それ以来、はガイエスブルグ要塞の自分の為に用意された、贅のみに重点を置かれた悪趣味な一室に閉じこもることが多くなった。 ラインハルトとの約束を守るのには、貴族達との接触を経つことが最も確実な方法であったし、退屈を感じ始めるころには、ファーレンハイトがまめに顔を覗かせてくれるようになっていた。 このまま、自分が知らない場所で、内戦が全部終わってしまえばいいと思ったのも事実だったが、貴族達に対して怯みもせずに一人立ち向かう姿は、の知らないところで一人歩きし始めていたのである。 密告、というには些か度を過ぎたように思えるその内容を聞かされて、が言葉を失った原因も、もとを質せばそうしたに好感をもち、貴族達に辟易していた一般兵がの部屋に駆け込んできたからである。 ブラウンシュヴァイク公が、自身の領地であるヴェスターラントに熱核攻撃を加えるという情報を聞き、は頭で考えるより先に口が答えていた。 「嘘でしょう?」 言葉ではそう言い返したものの、顔が青ざめてしまったのは、ブラウンシュヴァイク公ならやりかねないと、思考回路のどこかではそう思ったからだ。 しかし、に助けを求めたヴェスターラント出身の一兵士が冗談を言っている様子は無く、更にその件を諌言したアンスバッハが軟禁され、核攻撃中止とアンスバッハの釈放を求めたメルカッツまでもが面会を拒否された旨を聞くと、それはもう疑う余地の無いことだった。 は僅かに考え込んでから、縋るような視線の一兵士に微笑んだ。 「『必ず止めます』という言質は、残念ながら与えられません。ですけど、私に出来る総てのことをしましょう。」 この時点で、はラインハルトがこの一件を黙認しているなど、欠片も知る由はない。しかし、たとえ知っていたとしても、は飛び出しただろう。 は兵士を返すと同時に小さな身体を翻した。起動させたまま、スタンバイを維持しているパソコンを開き、要塞内のハッキングを開始する。 さて、どうやってヴェスターラントまで行くか。行くだけではだめだろう。核を止めなければ意味が無い。これから出撃するのか、あるいは既に出撃したのか。出撃していないのなら、に出来ることはせいぜいハッキングで出撃シークエンスをプロテクトして時間を稼ぐことぐらいであろうし、出撃してしまったなら大急ぎで追いかけなくてはならない。そして核を放つ前に核攻撃隊の戦艦を落とすにしろ、放たれた核そのものを落とすにしろ、ある程度火力を有した戦艦が必要になってくる。どちらにしてもあまり時間は無いはずだ。 考えながら驚嘆すべき速度でコンソールを操作していたは、目的の情報を見つけると、無意識に舌打ちをして再び身を翻した。 軍部のデータによれば、ガイエスブルグから小一時間ほど前に15隻ほどの小規模攻撃部隊が出撃したというシークエンス履歴が残っている。既にヴェスターラントに悪夢が放たれているのだ。 ならば、火力が揃っている高速戦闘艦で出撃した核攻撃部隊を追い、撃墜するのがベストだろう。は瞬時に判断したが、しかし、当然と言えば当然のことながら、正規軍人でも予備役軍人でも、そのどちらでもないには、高速戦闘艦などの指揮権は無い。 古い貴族であったから、私兵団は有していたが、それも祖父の事件の折りにほぼ壊滅されたし、そもそも今回のリップシュタット戦役でも、結果的には拉致された形でガイエスブルグ要塞に連れて来られたのだ。まったく、門閥貴族の一員であるからといって、小娘一人を加えたところで、何も変わらないだろうに。頭が悪いのかしら?と、はぼやきながらも更に考える。 仮に、オーディンにはクロプシュトック専用艦があったとしても、そこまで取りに行く暇はない。つまり、このガイエスブルグ内でクルーごと奪取しなければならないわけだ。 「考えるの。何か方法があるはずよ、。」 白いドレスを翻して、は羽根が生えたような速度で走りだした。 ごく平均的な貴族の令嬢であったなら、は永遠に要塞の軍部には辿り着けなかっただろう。だが、良くも悪くも企画外の思考回路を持ったは、軍部までの通路を知らなかったにも関わらず、あっさりと見つけて進んで行った。 長くて装飾気の無い廊下を半ば走るように進むと、その先に見覚えのある後姿捕えた。誰かと話しているようだが、幸い自分には気付いていない。は心の中で3回謝ると、真珠を通した髪飾りを無造作に引っ張った。衝撃で、真珠が散らばり、実用一辺倒の廊下には不似合いな、不規則で澄んだ音が響く。 ファーレンハイトが振り返ったのはその音を聞いていたからだったが、の行動はそれよりも幾分か早かった。