その日珍しいことに、自分の官舎に訪れたミュラーにキスリングは少し肩の力が抜けた。 冷え切ったビールが口数を増えさせ、事の顛末を聞いたミュラーが、くっくっと楽しげに笑いながら、ビールに口をつけた。 「いや、可愛らしい話じゃないか・・・結構、言われないだけでお前、憧れられてるとは思うがね」 「・・・やめてくれ。だったらお前もやってみるか?一日中陛下を御守してみるか?」 ギロリとトパーズの目が不満げにミュラーに詰め寄る。 ミュラーは首を軽く横に振った。 「でも珍しいじゃないか。お前、そういうの凄く嫌がるだろうに」 「嫌とかそういう問題じゃないだろうが。まあ・・・フロイライン・クロプシュトック・・・ねえ」 あ、もう無くなったとキスリングが空のビール缶をくしゃりと握りつぶす。 その様子を見ていると、ミュラーからしたら本当に面白い。 キスリングは苦手なもの、要らないものに至っては何も言わず、手の中のビール缶の如く握りつぶしてしまうのだ。 それが一日中傍にいて、しかも足音が気にならないほどだなんて、余程の事。 「明日あたりも何かあると思って、頑張ってください、隊長殿」 「・・・・・・・お前ねえ・・・・・・」 はあ、とため息をつくキスリングに対してミュラーは笑みが絶えることはなかった。 次の朝、ラインハルトの傍にの姿は無かった。 残念だったなミュラー、と安堵し、いつもの様にラインハルトの後ろを一定の距離を保って進む。 昼食をたまには外で摂ろうと、庭に出て、芝生の上を歩く。 さくり、さくりと柔な草を踏む音が風にさらわれた。 流石に自分でも、芝生では足音を出すことになってしまうよなあとキスリングが心中で苦笑していると、ラインハルトが笑いながらキスリングに振り返る。 「キスリング、昨日はすまなかったな。あのがまだ諦めてるとは思わないが、卿の邪魔になるようなら言っておく」 トパーズの瞳が少し緊張した。 「いえ、決してその様には思いません。ですがもし万が一何かありましたら危のうございますので」 「ああ、それくらいは流石にキルヒアイスにでも言われただろうな・・・」 涼やかな笑みに、ほんの少し何かを含んでいるのをキスリングは見落とさなかった。 ラインハルトが昼食を摂る間、庭の警備にあたる者を確認しながら庭園を一周する。 もちろん隊員たちの確認もだが、庭に何か危険物が無いかどうかの確認の方が大事な仕事であった。 黄玉色の目をこらしながら、猫の様に歩き回る。 ・・・あれは何だ? 植木の傍にきらり、と何かが光るのを捉えた。 傍に寄ってみれば、頭を抱えたい気分と、声に出して笑ってしまいたい気分が同時に湧き上がった。 見覚えがはっきりとある、精緻なデザインの小さなミュール。 ご丁寧に揃えてあるそれを手にとると、少しの温度が手に感じられた。 やれやれ、ミュラーの言うとおりになってしまった。 「フロイライン・クロプシュトック?」 声に出して、見渡してみる。 広いが、隠れられる場所はそうそうない。 カサカサと音がするほうを向くと、銀の髪をなびかせてが木立の中から出てきた。 ペロッと、悪戯が見つかった子供みたいに舌を出しながら。 「とお呼びになってと言いましたのに」 すらりと歩く裸足が芝生の上に白く浮かんでいるようで、足音が無いように思えた。 「ジークに怒られちゃいました。お仕事のお邪魔はしてはいけないですよね。ご免なさい。 それで、芝生で裸足なら、あまり音がしないことがわかりましたの! ラインハルトを驚かせることが出来るかもしれないかと思っていたのですが、先に大佐に見つけられてしまいましたね、残念」 成程、それで自分の後を突いて回っていたということかとようやくキスリングは納得がいった。 思わず笑いが零れた。 が不思議そうに紅の両目で覗き込み、キスリングは瞬時に失礼、と詫びる。 「裸足で外を歩くのは危のうございます。どうぞ」 の前にミュールを揃え置き、昨日と同じように手を差し伸べた。 「あら、残念です。裸足で芝生を歩くのは気持ちがいいのに」 少し俯き加減に、キスリングの手を取りながら昨日と同じようにはミュールに足を通した。 手を離すと、今度は、が楽しそうに笑ってキスリングを見上げた。 「なんだかまるで、シンデレラみたいですね」 「・・・シンデレラ・・・?」 「サンドリヨンとも言いますね、ご存知ないですか?」 「いえ、存じております。しかし何故?」 ぴったりと華奢な足に合ったミュールを眺めながら、は続けた。 「例えるなら昨日が舞踏会で、今日は、王子様が靴を持ってきてくれた、という下りがそっくりでしょう?」 それはそれは楽しそうに、姫君が笑うので、王子役に抜擢されてしまったキスリングは思わず髪をかきあげた。 「フロイライン、いえ、様・・・出来ましたら今のお話は、誰にもなさいませんようにお願いしたいのですが」 今此処に陛下と、キルヒアイス提督がいないことを心底安心する。 「あら、どうしてですか?」 「庭を裸足で歩いていたなんて知られたら、もっと怒られてしまうのではないでしょうか?」 様、と呼んだことで幾分か機嫌が良いのだろう彼女と、彼女が叱られたくない相手の名前を出すことでキスリングはかくして王子の役目をひっそりと終えたのだった。 |
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