はその日、御使いと称されて相も変わらず花束を片手に持ったまま、元帥府を走り回っていた。 さすがに疲れを覚えて、休憩を取ろうと目の前のドアと、懐中時計を胸のポケットから出して彼がその時間にこの部屋にいるということを確認する。 時計を胸にしまおうとして、思い出してしまった。 「様は天使になりたいと思いますか?」 我が皇帝とキルヒアイス提督に書類を届けに参じた時に、にそう問われた。 質問の意図がどこから来ているのか、と皇帝とキルヒアイス提督を交互に見やるが苦笑と、冷や汗がのぞくだけで全くわからない。 成程、ギュンターが困ってしまうタイプの人間なのだろう。同じ色の髪と瞳を持っているというのにこんなに愛らしい、彼女は確かに天使のようだとも思った。 「様、一体それはどういうことでしょうか?」 「先程私、天使みたいと言われたのですが、もし羽根があっても私は飛べないと思うんです」 「それは何故かしら?羽根はそもそも飛ぶためのものじゃないのでしょうか」 「いえ、私の胸ってBカップなんです。」 が続けて言うには、平均的な人型の成人の身体を、天使の羽根形状のもので飛ばせようとすると、Gカップくらいの胸筋が必要になるという。 胸元にあてられる小さな手にぎょっとする。 キルヒアイスがそれを見て、わずかばかりに眉間に皺を寄せてたしなめるのと、の言葉が同時に重なった。 「…」 「様は、私よりも小柄ですからねえ…」 のその発言に、ラインハルトがくっ、と声を出して笑うものだから、キルヒアイスもひとつため息をついてふたりのやり取りを見守ることにした。 こつんこつん、とヒールを鳴らしたは、キルヒアイスには及ばないが、ラインハルトよりは背が高い。 の座っているソファの隣に、ごく自然に座ると、まるで姉妹、いや兄妹にも見えてしまう。 なぜなら、背丈の高さもだが、───軍服の下に隠れているであろうその胸が、ほぼ成人男性と同じサイズであるからだろう。 と、いうよりも華奢なので、提督達の胸板よりも薄い。男性か女性かを判別するには、まず彼女の声を聞くか、たまに差されている口紅か、ブーツのヒールを目にするかしないとわからないものだ。 もちろんその場にいたキルヒアイスとラインハルトは口にはしないが。 「私もそれくらいあったならば、飛べるのでしょうかね?」 「様は、空を飛びたいのですか?」 「興味はあります。が、私には残念なことに、御覧のとおり真っ平らですから」 今度はが絶句する番だった。 楽しげに、今日はクリアな紅をさした唇が持ち上がり、の手を取り、自分の胸にあてがわせた。 「ね、ないでしょう」 「あら」 ぺたぺたとの手を何事もなく、自身の胸に触らせる。どう答えていいものか困惑しきりのを楽しげに見ていると、鈍い音がした。 ごつっ。頬杖を突いていたラインハルトが頭から机に落下し、キルヒアイスが顔を赤から青に染めて。 これはさすがにまずかったか。はまた自身の悪い癖が出たことを自覚して、ふたりに深く詫びの礼を下げる。 「大変失礼しました」 けろっとしているあたり、さして大したこととは思っていないのであろう。 ラインハルトは額を抑え、肩を小刻みに揺らして笑っている。 「ラ、ラインハルト様!」 「いや…話には時折聞いていたが、つくづく、面白い女だな…確かにあのアイゼナッハの幕僚らしい、な。大佐?」 「違うでしょう…」 恐縮でございます。キルヒアイスの突っ込みは流されてしまい、ラインハルトはまた楽しげに装飾が施されている肩を揺らした。 はさらっと言ってのけると、キルヒアイスにも深々と申し訳なさそうに頭を下げた。 こりゃ当分近づくのはやめておこう。 はともっと話をしてみたかったのだが、仕事に戻ることにした。 それが3日前の出来事である。 「ギュンター!いる?ちょっと、いい?あまった花持ってきたから生けてあげるわよ。まったく、この部屋殺風景にも」 程があるわよ。と言おうとしたがそれを飲み込まざるを得なくなってしまった。 ドアを勢い良くあければ、殺風景どころか、そこには煙草を持ったまま寛ぐキスリング、そして提督方がずらりと並んでいた。 場所は間違ってはいない。