本当であれば、軽く運動でも出来る場所があればよかったのかもしれなかったが、流石にそんな場所があったとしても、この状況下で足を運ぶ気にはなれなかった。 しかし、少し沈んだ気分が多少なりとも浮上する要素は、別に運動だけではないことは確かだった。 考え込みながらふらふらと歩いているところで、は不意に曲がり角で見覚えのある人物と鉢合わせたのだ。 「ファーレンハイト提督。」 「おや、フロイライン・クロプシュトック。珍しいですね。こんな殺風景な場所で、散歩ですか?」 「そうですね。少し煮詰まってしまったようなので。」 悪戯っぽい笑みを向けられて、はややぎこちなくそれに答えた。 この戦い以前に面識を持っていたファーレンハイトは、貴族軍に属した今でもに対する態度を変えない。 メルカッツにも同じことが言えるが、彼はを派閥抜きにただの少女として認識しているようだった。 だからこそ、は気負わずに対することが出来るのだが、この情勢では何時までその関係が続くかも不明だった。 肩を並べて歩き出すと、ファーレンハイトは大分身長差があるを見下ろして問いかける。 「早く、終わるといいですね。」 その意味は、明白である。早く、が本来あるべき場所に戻れることを、この水色の髪と目をした将官は願ってくれているのだ。 は少し笑ったが、やはり笑みはぎこちなかった。 「そうですね。その結末が、どうなるかは分かりませんけれど…」 ぽつりと呟いた言葉に、ファーレンハイトは眉をしかめる。 彼はに対して高い評価をしていたが、今の言葉を理解することが出来なかったのである。 「フロイラインは、我が軍が勝つと思われるのです?」 「前にも言いましたけど、で結構ですよ、ファーレンハイト提督。軍事に疎い小娘の主観から言わせていただくなら、むしろ逆だと思っています。貴族軍には、勝てる要素が見つけられません。」 遠慮もへったくれも無く言われた言葉に、ファーレンハイトは思わず苦笑を漏らした。 ファーレンハイト自身も、貴族軍が勝つとは思っていなかった。 それだけに、が「どうなるか分からない」と言った言葉に、違和感を覚えたのだ。 普段の明朗快活な様子が、今日は受けられないは、少しやさぐれているようにも見える。 「ちょっと、思うところがありまして。私は、何も知らないくせに、知ったかぶって行動していたものですから…。そのうちしっぺ返しを受けるかもしれません。」 一つずつ頭の中を整理して、言葉も選びながら答えるに、ファーレンハイトは思わずその頭に大きな手をのせた。 ぽんぽんと、子供を宥めるような動作に、最初は少し驚いた表情を浮かべたも、すぐに花が咲いたような笑みを返してくる。 この要塞に拉致されてきてからは、意識的に作り出した笑みばかりだったが、今のそれは、ラインハルトやキルヒアイスが居るときに見せるものと同じものだった。 「、戦うのは軍人の仕事です。貴方の仕事は、自ら戦うことではなくて、戦場から帰ってきたローエングラム元帥を迎えることですよ。のその笑顔のために、あの青年は戦っているのでしょうから。」 とてもとても、ラインハルト本人を前にしては言えない言葉だった。だが、年長者としては、無力を嘆いているを慰めるためには必要な言葉なのだ。 それを察したも、恥じたように少し頬を赤らめて答えようとしたが、それは声になる前にの咽喉の奥に戻されてしまった。 代わりに聞こえてきたのは、ヒステリックな男達に声だった。 「死を恐れはしない。だが、敵と戦って戦場で倒れるのではなく、勇気と自尊心を知らない司令官によって処断されるのは耐え難い苦しみだ。軍法会議など不要、この場で自殺させてくれ。」 いかにも古典的英雄を気取った、自己陶酔も極みな発言だ。もう何世紀か前でなら、声の持ち主であるフレーゲルは古典劇の役者になれただろう。しかし、その才能は、この時代の戦場では無意味極まりないものだった。 の顔から面白いほどはっきりと微笑が消え失せて、彼女は声のする方向へゆったりと足を進めた。 「貴族軍の皆様は、今度は何をしたのです?」 「司令官の命令を無視して出撃した奴らが、帰ってきたのでしょう。」 答えるファーレンハイトの声も、苦々しさを隠せない。はその張本人であるフレーゲルが見える位置まで来ると足を止め、酷く無機質な人形のような表情でそれを見やった。 確かに今、自分は少しやさぐれているのかもしれない。そういう自覚は、少なからずあった。それは、自分の無力を思ってのことかもしれないし、そんな自分が見ていても無能だと思う貴族達に対しての怒りも含まれていたかもしれない。 