いつだったか、ロイエンタールは親友に向かって疑問も甚だしくぼやいたことがある。 「女ってやつは、雷が鳴ったり風が荒れたりしたとき、何だって枕に抱きついたりするんだ?」 「そりゃ怖かったからだろう。」 苦笑をもって答えたミッターマイヤーは、思わず愛妻を思い浮かべた。 彼の妻もまた、雷がなると枕に抱きつくカテゴリーの女性である。 だが、帝国の双璧の片割れでもあり、漁色家の名をほしいままにしているロイエンタールは、それには納得しなかった。 「だったら俺に抱き着けばよかろうに、どうして枕に抱き着く。枕が助けてくれるとでも思っているのか、あれは?」 いかにもロイエンタールらしい返答だった。 そういうものでもなかろうに、とミッターマイヤーは思ったが、それは口にする前に留めておいた。 自分だって明確な言葉で説明出来るわけではないのだ、下手に言い返して、彼を不機嫌にする事もない。 といっても、数分後には別の角度から互いに不機嫌になり、殴り合いにまで発展してしまったので、ミッターマイヤーの配慮は結局のところ無駄に終わったわけだ。 ともあれ、今の状況を前にミッターマイヤー、その時の会話を思い出さずにはいられなかった。 季節のせいか、今日は朝から酷い雨が降っている。 雷雨へと、次第に勢いをましていくそれに、手土産を持参して元帥府を訪れたがそのまま足止めをくらってしまったのも無理は無い。 普段は公私の混同をしないラインハルトのあからさまな贔屓によって、彼の元帥府への自由な出入りを許可されているは、地上車を降りてから元帥府までのごく短い距離を、スカートを翻して駆け込むと、へなへなと壁に寄り添った。 不規則に鳴る雷の音に、その都度細い肩が跳ねる。 それを真っ先に見つけたのは、ミッターマイヤーだった。 彼はロイエンタールと共に飲みに行く約束をしており、ラウンジで相手を待っているところであったのだが、時間を幾分か過ぎてもロイエンタールが現れず、さてどうしたものかと考えていた所にを見つけたのである。 「!」 「ひゃぁっ!」 足早に近づき、その固まった肩に手をかけて呼び止めれば、は令嬢らしからぬ悲鳴をもって飛び上がった。 声をかけた方のミッターマイヤーも、あまりの反応に一瞬硬直する。 「ミ、ミッターマイヤー少将…」 「……驚かせてしまったかな?」 今にも泣き出しそうな顔で振り返られ、ミッターマイヤーは罪悪感というよりは焦りのようなものを感じながら声を押し出した。 は壁にへなへなともたれながら、「死ぬ程驚きました」と、非言語的コミュニケーションによって、こっくりと首だけ縦に落として答える。 が、また窓の外に閃光が走ると、ぴんっと背筋が跳ね上がり、肩を竦めた。 そして何拍後か、次の轟音が轟くのを警戒しているように視線を辺りに泳がせるのだが、結局、気まぐれというか不規則というか、自然の驚異の前には無意味な動作だった。 「みっ!」 轟音に半瞬遅れて、が短い奇声を上げる。 ミッターマイヤーを始め、戦場に馴れているものからすれば、むしろ雷などにいちいち反応するは珍しいのだろう。 ミッターマイヤーは挙動不審になっている小さな淑女に手を差し出した。 「フロイラインは雷が怖いのかな?」 「怖いというか…嫌いなんです」 厳密にどう違うのか、用兵の名人には分からなかったが、ミッターマイヤーはの名誉のために聞き返しはしなかった。 はで、話していた方が気が紛れるのか、いつもより3割増程度のペースでミッターマイヤーをまくし立ててくる。 「でも昔は全然平気だったんです。ジークが一緒に寝てくれたから、外でごろごろしてても、ジークにしがみついてれば、たいていはやり過ごせたの。ラインハルトとも、二人してベッドに潜り込んで、空が光るのを見たりしてると、姉様がホットミっ!」 どーんと、また雷が落ちる音に、が飛び上がる。 ミッターマイヤーが差し延べてくれた手も、閃光に数秒遅れて到達した轟音に、反射的に両耳を塞いだために、当然ながら放り出してしまう。 もちろん手を振り払われても、ミッターマイヤーは怒りなどしなかった。 苦笑に苦笑を重ねてミッターマイヤーが再び手を差し出し、は半ば消え入るような声で「ホットミルクって言おうとしたんですけど…」と、何だか律義に会話の続きを成そうとする。 しかし、二つの手はそれぞれ一つずつ耳を塞いでいるため、はせっかく差し伸べてもらったそれの手を取る事が出来ない。 「つまるところ、は雷が苦手なんだろう?」 「………そうなんです。」 ようやく認めたに、ミッターマイヤーは今度は声を立てて笑った。 納まりの悪い蜂蜜色の髪が、その声に合わせてゆらゆらと揺れる。 「何も隠すこともないだろうに。女の子というのは、大概雷が苦手なものだ。」 「そうかもしれませんけど、ラインハルトは馬鹿にするんです。」 