Replica * Fantasy







閑 話 編 04




Set me free from change of the physical.
― にくたいのれんさから ぼくをじゆうにしておくれ ―





「まるで蝶だな。」


会議室を出ていくの後ろ姿に、ぽつりと呟いたのはミッターマイヤーだった。
その声は決して大きな声ではなかったが、ラインハルトを筆頭に、どうやら部屋に集まっていた幕僚たちの耳にも届いていたらしい。


「卿はなんでも生き物に例えるのだな。」
「そういえば、奥方は燕のような方だとお聞きしました。」


軽く笑ってラインハルトとキルヒアイスがからかえば、ミッターマイヤーは恐縮したようによく引き締まった体を更に小さくする。


「失礼いたしました。つい口が滑ったようです。」
「いや、構わない。そうか、ミッターマイヤーには、は蝶のように見えるのだな。」
「今日は首にリボンを巻いていましたので。が蝶に見えたというよりは、それが、蝶を連想させたといいますか……。」


しみじみと頷くラインハルトに、ミッターマイヤーは苦笑を浮かべて補足した。
ヒルダと共に飲み物を用意しに行ったの首には、今日は細く長い紅いリボンが結ばれている。確かに活発に動くの小さな身体に合わせてひらひらと揺れる様は、赤い蝶が飛んでいるように見える。


「だが、は蝶という柄ではないだろう?」
「ビッテンフェルト提督、口を慎しんで下さい。」


ミッターマイヤーと同様に、ポツリと感想を漏らしたのはビッテンフェルトであった。流石に、を溺愛している上司と同僚の前で、その発言もどうかと冷や汗をかいたのは砂色の髪と眼を持つミュラーで、ミュラーはビッテンフェルトのあけすけな物言いに、そのうち顔色すらも砂色にしてしまいそうな勢いであった。


「ビッテンフェルト提督は、を蝶とは思いませんか?」


苦笑と共に問いかけたのは元帥府の赤毛の副官で、事実上の兄に当たるキルヒアイスだった。
下手な答えはブリザードを呼ぶだけだと、ロイエンタールやミッターマイヤーがほんの少し身構えたのは無理も無い。ビッテンフェルトはこういうとき、期待に背かず地雷を踏むような男なのだ。知らぬは本人ばかりともよく言ったもので、ビッテンフェルトは大して考えもせずにキルヒアイスに即答する。


「卿には悪いが、は蝶のような儚さとは無縁だと思うぞ。」


この大馬鹿者め、と思ったのは、一人だけではなかっただろう。ラインハルトとキルヒアイスの前でを非難することは、自らの手で自らが乗ったギロチン台の刃を落とす行為に等しい。ビッテンフェルトの言葉に、ミッターマイヤーは固まり、ロイエンタールは僅かに天を仰いだ。それまで沈黙を守っていたファーレンハイトは思わず眉間を押さえ、ミュラーは今度こそ顔色を自身の眼と髪の色に染めてしまっている。
だが、四人四様の反応をささやかに見せたものの、彼らの予想は完全にあてが外れた。


「だいたい、はふらふらと蜘蛛の巣に飛び込むほど愚かでもあるまいに。蝶などに例えたら、に失礼ではないのか?」


最初の物言いが素であるなら、付け足されたこの言葉も、ビッテンフェルトの偽らざるの評価ということになるのだろう。
ラインハルトはくつくつと咽喉の奥で笑い、キルヒアイスも困ったような表情を浮かべている。どうやら地雷は不発弾だったようだ。


「ビッテンフェルト、それなら卿の目には、はどんなイキモノに見えるのだ?」


実に楽しそうに、ラインハルトはビッテンフェルトに問いかける。
まったく、いつまでたっても始まる気配が無い会議室の中にオーベルシュタインがいないことは不幸中の幸いであったと、誰もが同じように考えていた。


