「だから、どうしてそういうことは事前に言わないんです?」 『言ったさ。どうせお前はすぐ忘れるだろうと思ってユリアンにも言っておいたんだぞ。』 「私は聞いていません。」 『俺は言ったさ。「トリューニヒトが見限った、しかも将来有望そうなのが居るんだが、お前さんもう一人どうだ?」とな。』 現にユリアンは覚えてたじゃないか、と。 ヴィジフォン越しに言われたヤンは、むっつりと黙り込んでを送り込んできたキャゼヌルを睨んだ。 結局、エル・ファシル以降英雄と讃えられたヤンにも、勝てない相手は存在したというわけだ。 黙り込んだのをイコール自身の非を認めたと判断したらしいキャゼヌルは、ヴィジフォンの向こう側で一口珈琲をすすると、対抗するように一口紅茶をすすったヤンに苦笑を向けてからまた口を開いた。 今度は幾分か真面目な口調で。 『で、どうだ?の様子は。』 「いい子ですよ。ユリアンも妹が出来たように色々教えています。我が家のルールを。」 『お前さんの家にルールなんてものは存在したのか?無法地帯じゃないか。』 「色々あるんですよ。朝の一杯は珈琲じゃなくて紅茶にする、とか。」 まあ、朝じゃなくても家は基本的に紅茶しかないですけど、とヤンが続ければ、キャゼヌルはそれはルールじゃなくてお前の好みの話だろう、と適当に流す。 キャゼヌルが言いたいことがそういうことでは無いということは、ヤンにも容易に察することが出来たが、彼はあえて話をそらしたかったのだ。 どうも、ヤンはという存在について、どこか気まずい感情を抱いているという自覚があったから。 トラバース法によって二人目の被保護者として訪れることは綺麗さっぱり忘れてしまっていたヤンであるが、『・フォン・クロプシュトック』とう名前は、聞けば思いだす程度には知っていた。 その、おおよそ人間離れした銀髪紅眼の少女は、その容姿だけでさえ十分時の人になりうるものであったというのに、付属してきた付加価値がまた通常の亡命者とは違っていたのだ。 失敗に終わったとはいえ、は皇帝暗殺を謀ったウィルヘルム・フォン・クロプシュトックの孫娘。 亡命してきた当初は、トリューニヒトが大々的に宣伝しての祖父の行為を褒めちぎり、その遺志を継ぐものとして、反帝国の新たな旗印のひとつとして祭り上げようとしていた。 それが気に入らなくて、ヤンはに関する情報をシャットアウトし、無関心を決め込んできたのだ。 ヤンには暗殺という方法自体を肯定できなかったし、実行犯でもないがそうして宣伝されることに意味を見出せなかったし、そもそもそれがトリューニヒトの政治的宣伝戦略であることなど、見え透いていたから。 もともとヤンのトリューニヒト嫌いは自他共に認める事実であったから、なお更である。 誇大な宣伝によって一人歩きしている美貌の貴族令嬢について、あまり良くないイメージが先行していたヤンは、もともとのものぐさな性格もあって、に対する自分勝手なイメージを修正しようともしなかったのだ。 多分それが、に対して申し訳ないという感情を抱かせるのだろう。 「当たり前といえば当たり前ですが、あの子はどうも聞いている話とは違うようですね。」 『――自分の意思とは関係なく亡命してきたようだからな。』 「――あれくらいの年齢では、無理も無いかも知れませんが…」 ヤンは無難な答えを返したが、その実思考回路では正反対のことを考えていた。 キャゼヌルに聞いた話では、は14歳になるらしい。 そしてヤン自身は16歳で父親をなくして以降、全て自分で自分のことを決めて生きてきたのだ。 それを考えると、14歳という年齢は、そこまで子ども扱いする年齢か疑問を感じずにはいられないのだろう。 それはキャゼヌルにも理解できたが、そういうことを差し置いても、は特殊なケースなのだ。 それは、根拠を持たない直感に頼ったものだけれど。 『まあいい。不都合があるなら言ってくれればまた考えるさ。とりあえず、一度は首を縦に振ったんだ、暫くはの家になってやってくれ。』 「一度は首を縦に振りましたからね。暫くも何も、放り出すつもりはありませんよ。」 『そうだな。お前さんはそういう人間だ。そこを見込んで、のメンタル面もよろしく頼む。』 「棒読みじゃなければ少しはやる気にもなったんでしょうけどね。そちらはあまり自信が無いので、とりあえずはユリアンに任せてみることにします。」 多分、自分は丸め込まれたんだろうな、と思いながら、ヤンはわざとらしく肩をすくめて答えた。 ヴィジフォンを切る直前に、『娘もいいもんだぞ』とキャゼヌルが言ったような気もするが、親馬鹿はまた次の機会でも構いやしないだろう。 どうにも急展開過ぎる現実に、処理能力が追いついてこないような気がして、ヤンは沈み込むようにソファに体重を預けて静かに目を伏せた。 もう一度、深呼吸をするように、大きく酸素を取り込んで、そしてまた大きくため息をつくように二酸化炭素を吐き出す。 