思い返してみれば、が怖がってキルヒアイスにしがみつく度に、ラインハルトは笑っていた。 むろん、ラインハルトは殆ど未知の生物であった「自分より小さい女の子」の反応を馬鹿にしていたわけではないのだが、まだ小さかったにとってはキルヒアイスにしがみつくのが精一杯だったので、そう思っても無理は無い。 結局、そういうときは気付けばキルヒアイスから離れてラインハルトに抱えられながら、三人で頭から毛布を被り雷光を眺めていたものだ。 何とか左手を左耳に別れを告げさせて、は片方だけ手を出したが、今度は窓の外が真っ白に光った事に驚き、ミッターマイヤーの手を取る筈のの手は、それを通り越して彼の軍服をわし掴む事になってしまった。 「……………………」 「……………………」 どうしたものかとミッターマイヤーはを見遣ったが、はもういっぱいいっぱいといった雰囲気で、右手は耳を塞いだまま、縋るようにミッターマイヤーを見ている。 声を出すのが憚られるのか、「ごめんなさい」と、視線だけで必至に訴えかけてくるに、ミッターマイヤーはどうしたものかと思考をめぐらす。 相手が愛妻であれば抱きしめて笑い飛ばしてやることも出来るが、相手が上司の溺愛する侯爵令嬢ともなれば、そうもいかない。 に変な噂が立ってはいけないだろうし、その相手が既婚者である自分ともなれば、不名誉な噂を立てられるのは眼に見えている。 しかし、いつまでもこの状態で人目のあるラウンジにいるのも、問題といえば問題であった。 は左手で左耳を抑えたまま、右手でミッターマイヤーの軍服を掴んだ状態で硬直しており、視線だけがふらふらと怯えるように泳いでいる。 どうしたものかと更に考えてから、ミッターマイヤーは昔母親から教えられたことを思い出した。 「。」 「なんでしょうか?」 びくびくと窓の外を伺いながら、は最早反射的に返事をする。 また、雲が重く垂れ込めた夜空が光、轟音が落ちて、肩をすくめて眼を瞑った姿に、ミッターマイヤーは「重症だな」と、苦笑とともに呟いた。 「昔、私の母に教えられたんだが、光ってからカウントすると、音のときは怖くないらしい。」 「本当ですか?」 むしろ泣いていないのが不思議なくらいの怯えっぷりに、ミッターマイヤーはどうも苦笑を抑えることが出来ない。 本人は必至なのだから、笑うのは悪いと思いつつも、戦火の中で光にも音にも慣れてしまった軍人から見たは、些かオーバーリアクションに見えるのだ。 「さぁ、私は雷が怖いと思ったことが無いんで、残念ながら試したことが無い。」 疑わしげというよりは、そうであることを切に願うといた表情で、は次の雷を待ってみた。 来ないなら来ないでそれで良いから、と思うの都合をさらりと無視して、嵐は次の稲妻で夜空を裂く。 「ひっ!!」 「ほら、、カウントだ。」 窓の外をうかがいつつも、実際に光るとやはり肩をすくませるに、ミッターマイヤーは笑ってカウントを促す。 「3…2…1…」 「あ、おい、…」 がカウントすると同時に、ミッターマイヤーが何か言いたそうに声をかけたが、もはやの耳には届いていなかったらしい。 消え入りそうな声がカウントダウンをし、「ゼロ」という前には眼を瞑って首をすくませて轟音に備えたが、音は続いて来ず、訝しく思ったのか、が恐る恐る眼を開いた瞬間、それを狙っていたかのように落雷の音が響き渡った。 「きゃぁぁぁぁっ!」 僅かに油断した隙を、精密機器さながらの正確さで持って襲い掛かった轟音に、はもう淑女としての慎みも無く悲鳴を上げてしまった。 弾みでミッターマイヤーの軍服から手を離し、両耳を塞ぐ。 「怖いじゃないですかぁっ!!!」 「そりゃあ、『カウントダウン』じゃ意味がない。3秒で雷が落ちると分かっているなら、最初から怖がる必要もないじゃないか。」 今度こそ完全に大粒の涙を落としたが、淑女らしからぬ勢いでミッターマイヤーに泣きつけば、ミッターマイヤーは慌てたように言い返した。 確かに自分は「カウント」すれば、とは言ったが、「カウントダウン」とは言っていない。 が勝手に解釈し、勝手にカウントダウンをして、勝手に怯えているだけなのだが、恐慌状態に陥った子どもに、そんな苦情を、ミッターマイヤーが言えるわけも無かった。 「ふぇっ…ラインハルトもジークも、早く帰ってきてよぉ…」 両手を耳から離したはいいものの、今度はその手で再び軍服を掴まれた若い帝国少将は、困惑したようにそれを見やってから天を仰いだ。 空が光り音が鳴るたびにびくついている背を撫でながら、どうにも扱いに戸惑ってしまうと、同じことを思わず願ってしまったのは無理も無いだろう。 |
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