「下劣な貴族共がっ!即刻叩き潰してくれるっ!!」 その報告を受けた時、ラインハルトは烈火の如く爆発した。蒼氷色の眼は高温の炎となって、その視線だけでも人を焼き殺せそうな程の勢いだった。大声を得意とするビッテンフェルトでさえ、上官の怒声には驚愕したという。 対して副官と参謀と幼なじみの三役を兼ねる赤毛の青年は、ドライアイスの冷気が床を満たしていくような、無音の怒気を湛えて静かに微笑んだきりだった。実際に部屋の温度が低下したわけではないにもかかわらず、誰もが同じ事を感じとったのは、季節のせいだけではないだろう。あからさまに怒っていると態度で示しつつも、その顔の一番上に張り付けた表情が微笑であるというのは、中々に居心地が悪い。どんなに怒り狂っていても、まだ感情と表情が相関関係にあるラインハルトの方が扱いやすかった。 改めてリップシュタット盟約に集結した貴族達はラインハルトに殊更ある名前を強調した文書を送り付けてきたのである。 それだけで勝ち誇ったかのように大きく書かれていた名前は、『・フォン・クロプシュトック』。ラインハルトとキルヒアイスが目の中に入れても痛くない程に溺愛している少女の名前だった。 しかし、不思議と誰一人が自らの意思でリップシュタット盟約に名を連ねたとは考えた者はいなかったのだ。それは、「ありえない」という言葉に近かったのかもしれない。 役得と言うべきなのか、それとも、彼女の性格を考えれば、と言うことなのかは、様々に思うところはあるであろうが、やはり一番大きかったのは、とラインハルトやキルヒアイスとの関係であろう。彼女が、彼らを裏切ると言うことは、それこそ「ありえない」事実として、顔を並べた提督たちのたちの共通認識となっていた。 となれば、『・フォン・クロプシュトック』の同盟への参加は、必然的にその経過は拉致・監禁・脅迫ということになる。 単にこちらの士気を削ごうという意図なのか、人質として用いようとしているのか、どちらにしろ、ラインハルトとキルヒアイスにとって痛手には違いなかった。 ラインハルトの怒号に沈黙した元帥府の幕僚たちは、互いに顔を見合わせている。 ここに勤めるものであれば、彼らがどれほど幼なじみの令嬢を溺愛しているか知らない者はいない。トップが首根っこを押さえられた状態で戦いに臨めるのかと、暗に顔を見合わせていた。 だが、激昂しているラインハルトの横で、その姿を見た者すべてを石に変えてしまうメデューサさながらの微笑をたたえたキルヒアイスは、送り付けられた文書をテーブルに放り投げた。 「馬鹿娘。」 低く呟かれた一言に、ひやりと空気が凍る。その空気に頭を冷やされたラインハルトも、がしがしと豪奢な髪に手を突っ込んで呟いた。 「の奴、予測してたな。」 「あるいは、すでに手が伸びていたのかもしれませんね。」 その言葉に、形の良い眉を傾げたのはロイエンタールで、それだけに留まらなかったのはミッターマイヤーだった。 これ以上火に油を注がないよう、言葉を吟味しながらゆっくりとといかける。 「といいますと、フロイライン・クロプシュトックは自らの意志で貴族軍に下ったと?」 「ではこちらも問うが、が貴族共に組するメリットはなんだ?」 ミッターマイヤーの声には好奇心は微塵も含まれては居なかった。ただ、事実確認を求めるような事務的な口調であったが、ラインハルトは冷ややかな中に火砕流よりも危険な怒りを込めて答える。 そんな視線を受ければ、誰しもが怯むであろうに、ミッターマイヤーは怯む様子など全く無く、少し考えてみた。が、少し考えた程度ではあの一風どころか二風も三風も変わったの思考が理解出来る訳もない。彼女の思考回路は特殊だと断言も出来るが、それでも二転しようが三転しようが、から貴族軍に働きかけると言うことは、やはり「ありえない」ことだろう。 逆に、ブラウンシュヴァイク公がにアプローチをかけてくる可能性も考えたが、既に世間では過去の出来事として忘れ去られたとはいえ、彼女は盟約を統べるブラウンシュヴァイク公の邸宅を爆破した張本人の孫なのだ。貴族が自身の家名を傷つけられた相手を、それほど簡単に許容するはずが無い。 そんな結果に辿り着き、ミッターマイヤーは僅かに苦笑を浮かべながら短く答える。 「ありませんな。」 「ならば、そういうことだ。」 「それでは誘拐ではありませんか!」 「だから、そう言っている。」 ビッテンフェルトが机を叩かんばかりの勢いで言えば、ラインハルトは射殺さんばかりの視線を窓の外に投げた。 「まったく、だから護衛を付けろと言ったのに!」 ぎりぎりと爪を立てられた哀れなカーテンはともかく、に対しては策をこうじなければならない。 「キルヒアイス、どう考える?」 「取られてしまったものは仕方ありません。取り返せばいいのです。」 さらりと凄いことを言う。 キルヒアイスは笑みに笑みを重ねて、にっこりと笑った。相手が頭の中身が足りない少女であれば頬を染めたに違いないが、生憎と歴戦の将たちは背筋に氷塊を落とされたように、反射的に肩を竦める。 そのうちの半数は、どんな無理難題を吹っ掛けられるかと思ったようだが、共に理性を怒りで吹き飛ばしているように思えたラインハルトとキルヒアイスは、さすがにそこまで我を失っていたわけではなかった。 「キルヒアイス、五千名の兵を率いて柊館を警護しろ。の拉致が人質を目的としたものならば、姉上にもその可能性がある。」 「はい。」 「手始めに軍務尚書を拘禁・拘束し指揮文書の発送機能を押さえろ。統帥本部も制圧し、本部総長も拘禁しておけ。オーディンの大気圏外衛星軌道に艦隊を置いて固める。外宙域は臨戦体制をしいて不審な船は落として構わん。ただし、民間船は拘束に留めておけ。脱走者を逃すな。宇宙港もおさえておけよ。」 反駁を許さない口調であったが、そうでなくても誰も意を唱えるものなどいなかっただろう。 ただ一人、最後に口を開いたのは、今まで沈黙を守っていたオーベルシュタインだった。 「愛すべき幼馴染殿への対処は、いかがするおつもりで?」 相手によっては侮辱ともとられかねない言い方で問い掛けたが、ラインハルトは一拍おいてから美しい顔を崩し、笑って答えた。 「残念ながら盟約に名を連ねた以上、は貴族軍の内ということになるな。それが本人の意思によるものかどうかはこの際問題ではない。後で申し開きをさせる。先方がどういうつもりでを拉致したかは知らんが、せいぜい大事に扱わせておけ。俺はを愛してはいても溺愛しているわけではない。」 いっそ凄絶と表現するべき笑みだった。 あれだけの怒気をみせてなお、私情を挟む気は無いと言い切っている。本心ではないにしろ、元帥府の頂点に立つものとして、それだけの分別が残っていることを示したのだ。 ただし、ラインハルトはを取り戻すことを諦めたわけではなかった。 「の身柄について、先方が何を言っても相手にするな。あれは俺の幕僚でも家族でもない。知己ではあるがな。したがってを人質とした交渉に応じる理由は無い。ただし、奪い返す機会は逃すな。」 まさに言いたい事だけ言ったラインハルトに、キルヒアイスとオーベルシュタインがそれぞれ苦笑と溜息を漏らし、他の幕僚がなんとも言えない表情を浮かべたところで、その日の軍議は解散となった。 |
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