てくてくてく、と。 の手を掴んで歩いていたラインハルトは、しばらく無言で歩んでから不意に足を止めた。 コンマ3秒置いてから、ばふんと音を立ててがラインハルトの背中に突っ込む。 うー…、と、背後から零れた奇妙な唸り声に、ラインハルトはやはり無言で振り返った。 「いひゃい…」 「――悪い。」 何か言ってやろうと思っていたのに、顔を抑えて涙目に見上げてくるに、ラインハルトは負けたのだ。 すん、と鼻をすすって痛みを飲み込んだに、ラインハルトは気まずそうにその顔に触れる。 探るように滑らかな肌に触れれば、なんとも言いがたい心地よい感触が手に残った。 「鼻が潰れちゃったじゃない。」 「少しくらい潰れたほうが可愛く見えるぞ。」 「酷い。」 それだけ言えれば上出来だ、とばかりに、ラインハルトはぷくっと頬を膨らませたの頬を摘んだ。 ふしゅーっと口内を膨らました空気が吐き出されて、今度はが自分の顔を摘んでいるラインハルトの手に自分の手を伸ばした。 しかしラインハルトは面白がっているのか、うにうにとの頬をこねくり回す。 「酷い顔だな、。」 「はにゃひへよー!」 「ちゃんと人間の言葉を話してみろ。」 くっくっく、と。 ラインハルトの咽喉の奥から笑みが漏れ出してくる。 対照的にの真っ赤な眼に涙が滲んだところで、ラインハルトはようやく手を離した。 「顔が伸びたらどうしてくれるの?」 「今度は縦に引っ張ってバランスを取ればいいじゃないか。」 「顔がおっきくなっちゃうわ。」 「いい気味だ。そうしたら求婚してくる奴も、少しは減るんじゃないのか?」 ふふん、と。 ついさっきまで笑っていたラインハルトは、自分で言った言葉で本題を思い出したように機嫌が急降下して行った。 酷くわかりやすいくらいに顔を顰めたラインハルトに、は少し不満そうに美貌の幼馴染を見上げた。 「そんなの知らないもん。それに、相手だって別に本気でプロポーズしたわけじゃないわよ。」 どうやらにはの言い分があるらしい。 無論、はラインハルトのものでは無いから、ラインハルトがとやかくいうことでは無いのだが、そのあたりの都合については、どうやら二人とも気付いていないようだった。 「本当だろうな?」 「本当よ。いい大人がこんな子供に本気で いちいち間に受けるほうが馬鹿馬鹿しいわ、と。 はいたって平然と応える。 その言い分はさっきも聞いたような気がするし、多分は本気でそう思っているのだろう。 そして本気でそう思っていて、きっといつもの屈託の無い笑みで「おからかいになっては嫌ですわ」と受け流しているのだ。 銀河帝国では至上の存在である皇帝すらその言葉で交わしてきたである。 それこそチューリップの球根でも持ってきた方が、はよっぽど喜んだだろう。 てくてくと、再びヴァン・ローゼを求めて地下室へと歩き出したラインハルトは、小さく溜息をついてから一歩遅れてその後ろについてきたの手を、もう一度取った。 「、お前危機感が無さ過ぎだぞ。」 「そうかしら?」 多分、は自分の表面を飾っている容姿がどれほど異性の関心を引くかを分かっていないのだ。 それは、恋愛においては経験値が皆無のラインハルトにさえ理解できる。 だから、に求婚してきた相手がことごとく本気であったことも、簡単すぎるほど簡単に想像できた。 今まで、と言っても、再会してからこちら、出来る限りその方面についても予防線を張ってきたのだが、やはりそういう時期が訪れたのかも知れない。 「――、ちなみにお前に求婚者が現れた経緯はなんだったんだ?」 「え?経緯?ゾンネンフェルス伯のご当主が最初だったかしら?」 なんでも、代々結婚運に恵まれないのですって。 はそう続けたが、ラインハルトに言わせればそれは理由にはならない。 というか、どれを取っても認めないのだが。 しかしは、更に指折り数えて答える。 「あとは、マールバッハ伯爵のご子息とか、コルプト子爵の奥様とか、フレーゲル男爵とか?」 「コルプト子爵の奥方?」 「うん。上の二人のご子息がクロプシュトック事件の時に亡くなって、しかも末の息子さんには奥さん候補がいないんですって。