此処は親衛隊の中でも上の階級の人物たちが休憩をとる場所なのだ。 赤の瞳に映したのはロイエンタール、ミッターマイヤーをはじめ、ミュラー、ファーレンハイト、ビッテンフェルト…ほとんどの元帥方の集合には体をこわばらせた。 「閣下まで…なんでここに」 「あっ!!様!」 アイゼナッハへ問いかける途中に、聞き覚えのある小鳥のような声が後ろからを捕らえた。 「様!…に、陛下、キルヒアイス提督も?それに、この部屋の状態…一体どうなさったのですか?」 3日前の出来事で俄然興味が湧いたのか、ラインハルトが楽しげに話しかけてきた。 「何だ、卿は知らないのか。 最近は任務の空き時間を見つけると、自分の部下のいないところで休みたい者がこの部屋に来るようになってな。 最初は誰だったかは知らぬが、いつの間にやら高級士官クラブ状態だ」 皮肉りながら白のマントを翻して歩くラインハルトの裏に、キルヒアイスも続いて部屋に入る。 すでには部屋の真ん中にあるソファで、小さく人形のように座り込んでいる。 に次々話題を振っていく提督達、笑いあう声。 その光景を全部視界に収めると、は瞬時に理解した。 (天使に癒される憩いの場、地上のヴァルハラとでもいうところかしら?) 「お前も座れば?上司が休憩を取っているのに、その部下が休憩してはいけないということはないだろう」 持っていた花束を奪われ、ほんの少し目線を持ち上げると自分の恋人が迎え入れてくれた。 ダンケ、と花束を見て笑うその顔が若干所在なさげにも見える。 「大変ねえ、相変わらず」 「俺は休憩も仕事のうちさ」 「過労死しないでよね」 「しねえよ」 笑いあいながら、はキスリングの隣に腰かけて、煙草の炎をもらう。 煙を吐き出して、ようやく気付く。 提督方をはじめ、全員の好奇の目が自分たちを向いていることに。 「…キスリング、お前も笑うんだな」 ラインハルトがにやりと美しい顔を歪めたのをきっかけに、彼と同期であるミュラーが柔らかに続ける。 「小官も隊長のそのような顔は、なかなか拝見したことがありませんよ」 「同盟軍がマネキン人形と言っているくらいだからな!」 ビッテンフェルトの揶揄に明らかにキスリングの顔から笑みが消え、憮然とした普段の顔に戻る。 あーああ、これはまた随分機嫌悪くなったこと。 周りはそうは思っていないので、すっかり話の種にされてしまっている。 仕方がないので、はため息をつきながら、キスリングの耳元でシガーケースに一本入れといてと囁く。 「まあ、こう見えてもキスリング隊長は人間ですよ。寒かろうと暑かろうと顔色ひとつ変えませんが、ビスクドールじゃ陛下をお守りできないでしょう?そう思いません?様」 急に話題を振られて、きょとん、とが小首をかしげた。 膝を抱えて、その白い足の眩しいことはまるで天使の羽みたいにふわりと軽そうだった。 「そういえば、この間の天使の羽根のお話が途中でやめざるを得なくて、とても残念でしたのよ、私」 はにこりとの傍にヒールを鳴らしてかがみこんだ。 身長差を考慮して、ソファに座ることなくかがんだままにあの時は失礼いたしましたとが笑う。 天使の羽と言えば、各提督はからGカップ認定されたビッテンフェルトとケンプについ目が向いてしまう。 いったい、この変わり者大佐は何を今度は言い出す気なのか。 誰も恐ろしくて彼女の口を止めることはできなかった。 「様に私、ひとつ嘘をついてしまいました。あの時に確かめて御覧になったとき、私の胸は膨らんでおりませんでしたよね?」 げほっ、ごほっ、とミュラーやルッツが持っていたコーヒーを噴き出す。 確かめるって何をだ。 膨らんでないって何だ。 疑問符が提督達の頭の中に次々と浮かんでは消えない。 ロイエンタールと、ラインハルトだけが面白そうに笑っている。アイゼナッハは分かっていることのように淡々とコーヒーを口に運んでいた。 (……お前まさか) キスリングがつう、と背筋に冷や汗をかいた。 立ち上がり、ぱちん、と彼女は上着を脱いでみせる。 「あら!」 の赤い眼がぱちくりと開いた。 