Replica * Fantasy







同 盟 編 02




I knew that I cannot already do anything even if I cried even if I cried
―泣いたって叫んだってもうどうすることも出来ないと知ったんだ―





 亡命管理番号:7950102  ・フォン・クロプシュトック。
書類の最初には『Secret』と赤い判を押されているのは、一応個人情報だからだろうか。
 もう何度か眼を通したはずの、新しい被保護者についての情報を、ヤンはまた眺めていた。
 帝国におけるの身元に始まり、亡命に至る経緯まで。
どうやら自身の意思ではなく、この自由惑星同盟へと亡命してきたらしいがすったもんだの挙句にヤンの家に落ち着いてから、すでに数日がたっている。
 ユリアンは自身もトラバース法によってヤンの元へ来たこともあって、こまごまとに対して世話をしているし、自身も若さゆえの適応力を遺憾なく発揮して、順調に馴染んできている。


「――少なくとも、表面上は、ね。」


 ヤンは眼を通していた書類をテーブルの上に放り出して、ソファの背もたれに身体を預けた。
ぽつりと呟いた言葉は、誰に向けたものでもなくただ天井へと向かって消えていく。
先日、ヤンはユリアンにの様子についてたずねていた。
 のことについて、ヤンは彼女が自宅へやってきた日にキャゼヌルと話していたが、実際問題はヤン自身も昼間は仕事に出ているから、その様子を知ることは無い。
 無論、ユリアンも学校に行っているので、未だ身元引き受け人以外の何もかもが決まっていないとは四六時中一緒に居るわけでもないだろうが、それでもヤンよりは一緒にすごす時間は長いだろうから。
 そのときの会話を思い出そうとして、ヤンは半分だけ目蓋を閉じた。


「ユリアン、あの子…の様子はどうだい?」
「よく頑張ってくれてます。今は自分が一番時間があるからって、色々家事もしてくれますし。」
「お前ね、それは私に対する嫌味かな?」
「そういうわけじゃないですけど。でもびっくりしました。貴族のご令嬢って聞いていたので、そういうことは出来ないんじゃないかって思っていましたから。」


 ユリアンは酷く感心したように、の様子を語る。
もユリアンも年頃の青少年であるからして、ヤンとしては少し思うところもあったのだが、どうやら彼も彼女も反発することなく良好な関係が築けているらしい。
 良好過ぎる関係に至ったらどうしよう、というヤンの心配事も、どうやら今のところは杞憂で済みそうだ。
 「そうか」と答えて、ヤンはとりあえず胸を撫で降ろそうとしたが、しかしユリアンの報告はもう一つだけ追加事項があった。


「でも、提督。一つ気になってて…」
「ん?なんだい?」
なんですけど、夜は、眠ったフリをしています。」


 ヤンが何よりも勝っている紅茶を淹れる技術を遺憾なく発揮しながら、ユリアンは奇妙に断定的な言葉で聞き逃せないことを伝えた。
 逆にその何気なさにうっかり流しそうになったが、至福の一杯の最初の一口と共に被保護者の言葉を反芻してから、ヤンは少しだけ眉の角度を変えて問い返す。


「寝たフリ?」
「はい。多分眠れないんだろうなぁって思うんですけれど…」


 少し困惑したように、ユリアンもティーカップから口を離して、一つずつ考えるように答える。


「色々、疲れてはいると思うんです。初めての家ってただでさえ緊張しますし。でも、のはそういうのとはちょっと違っていて、笑うときとかも無理をしているっていうか、時々すごく苦しそうな気がするっていうか……。なんだかこう、色々拒否しているような雰囲気が…」
「――拒否、というのは、トラバース法に対してということかい?」
「それも含めて、もっと大きいものを拒絶している感じがするんです。同盟そのものというか、自分の置かれた状況全部、というか…。時々、ベッドから抜け出しているみたいですしね。」


 ちなみに、「どうしてそんなことが分かったんだ?」と問いかければ、ユリアンは「起きてるような気配がするんですよ」と、逆に不思議そうに答えてきた。
 少しヤンが眉をひそめたのは、自分はまったく持ってそんな気配を感じたことが無いことに対する疑問と気まずさだったのかもしれない。
 気になるところまで会話を思い出したヤンは、それ以降は記憶の再生をストップさせた。
それを聞いて以来、なんとなく気が向くと、夜中はリビングで本を広げ、ひょっとしたら起きてくるかも知れないを待ってみたりもしたが、結局遭遇する機会はつかめないままで居る。
 無論、ヤンの気配を感じてが出てこないという可能性も、十分に考えられるのだろうが。


「まあ、眠っているなら、それに越したことは無いけれどね。」
「そうですね、眠らないと、身体が持たなくなってしまいますよ、提督。」


 先ほど同様、ヤンはポツリと呟いた。
しかし今度のそれは、天井に跳ね返って消える前に、別の声によって答えられた。
 ソプラノの、鈴のような声は、ヤン家においてはたった一人しか居ない。


