ガイエスブルグ要塞における勝利の式典に際に、もその出席を望んだ。 もう少し正確な表現をするのであれば、は式典への出席を望んだわけではなく、ただガイエスブルグ要塞へ向かうことを望んだのだ。 「メルカッツ提督の遺品を……あればご家族に届けようと思って。 とてもよくしてくださったから。」 それが理由だった。 を含め、メルカッツが同盟へと亡命したことを、帝国の将官たちは知りようも無い。 だが、知っていたところで、家族が再会することはもう無いのだ。 ラインハルトはの意向を汲んだ。 ただし、が一人でその中を歩き回ることは渋ったため、メルカッツが使用していた部屋へ向かうのは式典後とされたのだ。 そういった経緯の元、は弔いのために用意したシルクで作られた百合の花束を抱えて仕官の列に並んだのである。 式典会場を無感情に眺めていると、やがて列の端からざわめきが起こり、特殊ガラスのケースに収められたブラウンシュヴァイク公の遺体が運び込まれてきた。 付き添ってきたのは、腹心とも言われていたアンスバッハである。 無表情にラインハルトに一礼したアンスバッハを、参列者の間から漏れた冷笑が容赦なく叩く。 だが、はその姿を笑う気にはなれなかった。 アンスバッハが放つ、得体の知れない緊張感のようなものを、は敏感に感じ取っていたのだ。 「負けた陣営の人が、勝者の司令官に主君の遺体を持って降伏を申し入れることは、良くあることなのかしら?」 アンスバッハの行動を食い入るように見つめていたが、不意に口を開く。 誰に問いかけるでもなく呟かれた言葉に、気付いた参列者は居なかった。 だが、緩やかにアンスバッハが一礼して、亡き主君の遺体を収めたケースを開けた瞬間、それはの中でピークに達したのだ。 「お待ちになって。」 酷く張り詰めた様子でその光景、主君の死体を検分させようとしている腹心の姿を見ていたは、その得体の知れない予感が何なのか分からないままに声を上げていた。 同時に、一歩踏み出したに、並んだ士官達の視線が集中する。 その行動をいぶかしむ視線の中には、むろんラインハルトとキルヒアイスの物も含まれていたが、は反射的に踏み出した足を止めることなくアンスバッハとブラウンシュヴァイク公の柩を見据えた。 「死者に、弔いを。」 本来であれば、メルカッツに捧げられるはずの、光沢を持ったシルクの百合を抱え上げて、はアンスバッハにまた一歩踏み出す。 沈黙した式典会場に、の体重を感じさせない硬質なヒールの音だけが、緩慢に響いた。 参列した殆ど全ての人間が、不自然なほどに強張ったを見つめる中で、アンスバッハだけが一つ溜息を落とす。 無表情のままでそれを受けていたが柩にたどり着き、アンスバッハから眼を離したのはほんの一瞬だった。 奇妙な緊張を孕んだアンスバッハの原因であろう、ブラウンシュヴァイク公の遺体に、眼を落としたその一瞬だけだったのだ。 が眼にしたのは、腹を裂いた遺体だった。 そして、そこから少しはみ出している金属。 それに手を伸ばした男。 主君の柩の蓋を開けたのは、遺体の検分のためではなかった。 まるで手品のような鮮やかさを持って、アンスバッハの手の中に凶器が現れる。 ハンド・キャノンと呼ばれるそれを、アンスバッハ最も近距離に位置するに向け、昂然と言い放った。 「ローエングラム侯、我が主君、ブラウンシュヴァイク公の敵を取らせていただく。」 否、照準はではなく、その直線上に立ったラインハルトに向けられていた。 ハンド・キャノンの威力を考えれば、間に少女が一人入った所で問題にはならない。 ならないはずだった。 轟然とハンド・キャノンが炎を吐き出した瞬間、ラインハルトの脳裏を支配したのは、自身ではなくが無惨に四散した姿だった。 儚い程に小さな身体は、成す術もなく炎に焼かれ、衝撃によって有り得ない方向によじれて、五体が千切れるはずだった。 しかし、現実に四散したのは、愛すべき幼なじみの身体でも自分自身の身体でもなく、ラインハルトから2メートル程離れた壁面だったのである。 その場の誰もが総てを目撃しながら動き得なかったその瞬間に、アンスバッハの狂気に最も近い場所にいたのみが、動いていたのだ。 その砲口が狙いを定めてから引き金を引く瞬間に、は吹けば飛ぶような華奢な身体が持つ、最大の力を込めて、ハンド・キャノンの砲口を薙ぎ払ったのだった。 アンスバッハの口から、低い声が上がる。 