上着を脱いだの白いシャツの胸部に、薄い体の胸部を守るように巻きつけてあるようなプラスティックの甲冑があった。 「包帯を巻いて胸を押さえるのもいいのですが、どうせならば心臓をガードできるようにと、このように胸部をプロテクターで保護しておりますの」 だから、ほんとは私。 ぱっちん。 プロテクターが乾いた音を出してその役目を一時終える。 ふくよかな胸の厚みは、決してビッテンフェルトやケンプには適うものではないが、それでも 「推定Eカップ、くらいか?羨ましいな、キスリング隊長?」 冷静に品定めをするような青と黒の両目が、の膨らみを計測した。 もちろん、背後でミッターマイヤーが背中を小突かれるとわかってはいたが、足まで踏まれるとはロイエンタールも計算外だったようで、ほんの少し眉をしかめた。 「流石ロイエンタール提督ですね。大当たりです」 そんな応酬があろうとなかろうと関係はない。いやな顔ひとつすることなく、はロイエンタールに微笑み返す。 は目の前にある羽根布団のようなそのやわらかな胸をじいっと見つめて、ほう、とため息をついた。 「様なら飛べちゃうかもしれませんね」 「でも私の胸は、ある程度筋肉もありますが、やっぱり脂肪なんですよ」 ほら、ね。 との頭を引き寄せてはぱふんと自分の胸に抱き寄せて見せた。 顔には出なかったが、キルヒアイスが固まったのをラインハルトはさてどうしたものかと高みの見物を決め込む。 ロイエンタール、アイゼナッハ以外の提督はカップを宙に浮かせたまま、その光景から目が離せないでいる。 ルッツの目が藤色に染まり、ファーレンハイトが苦虫を噛んだ顔をして、ビッテンフェルトは瞬きすらできずにいた。 「ふわふわ…」 香水と、煙草での頭を抱きしめる感触からは想像に難い苦い匂いがした。 が小声で不思議そうにつぶやく。 「ね、ふわふわでしょう。だって、本当に私の胸には羽が入っているんですから。筋力なんてつけようはいくらでもあるけど、羽がなくちゃあ、飛べないでしょ?」 悪戯っ子な目でがに笑いかけた。 もちろん冗談、という意味合いを存分に含んだものをも瞬時に理解する。 「様の胸も、きっと羽の量が増えていきますよ、これから、ね?」 それがどういうことかはもちろん言わずにおく。 もその意味は理解はしているのかいないのか、少し困った顔になる。 アイゼナッハが片目だけすまなそうにキルヒアイスの青い瞳に合わせ、二人は無言のうちにやりとりをした。 いつかふたりで飛んでみましょうか。 がそう言うと、もはい、素敵ですねと答えた。 キルヒアイスと同様、固まったままのミュラーの隣にいたキスリングが小さく声を漏らした。 「…熱っ」 フィルターまでその煙草を燃やし切ってしまっていたのだ。 人差し指に恨めしげに舌を這わせるキスリングに、ミュラーはようやく一息ついた。 「心中察しますよ、隊長。と、大佐の羽の量とお前の関係が俺はすごーく気になるんだけどね?」 「…お前も羽が欲しいとかいうなよ。俺はそんな趣味はない」 「馬鹿か、俺もない!」 気色悪いこと言うな!お前がその話を振ってきたくせに!やるか?久々に!上官殿に手は出せませんよ、提督? あっという間に今度は、キスリングとミュラーの同期同士の口喧嘩が始まったのをいいことに、提督達もその話を聞こうと胸をなでおろしてコーヒーをすすり始めた。 「あらあら、まったく男の人ってなんでこう喧嘩っぱやいのかしらねえ」 その発端が自身にあるということは、自覚もあるだろうに、それを自分の恋人と上官へと受け流させてしまう。 (もしかしたら、様の胸の羽は白じゃなくて、黒かもしれない) 楽しげにプロテクターを着け直すを見て、ははっきりとそう思った。 だが、ラインハルトとキルヒアイスは抜け目がなかった。 ふたりの名前、キスリング、アイゼナッハのサインもおまけされて 「・大佐 禁煙1ヶ月を命じる」と大本営に大っぴらに張られたのだから。 そして「ストレスで羽がなくなっちゃう!!」とがひたすらに叫ぶ声が元帥府に響いていたとか、いないとか。 |
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