『責任を取れ』ってことなのかしら?」 てくてくの手を引いて歩いていたラインハルトは再び足を止めた。 つまり、ラインハルトに全幅の信頼を寄せていたは再び裏切られてしまった。 「いひゃい…」 また鼻が潰れたらしいの声に、ラインハルトはうっかり忌ま忌ましげな舌打ちをしそうになった。 ということは、コルプト子爵というのは、あの、コルプト子爵なのか、と。 の祖父である当時のクロプシュトック侯討伐の折に、暴行と略奪と虐殺を同時に行いミッターマイヤーに眉間を打ち抜かれた弟と、それを逆恨み、同盟軍との交戦中のどさくさに紛れてミッターマイヤーを殺そうとして自身の命を落とした兄の。 まだ兄弟がいたのか、と、些かうんざりとラインハルトは眉をしかめる。 上の二人がそんなのであれば、どうせ残る兄弟も似たようなものなのだろう。 そんな輩は最初からして求婚の資格も無いのだが、他に上がった名前だってろくなものではない。 フレーゲル男爵というのは、あの、フレーゲル男爵のことであろう。 全く、どうしてはそんな人間ばかり引き寄せるのだろうか。 「――、階段だ。気をつけろよ。」 ぐちぐちと説教をしたい気持ちでいっぱいであったが、だけどラインハルトはそのすべてを飲み込んでまた歩き出した。 多少なりともの性格を知っている身から言えば、自覚が無い以上言っても理解出来ないだろうから。 しかも、ラインハルトは面白くないと思っても、にしてみれば言い寄られるのは不可抗力なのである。 だからラインハルトは、無言で階段を降り出したのだが、ぐっと手を引っ張られたはうっかりつんのめってまたラインハルトに突っ込んでしまった。 「ラインハルト、待って…」 軍服のかたさなど三度も味わえば充分過ぎである。 空いた片手で鼻を押さえて何だか泣き出しそうな声を上げるを、ラインハルトはひょいと抱き上げた。 「きゃっ!」 落ちないようにと慌ててラインハルトの首に腕を絡めてくる反応に満足して、彼は足取りを変える事なく地下室へと階段を下って行く。 昔から、を抱き上げて宥めるのはキルヒアイスの仕事だったから、何だか新鮮に思えた。 地下室といっても、そこは多少室温が下がった程度であって、部屋へ続く廊下も地下室自体も、女主の人となりを示すかのように明るく綺麗に調えられていた。 どうやらワインセラーになっているらしいそこの片隅にあった脚立の上にを降ろすと、ラインハルトはほぼ平行になった視線を捕まえる。 「。」 「なぁに?ラインハルト。」 まだ少し甘えたかったらしいは、ラインハルトの綺麗過ぎる金髪に指を絡ませる。 は様々な意味で『綺麗なもの』が好きであることを知っているラインハルトは、小さく片を竦めてその手を離した。 気に入ったのなら後で好きなだけ触らせてやるから、今は俺の話を聞けと言って。 「。お前にはその気が無くても相手が強行手段に出ることもある。だから次からは、必ず俺達に言うんだ。」 もちろん、の結婚について、自分達が口を挟む権利など無いことは、ラインハルトだって重々承知の上だ。 しかしそれでも、言わずにはいられないのである。 その、何とも言い難いラインハルトの表情を察したのか、は以外にもあっさりと「分かったわ」と応えた。 礼儀上だけでも建前だけでも、とりあえずそれに安堵したらしいラインハルトが表情を緩めてくしゃりとの頭を撫でる。 いかにも歳相応の少女らしい笑みに、ラインハルトも更に連鎖的に笑みを浮かべた。 が、は確かにだったから。 「ところでラインハルト。」 「何だ?。」 「シャフハウゼン子爵夫人が下さったヴァン・ローゼってどれかしら?何だかヴァン・ローゼがいっぱいあるみたいなんだけど……」 「……………」 投げ込まれた爆弾に、ラインハルトは固まった。 しかし至上最年少の若き元帥は、一瞬後には深いため息をつくと同時にまたの頬を摘み、うねうねと引っ張りながら厳かに告げたのである。 「、宝探しは好きか?」 |
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