少しだけ濃くなった、傷跡が走る瞼に。


「アレン、大好きさ。」


紅く色づいた柔らかな頬に。


「アレン…」
「もう、いいですから……」


 もっと多くの言葉を望んだのは自分であるのに、その甘美過ぎる響きに耐え難いものを感じて、アレンは喘ぐように呟いた。
そして、重ねて紡がれる睦言から逃れるように、ラビの唇を手で遮れば、その言葉さえも飲み込まれるように、今度は唇に。


「大好きさ。」


飲み込まれるような眩暈の中で、ラビが囁く言葉だけがアレンを現実に繋ぎ止める。
 触れるだけの柔らかなキスに溺れながら、うわ言のようにアレンは呟いた。


「そんなに何度も言われると、麻薬中毒者になった気分になります。」


 力が抜けたように凭れ掛かってきた体を抱きしめて、ラビは声を出さずに笑った。


「そうか?俺はまだ、足りないさ。」


 キスも睦言も、これくらいじゃ全然足りない。
もっともっと溺れさせて、繋ぎ止めて、人間不信のこの子供に自分の思いを刻みつけてやりたい。


「アレンが本当に大好きだから、何度言っても言い足りないさ。」


 言葉と共に浮かべた笑みがあんまり切実だったものだから、アレンはふわりと微笑んでその首に抱きつき、その耳元で囁くように睦言を紡いだ。


「僕も貴方が大好きですよ、ラビ。」






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2005/09/30 



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