ステンドグラスを通り越して床に落ちる光が、綺麗だと思った。 だけどその光の中に悠然と立っている神父は、この上なく罰当たりだと思った。 「せめて礼拝堂の外で吸ったらどうですか?クロス・マリアン神父。」 白い煙を吐き出しながら、ステンドグラスを背にそびえる十字架を見ていた神父は、表情を変えずに声の方を見やる。 わざとらしくフルネームで呼んだ神父の弟子は、頭の上にティムキャンピーを乗せて恨めしげに師を見上げる。 「随分探したんですよ?絶対酒場にいると思ったのに、こんなところにいるなんて珍しいですね?」 アレンは綺麗に並べられた長椅子の中から、師の近くにあるものを選んで腰をおろした。 「何か急用でもあったのか?」 弟子の苦情を完全無視して問いかければ、アレンはただ笑って答える。 「いいえ?ただ探していただけです。」 「そうか。」 それっきり、師は煙を吐いただけで、一言も話さなかった。 ただ、西日がステンドグラスを透過し、十字架を背負わされたキリストを紅く紅く染め上げていく。 グロテスクだな、と、クロスは思った。 神を信じていない神父は、弟子に向かって問いかける。 「お前は、神を信じているのか?」 煙草の煙を一緒に吐き出せば、今まで師に従うように沈黙を守っていた弟子は笑って答える。 「マナが信じていましたから。」 師は溜息と共にもう一度煙を吐いて問う。 「神が無力と知っていてか?」 「ええ。」 少年の顔には乾いた微笑が張り付いている。 弟子は師に対して、顔の半分を隠しているその仮面は表情が読めなくて狡いと不平をもらしていたが、クロスにしてみればアレンの無機質な笑みの方がよほどタチが悪いと感じた。 「マナは言っていました。神は人間を平等には作れなかったのだと。だから神は絶対ではないんだそうです。」 冷ややかな視線はいつしか師ではなく、磔けられた神の使徒に向けられている。 師は黙って煙草を吹かし、同じく薔薇窓を背負ったキリストを見やる。 一つ呼吸をおいてから、師は無情な言葉を吐いた。 「それは違うな。少なくとも神は、この世に生を受けることと、そして奪われることについては完全に平等だ。神が絶対ではないというのなら、それは産み落とした人間に無関心だからだろう。」 いつもより饒舌な師を見上げ、アレンは目を丸くする。 「殺されて死ぬのも、温かいベッドの中で死ぬのも、みんな平等ですか?」 何か、信じがたいものを聞かされて、アレンは呟いた。 仮にも神に仕えているはずの男は、無常に続ける。 「お前なら、分かるだろう。俺たちは、神には愛されていても、人に愛されることは無い。」 はっとしたように、息を呑む。 反射的に左腕を掴んだのは、その言葉が示すものを性格に理解したからだろう。 「せいぜい神に愛されたもの同士、傷を舐めあうのがオチだ。」 ふうっと吐き出される煙草は、すぐに空気に溶けていく。 「それじゃあ、僕たちは一体何を信じればいいんですか?」 アレンは血を吐くようにうめき声を漏らす。 師の言葉は、義父に従って神を信じていたアレンの感じやすい情緒を抉った。 「何も、考えるな。ただ、戦え。」 実も蓋も無い答えに、子供は顔を強張らせる。 「それが出来なくなったら、死者に祈るんだな。」 「死者?」 師は無意味なことを好まない。 例えば、過去に囚われること。 いつまでも死者を嘆くこと。 そのどちらも当てはまるアレンは、戸惑いを隠せずに聞き返す。 師は子供の視線に苦笑を浮かべた。 「いつまでも嘆くことと、死者を悼むことを一緒にするなよ。」 よく、分かりません、と険しい表情のまま首をかしげるアレンを無視して、師を煙草を銜えたまま続けた。 「総てを愛しているなんて御託は、総てにおいて無関心なのと同じだ。だからこんな都合の良いことばかりをほざく神祈るなど、時間の無駄だと思え。」 師の口調は、煙草の煙を吐き捨てるのと同じ感覚で吐き捨てる。 「だが、死者は愛しいモノを常に見守っているものだ。だから迷ったときはやつらに祈ればいい。」 師の言葉に余計な感情は無かったが、子供は酷く悲しそうに微笑した。 再び俯いてしまったのは、涙が出そうになったからだろうか。 「マナは、まだ僕を愛してくれていると思いますか?」 子供は笑う。 アレンは自分がどんな表情をしているのか、考えてもいないのだろう。 短い生の中で、唯一にして絶対の存在であった、マナ・ウォーカー。 彼を失ったアレンは、今では感情を殺す術を学び、しかしそれをうまく使いこなせずにいる。 師は深く煙草を吸い込み、無常に吐き出した。 「それは、俺が決めるべきことではないな。」 いかにも師らしい言葉に、アレンは薄く微笑みながら、その足元にひざを着いた。 「それじゃあ、クロス神父。」 白い子供は紅と白の指を絡めて、ゆるりと目を伏せる。 「僕がマナに赦しを請うことを、許してもらえますか?」 それはさながら、最後の瞬間を迎える囚人が最後の祈りを済ませる姿にも似て。 だけど敬虔な少年は、ただ自らの罪が裁かれることを、静かに待っている。 師は諦めたように息を吐き、子供の頭に触れた。 「人間が神の子供であるというなら、何故神がお前のような子供を愛さないのか、疑問だな。」 答えを求めるでもなく、嘆息と共に出された呟きに、子供は目を閉じてひざを突いたまま答えた。 「それは、神様も苦しいからでしょう。」 小さく呟かれたその答えも、冷え切った石造りの教会にはよく響いた。 「この世の総ての人間が神様の子供なら、きっと神様は総ての人間を愛しているんでしょう。だけど、愛する子供たちがお互いに殺しあう生き物になってしまったら、神様だって苦しい。」 子供は愛しむように自分の紅い腕を見つめ、絡めたままの両手に静かに口を付けた。 「神様が唯一絶対の存在でないのなら、愛することに疲れてしまうこともあると思いませんか?」 あぁ。 この子供は、自らの運命がこれほど酷であっても、なおそれを赦そうというのだろうか? 一瞬、師は仮面で隠していない方の目を細め、弟子に触れていた手もその動きを見失ったが、アレンはそのことに気づいていなかった。 「――お前が神だったら、すべての子供を愛せただろうにな。」 愛することは呼吸よりも容易く、それなのに愛されることには臆病すぎる。 「何か言いましたか?」 細い指を絡ませたまま、視線を上げる。 自分を見つめてくるその視線があまりにも無自覚だったので、無性にそれが気に食わなくなり、師は無防備な顔に思い切り煙を吹きつけた。 「何を、師匠!急にっ!」 げほげほと噎せ返りながら、涙目で師を睨み付ければ、彼はもういつも通りの不適な笑みを浮かべていて。 一瞬見惚れるように視線を奪われた子供に、師はばすりと自分の帽子を被せる。 そして、アレンがまたも苦情を重ねようとする前に、言ってやった。 「神と、おまえ自身以外は、皆お前を愛しているだろうよ。」 |
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