「先日に仕掛けられまして、捕まえようとしたところ、まんまと逃げられました。その時思ったのですが、はリスか何か、小動物のようですな。ちょこまかちょこまかと、実に逃げ足が速かった。」
「ほう、帝国軍の上級大将を相手に仕掛けて、しかも逃げおおせるとは、も中々やるな。」
「感心なさらないで下さい、ラインハルト様。」


いまだ、という少女の実態を掴み切れていないミュラーやファーレンハイトなどは奇妙に眉を顰めたが、ラインハルトやキルヒアイスなどその様をありありと想像できたのか、非常に複雑そうな表情を浮かべている。半分は「やはり」と思ったようだが、残る半分は「聞かなければよかった」といったところか。


「一体は卿に何をしたのだ?」
「恥ずかしながら、うっかり昼寝をしている間に髪を結ばれまして。綺麗にリボンまで付けられましたが、オイゲンに言われるまで気付きませんでした。」


ビッテンフェルトはからからと笑ったが見事なまでの体格をした軍人の頭が綺麗に編みこまれている様を想像して、今度は同僚達は非常に嫌そうな表情を浮かべた。
かろうじてそれを苦笑に留めたのはラインハルトとキルヒアイスで、彼らは慣れということなのだろう。特にラインハルトなどは髪も長いものだから、が喜んで結びに来るのだ。それにしても、相手を選べばよかろうにと、キルヒアイスなどは思ったが、懸命にも口にはしなかった。


「キルヒアイス、是非に聞かせてやりたいところだな。ビッテンフェルトは意外に物事の本質を良く見抜いてると思わないか?」
「まったく、反論の余地がありません。少しは蝶のように見えるくらい、おとなしくして欲しいものです。」


どうやら、ビッテンフェルトは地雷を踏まずにすんだようである。
予想していたブリザードが来なかったので、身構えていた他の幕僚達が視線をさりげなく戻せば、今度は幸か不幸かラインハルトと眼が合ってしまったミュラーに火の粉が降りかかった。


「ミュラー、卿の目にはあの娘はどのように映っているのだ?」
「儚さや蜘蛛の巣、という点では小官もビッテンフェルト提督と同様ですが、掴みどころの無さ、という点では、蝶にも例えられると思います。何だか、地に足が着いていないような雰囲気なども、似ていると思いますが……。」


急に振られた上、ビッテンフェルトほど遠慮なく言う気にもなれないミュラーはしどろもどろに答えたが、ラインハルトはどうやら深く言及する気はないようだった。
「ファーレンハイト、卿はどう見る?」と、次々と質問の矛先を変えていく。


「小官は一度が歌っているところに居合わせたことがあります。ビッテンフェルト提督同様、自身の経験から言わせていただくのであれば、彼女は綺麗な声で歌う小鳥でしょうな。」


僅かにあごを撫でるような仕草をし、ファーレンハイトはその時のことを思い出すように視線を泳がせた。


は歌が上手いのか?」
「初耳ですね。」


ラインハルトが素朴な疑問を投げかけ、キルヒアイスも僅かに肩をすくめて答える。ファーレンハイトは意外そうな面持ちで応えた。


「ご存知ありませんでしたか。小官も、幸運に恵まれたのは一度きりですが、何でも、何代か前のクロプシュトック候が、古い時代の音楽メディアをコレクションにしていたそうで、小官などでは知識の及ばない言葉で歌っておられました。」
「興味深いな。今度聞いてみるか。」


ふむ、と、ラインハルトが思案したようだったので、ファーレンハイトはそのまま口を噤んだ。自分の知らない一面があることに、ラインハルトは実感をつかめないようだったが、それも一瞬のことで、すぐに思い出したかのように会話を本線に戻してくる。
どうやらついに自分達にも回ってきたと、キルヒアイスに次いでラインハルトとの付き合いが長い二人の幕僚は、揃って視線を泳がせた。逃げられないのは分かっていても、つい逃げ道を探してしまう。