それは、ラインハルトの抹殺を、無力な存在であるべきはずのによって阻止されたことに対する、怒りと憎悪の声だった。 咆哮は強烈な殺気を伴って参列した歴戦の勇将の肌に叩き付けられたが、は怯まなかった。 自分でも違和感を覚える程に、冷静だったのだ。 殆ど唯一、アンスバッハの様子に漠然とながらも不穏さを感じ取っていたには、主君の遺体を切り裂き、臓腑を抜いてそこに武器を隠したという事実に、驚く要素を見出せなかった。 ヴェスターラントの一件が無ければ、あるいはその状況も変わっていたかも知れない。 アンスバッハがハンド・キャノンを取り出して、それをに向けた時でさえ、は自分が狙われたとは思わなかったのである。 殆ど無意識の内に、アンスバッハとラインハルトの間に立ったがその凶器を眼にした瞬間に理解したのは、アンスバッハの純然たる殺意だった。 『この人は、殺す気なんだ。 ラインハルトを。』 一瞬でその事実にたどり着いた時、は殆ど無意識に腕を振り上げていた。 がっ、と、鈍い音がして、左腕に衝撃が走る。 痛みを感じたのは、大分経ってからだった。 が一瞬でもためらえば、アンスバッハは二人の命を奪うことに成功していただろう。 それだけに、阻止されたと悟った瞬間のアンスバッハの憎悪は一気に膨れ上がり、弾けた。 「小娘が!」 アンスバッハはハンド・キャノンを振り上げ、振り下ろす。 の頭を、強かに殴りつけた上で、さらに開いている片手での首を掴んで床から引きずり上げた。 いずれも名を轟かせるローエングラム軍の将官も、最悪の事態を想定してブラスターに手をかけたが、アンスバッハはその身体を参列した将官たちと自身の間に盾にしたのだ。 アンスバッハ一人に対し、それを取り囲む総てがローエングラム軍の幕僚である。 取り囲んでしまえば一瞬であったが、不用意にブラスターは打てなかった。 この期に及んで、自身の命の終結が明確すぎるほど明確な男の、最後の悪足掻きだ。 それを理解している本人も、窒息よりもむしろの頚椎を折る勢いでその細い首に一層の力を込める。 ぎりぎりと、死が迫って来るのを、は自覚した。 だが、息苦しさと痛みで意識が薄れるどころか、遥かに鋭い感覚を持って、は口々に自分の名を叫ぶ声の中から、最も信頼する者の声を聞き分けたのだ。 「!」 キルヒアイスは、とその延長上に居るラインハルトにハンド・キャノンが向けられた瞬間に動きえることが出来た唯一の人物だった。 そして彼は、が首を捕まれたその瞬間でさえ止まることはなかったのである。 の背中には目は無かったが、彼女はその声がキルヒアイスのものであることも、その手がブラスターを持っていることも、自分を助けようとしていることも、アンスバッハを撃つのに自分が邪魔であることも、その声を聞いた瞬間に理解したのだ。 キルヒアイスの靴音がなおも近付く中で、は無造作に自身の髪を止めていたヘアピンを抜き取り、それをその勢いのままにアンスバッハの右目に突き立てた。 僅か5センチにも満たない凶器は、嫌な感触と共に苦悶の悲鳴を呼んで、アンスバッハがを離す。 まともに受け身をとることも出来ず床に落ちたの、銀糸を縫うようにして、キルヒアイスがブラスターの引き金を引いた。 発砲の音と同じ数だけ、アンスバッハの身体に紅い斑点が生じ、そのままキルヒアイスは倒れたを飛び越えて、暗殺者を取り押さえたのである。 床に崩れたの、酸素を貪る呼吸音にようやく動き得た幕僚達の軍靴が続く。 ケンプやビッテンフェルトがキルヒアイスに続いてアンスバッハを押さえ付け、ミッターマイヤーとロイエンタールがを抱き起こした。 「! キルヒアイス!」 「は?!」 駆け寄ったラインハルトと、アンスバッハを押さえ込んだままのキルヒアイスが同時に叫ぶ。 ひゅっと小さくのどを鳴らせては激しく咳き込んだが、どうやら最悪の事態は免れたようだった。 急激な死と生の綱渡りを強制されたは、白過ぎる肌を更に白くして未だ呼吸を乱していたが、それでも霞む視界の中でラインハルトの安否を気にしていたのである。 苦しさに滲んだ涙と、銃身で殴られたために滴った血液で霞む視界を、目が眩む程の黄金色が支配する。 直視出来ない太陽を見たときのような、そんな焦躁を感じた瞬間、の瞼はその意志に反して固く閉ざされていった。 同時に、茶番にも見える帝国の内戦も、幕を閉じたのである。 |
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