とにかく、ラインハルトと無茶はしないと約束したばかりであるにも関わらず、は溢れる感情の波を抑えることが出来なかったのだ。 「フレーゲル少将の仰るとおりだ」 「彼だけを死なせるわけには行かない。吾ら全員、この場で自殺し、帝国貴族の誇りを後世に示そうではないか。」 「では、死ねばよろしいでしょう。」 フレーゲルの言葉に賛同した若い貴族達の言葉に、は間髪要れずに絶対零度の微笑みを持って答えた。 敗戦が続いて緊張を孕んでいる貴族達の空気に当てられたのか、最近ではの微笑にも刃こぼれが生じてきている。もう無邪気さを思わせない冷酷な微笑に、若い貴族達は目に見えて怯んだ。彼女の眼の色が鮮血を連想させるピジョン・ブラッドであることも、彼らを怯ませるのに一役買っていた。 敗戦色が濃い今日この頃では、いつ八つ当たりでローエングラム派を公言しているに危険が及ぶか分かったものではない。さりげなく、しかし目を光らせて、のその身に危害が及ばないように気を配っているメルカッツやファーレンハイトからしてみれば、手のかかる令嬢であるが、自分達が言ってやりたいことを、誰に憚ることなく口にするは、痛快でもあった。それが、結果的に自軍に対して不利に働く要素を多大に孕んでいたところで、理性と感情は別物なのである。 だが、今回のそれは、いつもと同じような雰囲気ではなかった。メルカッツが溜息以上のものを出すことも許されず、ファーレンハイトが舌打ちで留めたのに対し、は舌鋒鋭く悲劇の役者を気取った貴族達を冷笑したのだ。美しいだけに、ぞっとするほどの迫力を持って。 「よろしいじゃありませんの。ご自身が破られた規則に対して、ご自身で始末をつけると仰られるのですから。軍法会議などでメルカッツ提督のお手を煩わせまいという、皆様のお心使いなのでしょう?」 言いながら、はドレスの裾を捲り上げる。はっとするほど白い足が露になって、刹那の間周囲の視線を釘付けにしたが、再び無造作にスカートが下ろされた後は、その視線を釘付けにしたのはの手に握られていた小さな銃だった。 慣れない手つきで、は小さなその銃に弾が装填されていることと、安全装置がしっかり掛かっていることを確認してから、それをフレーゲルの足下へと放り投げた。 「軍規は、皇帝陛下の御名において定められたものですもの。それを破っておいて、生きながらえようなど、選ばれた民である男爵様にはさぞや耐え難いことでございましょう?微力ながら、私もお手伝い致しますわ。銃がお嫌でしたら、こちらのピアスには自決用の毒も用意してありますのよ。」 そして今度は、片方だけ、右耳の細い筒状のピアスをはずして、フレーゲルの方へ放り投げる。 興奮して赤くなっていたフレーゲルの顔は、次第に青くなり、最後には真っ白になってはるか年下のの前に立ち尽くした。 軽々しく発し、同調された若い貴族たちの主張は、完膚なきまでに揚げ足を取られたのである。フレーゲルは歯軋りと共に、憎々しげにを睨みつけたが、は平然として、酷く無表情な顔で見返している。 にとってはバカバカしい限りであり、呆れを通り越して怒りさえ覚える言葉だった。フレーゲルを始とする貴族達は言い返す術を見出せないでいたが、フレーゲルの伯父はそうではなかった。 「黙れ。戦場を知らぬ愚かな小娘が。」 小娘と言われたところで、は表情一つ変えなかった。フレーゲルの伯父に当たるブラウンシュヴァイク公は、それ以上には見向きもせずに声高に言い放つ。 「これは戦闘のことではないからな。盟主たる私が最終的に決断を下すのは当然の権利であり、義務でもあろう。」 続く、今回の内戦において初の勝利を彼は過剰なまでに賞賛し、最後は「帝国万歳」で締めくくられた盟主の演説に、若い貴族達はの言葉などまるで最初から聞かなかったかのように熱狂的な叫びで応じている。 はそれ以上、口を開かなかった。それは隣にいたファーレンハイトも、その場にいたメルカッツも同様だった。 この内戦が始まって今までに、一体どれほどの戦闘があったのか、も多少は知っている。その最初の勝利を、今の時点で歓喜していることが、遅いと言うことを、彼らは気付いていないのだろうか。 軍事には疎いでさえそう思うのだから、彼らを統べる立場であるメルカッツや共に戦わなくてはならないファーレンハイトなどは失望を禁じえないだろう。 が視線を上げれば、熱狂する貴族達を無表情に見据えている老将の姿があった。 |
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