「どうせだから、卿らも言ってみろ。はどんなイキモノに見える?ロイエンタール、ミッターマイヤー。」


もちろん、ラインハルトは面白がっていた。普段、戦術・戦略レベルの話しかしない相手と、こんな会話をする機会など、皆無に等しい。無論、元帥府は井戸端会議をする場所では無いのが当然なのだが、自分達が蝶よ花よと大事にしているが、この自分の元帥府に違和感も無く馴染んでいることが心地よかったし、純粋に会話も楽しんでいた。
少し考える素振りを見せてから、ロイエンタールが口を開く。


「猫、ですな。」
「猫か?が?」
「猫だ。好きなときに来て、好きなときに出て行く。小官は気まぐれな猫そのものだと思います。」


訝しげな視線を向けてきたミッターマイヤーをややスルーして、ロイエンタールは淡々と評価を下す。
彼の認識では、は猫そのままだった。言葉にはしなかったが、最高級の血統書が着いているに違いない。懐いているようで懐いていない。咽喉を撫でればごろごろと鳴いても、決して一所に留まろうとはしない。気高く気まぐれで、自分の思うままに行動している、毛並みの綺麗な猫。
事実、がロイエンタールの執務室を訪れるときは常に唐突なのだから。


「おれはそうは思わないが…」


だか、ロイエンタールに対してミッターマイヤーは正反対の意見であった。思わず零れた言葉を取り繕うかの様に、僅かに姿勢を正して言いなおす。


「小官は、子犬のようだと思います。彼女は常に閣下とキルヒアイスの後ろと付いて回っている。まるで従順な子犬が置いて行かれないように必至に追いかけているように見えました。」
「従順?あれが?」


思わずラインハルトは問い返したが、なるほど、確かに従順といえば従順にも見えるのだろう。どうやらロイエンタールの猫とミッターマイヤーの子犬であれば、ミュラーやファーレンハイトには子犬の方が何となくイメージが容易であったらしい。逆にビッテンフェルトなどには、先日の悪戯と相俟って気まぐれな猫の方が納得がいくようであった。


「そうか、やはり印象というものは、人によって違うものなのだな。」
「ですが、どれもをよく表していますね。」


興味深そうにラインハルトが呟くと、キルヒアイスもくつくつと笑いを含んだ声で同意する。
は意識しているのかしていないのか、相手によって大分印象が変わる。慣れた相手には感情に伴って様々な面を見せるし、波風を立てない方がいい相手に対しては無難にこなし、弱みを見せないようにのらりくらりと交わしていくのだ。それは意識して態度を変えるというよりは、が意識して行っている処世術に過ぎない。
各々が好きなように例えているが、そのどれもがを指すのにかけ離れて外れているとは言い難かった。


「お聞きしてもよろしいなら、閣下とキルヒアイスは、をどう見ておられるので?」


興味本位というよりは、若干の意趣返しの意味を含んでいただろうが、ロイエンタールの声が、不意にラインハルトとキルヒアイスを思案の海から陸に引き摺り戻した。
年若い元帥は、帝国全土の妙齢の女性が思わず溜息を漏らすほどの美貌で振り返ったが、次の瞬間浮かべたのは、年相応の青年の顔であった。それでも、息を呑むほどの美貌であることには違いないが、ニヤリと吊り上げた口元は、宇宙の覇者のものではなく、単純に身内を自慢するものの表情だった。


「あれはな、ロイエンタール、兎だ。そうだろう?キルヒアイス。」
「えぇ、構ってやらないと、すぐに拗ねますからね。困ったものです。」


拗ねる?が?
それこそ、いまいち想像がつかない状況に思わず顔を見合わせたが、口元を吊り上げて笑っているラインハルトと、やはり困ったといいながらもどこか幸せそうに笑うキルヒアイスを前にして、それ以上聞ける幕僚はその場にはいなかった。






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2007/11/20 



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