ファーレンハイトが声をかけるよりも早く、その首に真珠を通していたワイヤーをかける。 若い将校は瞬時に事態を悟ると、無駄な抵抗はしなかった。 「フロイライン・クロプシュトック。冗談が過ぎますよ。」 ファーレンハイトは驚いている話し相手を視線だけで黙らせて、背中に張り付いているに溜息混じりに忠告した。だが、としても無茶は百も二百も承知なのだ。 「すいません。冗談ではないんです。緊急事態である上、私一人ではどうしようも無かったので。一生に一度のお願いですから、私と一緒に来てくれませんか?」 随分と無茶をしたものだ。ファーレンハイトとの身長差ひとつをとっても、これがに出来る精一杯であることは、両者共に理解している。 思わず腰のブラスターに手をかけた自身の部下を、ファーレンハイトは目線だけで留めた。 「私なんかがこんなことをしても、提督ならどうにでも出来ることはわかってます。」 「、それは、随分な脅迫の仕方だな。」 「ヴェスターラントに核が落とされます。」 ファーレンハイトの軽口を、は強引にねじ伏せた。 冗談としては性質が悪いし、冗談で無いとすれば直悪い。ファーレンハイトも彼の部下も、流石に黙した。は真剣そのものの声で更に続ける。 「攻撃隊は、つい先ほど出撃したようです。止めるには、今すぐ出ないと間に合わないんです。協力していただけませんか?」 「――やれやれ、指揮官ごと戦艦をハイジャックしようというのか、は。」 「止めようとなさったアンスバッハ准将は軟禁されたそうです。手段を選んでいる余裕はありません。」 気丈を装っているが、その実、は今にも泣き出しそうな声だ。 きりきりと締めあがるワイヤーは、ファーレンハイトの首に細い傷をつけると同時にの手にも傷を残していく。自身のそれよりも、そのことに気付いたファーレンハイトはやや仰け反るようにして力を抜いた。 「よろしいでしょう。アースグリムで出撃します。ザンデルス、艦に連絡を。即時出撃準備。」 ファーレンハイトの副官は、無言で頷き、踵を返すと迅速すぎる足取りでその場から立ち去った。それを見届けたは、気が緩んだかのように深く息をつく。 「、何もこんなことをしなくても、普通に言えばよかったでしょうに。」 「でも、そうするとファーレンハイト提督が裏切り者、ということにされてしまいますでしょう?そうならないためには、私が強制して仕方なく、ということにしなくてはならないと思って。出ていただけるなら嬉しいですけど、出たら最後、おそらくは戻れませんし…。」 「の脅迫が成功するようでは、私は軍人としての信用を失ってしまいますね。」 ファーレンハイトはの細腕を眺めて笑ったが、苦笑と共に返されたのは、とんでもない言葉だった。 「ですけど、流石に爆発物を付けられてしまったら、従わざるを得ないでしょう?」 「何ですって?」 「爆発物です。まぁ、最終手段ですけれど。大丈夫、どなたにもご協力いただけるようなどうしようもない方法も、一応用意してあるんです。」 「そんなものまで持っているとは驚きだ。」 出撃する際も、港を開くのに力尽くになると思いましたから、と。は恐ろしいことを何でも無いことのように告げながら、ちょこんと、首にかけているネックレスのベッドをつまんだ。 いったいどの程度の規模の爆破が可能な火薬を仕込んでいるのかは知らないが、それをいかにも普通の装飾品と変わらぬ様子で身に着けているにも驚いた。 それ以前に、どう考えてもそれは気の使うところが大いに間違っているし、どうしようもない方法にも程がある。内心で冷や汗を拭ったファーレンハイトだったが、は淡々と彼の首からワイヤーを外すと、丁寧に巻き取ってそれを仕舞い込んだ。 「ですけど、考えてみればフレーゲル男爵でさえ、無断出撃できたんですもの。ファーレンハイト提督に出来ないはずがありませんよね。」 無邪気に口説き文句を言われてしまい、ファーレンハイトは苦笑を浮かべつつ溜息を零した。無論、には気付かれないようにである。 そして、軍服のポケットからハンカチを出すと、それこそ年長者の威厳を総動員してに応じたのだ。 「せめて、脅迫はもう少し練習をしてからにしてください。脅迫する側は普通、自分は傷つかないようにやるものです。」 いらぬ教育を施しながらファーレンハイトは、綺麗に紅い亀裂が入ったの手にハンカチを巻いたのである。 |
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