「眠れないのでしたら、紅茶を淹れましょうか?」


 ユリアンには及ばないですけど、この前淹れ方を教えて貰ったんです、と。
リビングに現れたの姿に、ヤンは一瞬だけ眼を見張ってから、苦笑したように微笑んで答えた。


「じゃあ、お願いしようかな。」
「はい。」


 は微笑んで、そしてキッチンへと姿を消していく。
薄暗かったリビングに、キッチンからの明かりが漏れて、少しだけ明るくなった。
 かちゃかちゃと茶器が奏でる音を聞きながら、ヤンはテーブルに視線を落とす。
そこには先ほどまで眺めていたの個人情報がそのままおかれていたが、ヤンは今更隠そうとはしなかった。
 一体いつからそこに居たのか、ヤンは思わず苦笑を浮かべたが、それも一瞬のことだった。
ちょうどいい、言いたいことは言って、聞きたいことは聞いてしまおう、と。
次の瞬間にはそう切り替えたから。


「提督、どうぞ。」
「ありがとう。」


 少しして、は湯気の立つ紅茶を二つ、用意してヤンの元へと戻ってきた。
多分自身も、テーブルの上の書類については、ある程度把握しているのだろう。
 気付かないわけも無かったが、あえて触れないようにしているのは、ヤンの言葉を待っているのかもしれない。


「ユリアンには遠く及ばないけれど、私が淹れるよりは遥かに美味しいね。」


 から紅茶を受け取ったヤンは、最初に紅茶の香りをくゆらせてから一口飲み、そして率直な感想を満足げな笑みと共にに向けた。
 一瞬面食らったように止まったも、苦笑めいた笑みをヤンに向けて「光栄です」と答える。
 それは、どこか貴族のやり取りを思わせると同時に、年齢相応の少女たちが交わすようなやり取りとも似ていて。
 それ以上は、特に進む気配を見せない会話のやり取りを、ヤンは無理やり続けようとはしなかった。
 もまた、おとなしくヤン以上ユリアン未満という、果たして喜ぶべきかどうか判断に困る評価を受けた紅茶をすすっている。
 その様子をつぶさに観察しながら、ヤンはふと思った。


、君は、もしかして絶望している?」


 思ったことをそのまま口にしていると気付いたのは、驚いたように顔を上げたの表情が何か良くないものでも見つけてしまったかのように歪んでからだった。
 そして多分は、自分ではそのことに気付いていないのだろう。


「――どうして、そう思うのですか?」
「――うん。そっか。」


 問い返された言葉を勝手に完結させて、ヤンはまた湯気が立ち上る紅茶を口に含む。
問いかけた言葉を勝手に完結されて、は酷く落ち着かない様子でティーカップをテーブルに置いた。
 自分の、書類の、上に。
少しカップの中身が揺れて、白い紙に薄茶色の染みを作ったが、そんなことには気付きもしなかった。
 化けの皮をはがされた、という言い方は、きっと適切ではないのだろう。
しかし、が取り繕っていた表面に綻びが生じたことには違いない。
 ヤンは、に少し遅れてからティーカップをテーブルに置くと、無言のまま視線を彷徨わせている少女を捕らえた。


「実は、これといって確信があったわけじゃないんだ。」


 ヤンの言葉に、はまた少し表情を歪める。
それでも、顔を両手で覆わなかったのは、の強さだったのかも知れない。


「それに実のところ、君が何に対して絶望しているのかも、よく分からない。」


 少しだけおどけた様に、ヤンは肩をすくめる。
その様子に、本当に少しだけ、も泣きそうな笑みを浮かべた。
 それでも、見抜かれてしまった、という思いが、の中にはあるのだろう。
はゆるりとうつむく。
 長く伸びた銀糸が、幾筋かの真珠を通した髪が、小さな少女の顔を隠す。
そうして、自分の表情を隠してしまったのは、の弱さだったのかもしれない。
 は、祖父の行為に絶望したのかも知れない。
祖国を遠く離れてしまったことに絶望したのかも知れない。
流れ着いた自由惑星同盟というものの現状に絶望したのかも知れない。
今までの生活との落差に絶望したのかも知れない。
あるいは自分やユリアンに絶望したのかも知れない。
 ヤンは無数の可能性をあげる。
願わくば、最後の可能性は外れであって欲しいと望みながら。


「――……っく…」


 沈黙していたに、ヤンは無理に声をかけなかった。
かける言葉も見つけられなかったし、がそれを望んでいるとも思えなかったから。
 だけど、俯いたその顔が少しだけ持ち上がり、言葉の代わりに押し殺したような嗚咽が漏れて、顔を隠そうとはしなかった白い手が、涙を拭う為に持ち上げられたときには、ただ黙っていることも出来なくなっていた。


「――、君は」
「ヤン提督」


 なんと言葉をかければいいのか思いつくよりも早く、反射的にを呼んだ声を、呼ばれた本人が遮って。
 そしてはぼろぼろと涙を落としながら、誰にも言えないまま押しつぶされていた胸の内を吐き出した。


「――私……私…は……、亡命なんて、したくなかった……っ!!」


 ぱたりぱたり、と。
落ちる水滴が、プライベートなんてものを無視したに近い、自身の情報を書き記した紙を濡らして。


「――だって…こんな遠くまで来ちゃったら……」


 いったいどうすれば会えるのですか? と。
 の絶望の場所を理解したヤンは、だから言葉の変わりに持ち上げた手で、に応えた。






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2009/02/28 



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