そもそもの発端は、普段からあまり来客が多くも無いヤン家の呼び鈴が鳴り響いてからだった。 軽やかなベルの音が家の中を駆け、ヤン・ウェンリーはぼそぼそと収まり悪い髪を掻きながら扉を開く。 久々の休暇を、主観的優雅に過ごそうと目覚ましベルなど電池から抜いて眠っていたヤンは、彼の被保護者によって客観的怠惰と判断され、来客の対応に起こされてしまったのだ。 ちなみに彼の被保護者は家人のように怠惰を働いたためにヤンを起こしたわけではなく、朝から朝食の準備にかかりきりだったから出られなかったらしい。 無論、ヤンはそれを咎めるつもりは無いが、急に来客の対応を迫られてもさっきまで惰眠を貪っていたので、格好はといえばパジャマ代わりにしているスウェット姿のままである。 とてもとても准将には見えない格好ではあるが、そもそも軍服を着ていても軍人に見えない容姿なのだから、ヤンは今更それを気にしたりはしなかった。 もっとも、被保護者のユリアン・ミンツに言わせれば、「見える見えないの問題ではなくて、マナーの問題です提督。」ということになるのだか。 とにかく、ヤンはスウェットのまま、呼び鈴に応じて来訪者の前に出た。 「こんにちは」 「――こんにちは。」 ヤン家を訪れるものは、キャゼヌルくらいだと思っていた家の主は、少しだけ困惑したように頭を掻きながら首をかしげる。 礼儀正しく、だけどどこか人形のようにちょこんと頭を下げた少女は、酷く頼りないように見えた。 銀色の髪に、雪花石膏の肌。 全体的に白い印象を残す中で、眼と唇だけが不自然なくらいに紅い。 一年前、ヤンはユリアンが訪れた折には過去の自身の所業を省みたこともあったが、この少女を前にしてはそこまで考えなかった。 自分の遺伝子を含むのなら、こんな容姿の娘など出来るわけが無いと確率論から判断したからである。 「どちら様かな?」 「聞いていらっしゃいませんか?」 陶器人形のような、どこか無機質な美しさを孕む少女が、自分のもとを訪ねてくる理由などヤンには皆目検討が付かない。 もし、「ユリアンのガールフレンドです」なんて反応が返ってきたら、キャゼヌルに報告してやろうなどと思って問いかけた言葉は、すぐさま問いで返されてしまった。 「何をかな?」 ぽりぽりと、何かを誤魔化すようにヤンはまた髪を掻きながら少女に問いかける。 少女は少しだけ困惑したように眉を寄せてから、小さなバッグから一通の封筒を取り出してヤンに差し出した。 「キャゼヌル准将からお預かりしました。これを渡せば分かるからと仰っていましたが…」 最後のほうは、少し自信なさげに小さくなっていく。 多分、『キャゼヌル』という名前を聞いた時点で、ヤンが酷く嫌そうな顔をしたからだろう。 取り繕うように笑みを浮かべて「ありがとう」と受け取る。 まっすぐ自分の目を見て答えた少女に対し、ヤンはどこか気まずそうに視線を泳がせながら答える。 別に疚しいことなど無いのだが、なんだかどうも居心地が悪かった。 しかし少女は、別にヤンをとがめるでもなく不思議がるわけでもなく、ただ事実を確認するように「貴方が、ヤン・ウェンリー提督ですか?」とたずねてくる。 「うん、まあ。」と、適当に返したところで、ぱたぱたと軽い足音を立ててヤンの被保護者が姿を現した。 「提督、もしかしてミス・クロプシュトックがいらっしゃったんですか?」 水色のエプロンに手にはお玉。 薄く入れた紅茶の色の髪を持った少年は、どうしたものかと立ち尽くしている保護者の横からひょいっと少女の姿を確認すると、「あ、やっぱり」と声を上げて笑った。 「はじめまして。僕、ユリアン・ミンツといいます。一年前からヤン提督にお世話になっています。」 ユリアンは、気後れする様子も無く少女に手を差し出す。 一瞬差し出された手を見てから、少女はユリアンの手から顔に視線を移して、そして同じように手を差し出して握手を交わしながら答えた。 「・フォン・クロプシュトックです。どうぞと呼んでください。」 そしてはユリアンと握手を交わした後、ヤンにも同じように手を差し出して続けた。 「今日からお世話になります。」 ヤンはまったく持って事情が飲み込めないまま、差し出された白い手を握って曖昧に笑みを浮かべたが、手を離した後に手渡された封筒に視線を落として、それが政府の公式書類を入れるものだと判断すると、静かに天を仰いだのだった。 封筒に書いてあった「トラバース法各種書類在中」という文字と、初対面であるはずの少女が口にした将校の名前には、確かに覚えがあったから。 そしてヤンは少女を家に招きいれた後、すぐさまキャゼヌルにヴィジフォンをかけて、冒頭の件となったわけである。 |
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