賑わっている式典の中でも、ひときわ注目を集めていたはずのは、ラインハルトの式典が始まってしまうと、祝いと渡したはずの薔薇をその胸に、さっさとその式典会場を後にしてしまった。 無論、はラインハルトが至高の存在へ向かってまた一つ新たな階梯を上がることになんら不満があるわけではない。 ただ、それを祝うべき場所に自分がいるべきではないことを、知っていたのだ。 皇帝に寵愛されたアンネローゼとその弟のラインハルト。 その彼と皇帝の間で、いかようにも噂されているが、皇帝が丹精込めて育てた薔薇を引っさげてラインハルトを祝ったのだから。 これでまたしばらく、自分の身の回りでは面白可笑しい噂が流れるのだろうな、と。 はもう一本、ラインハルトのために用意した薔薇とは対照的な色をしたそれを片手に、黒真珠の間から離れていく。 向かう先は、勿論紫水晶の間だ。 ラインハルトが一つ高みに近づく度に、彼の腹心であり親友であり、そしてにとっても大切な存在であるキルヒアイスもまた、一つずつ階梯を上がっていくことになるのだ。 それを、はラインハルトが高みに近づいていくのとはまた違った意味で、喜んでいた。 今日を持って元帥となったラインハルトは、早くから将官位であったために、貴族が参列する式典やパーティーにもその参列を許されていた。 しかし、キルヒアイスはそれを許される身分ではなかったのだ。 ただ単純に、キルヒアイス一人を仲間はずれにしているような気分を拭えなかったにとっては、キルヒアイスの昇進はラインハルトのそれよりも遥かに喜ぶべきところにあるのである。 なんとも子どもじみた感情であると指摘されればまったく反論の余地もない。 ラインハルトが聞けば大いに落胆するであろうし、キルヒアイスは苦笑を浮かべるであろうが、その理由が「これで三人一緒に式典に出られるわね」といわれてしまえば、二人はもう何もいえないであろう。 仮にも貴族の端に名を連ねるに公に会うには、今のところは無意味極まりない式典に参加することが一番確立が高いのだから。 やラインハルトの感覚では、友人に会うのに何を憚るものがあるのだ、といいたいところであるが、そもそも貴族令嬢というものは社交パーティーなどを覗いた場ではそう頻繁に異性と会うものではないというのが、常らしい。 それを、最も『貴族』という身分に縁が無いはずのキルヒアイスが切々と説くのだから、なんとも奇妙な話である。 だからに不名誉な噂が立たないようにと二人を説き伏せて、細々とキルヒアイスが気を回していることもあって、実際のところはがラインハルトやキルヒアイスと直接に合う回数と言うのは、そう多くは無い。 もちろん、直接顔を合わせるわけではないヴィジフォンなどは、毎日のようにしているのだが。 くるくると、は赤いリボンを巻いた一本の白薔薇を回しながら廊下を歩いていく。 途中で通り過ぎる等間隔に並んだ警備兵は、その姿を横目でいぶかしむことはあっても、それをとがめることはしなかった。 誰もが、というには大げさであるが、それだけの知名度は一人歩きをしているのだろう。 それは本人ばかりが知るところではなかったが、は新無憂宮の中で自分の自由が確保できていることについて、それほど深くは考えていなかった。 紫水晶の間は、ラインハルトの式典が行われている黒真珠の間からは幅広の廊下を一つ挟んだだけの場所にあり、それほど遠いわけではない。 元帥の式典に比べれば、将官位の式典は比べるほども無く簡素であるから、もうそろそろ終わっているはずだろうとあたりをつけたは、気持ちだけ遠慮がちに、その部屋の扉を開けた。 「ジーク」と、声をかけ掛けて、慌ててその声を飲み込む。 彼女の愛すべき兄は、一人ではなかったのだ。 「えっと、お邪魔でしたでしょうか…?」 キルヒアイスの背中越しに視線が合った、薄い茶色の目に、は躊躇いがちに声をかける。 キルヒアイスはそのとき初めての存在に気付いたようだったが、それより先に声をかけられた男は、僅かに目を細めてから独り言のように呟いた。 「クロプシュトック侯爵令嬢か。」 それは、侮蔑の響きを含めたものではなかったが、好意的な響きも微塵も含んでいなかった。 肩越しに振り返ったキルヒアイスは、まだ公の仮面を外すわけにはいかないことを、に軽く会釈することで伝える。 察しの良い少女は、キルヒアイスのその行動だけで理解し、同じ様に小さくドレスの裾を摘んで膝を折った。 「クロプシュトック侯爵令嬢にございます。そちらは…?」 「パウル・フォン・オーベルシュタイン大佐です。」 「オーベルシュタイン大佐は、キルヒアイス大佐に何か御用でしたのかしら?」 互いに礼儀の内で済ませられる範囲の紹介が済むと、先に首をかしげたのはの方だった。 は一瞬しか、彼らのやり取りを目にしていないが、オーベルシュタインはとてもキルヒアイスの昇進を祝いに駆けつけたようには見えなかったし、キルヒアイスからもやや困惑しているような雰囲気を感じたから。 「フロイラインこそ、キルヒアイス大佐に何か御用だったのでは?」 しかし、オーベルシュタインはの問いには答えず、同じ質問を返した。 この場合、同じ人間に対して二人の人間が用を持って声をかけた場合は、その身分が高いほうが優先されるべきなのが通例であるが、オーベルシュタインの問いはどちらかというと『何故貴族令嬢の貴女が平民出身の一軍人に用があるのか』という意味合いの方が強かった。 そしてそれを感じ取ったのは、よりもむしろキルヒアイスの方であった。 この、オーベルシュタインという男の問いは、暇を持て余した遊蕩貴族が興味本位で男女の仲を伺うそれとは、同じ言葉であっても全く意味が違う。 おそらく彼は、キルヒアイスの向こうにラインハルトというもっと大きな存在をとらえた上で、この令嬢がどんな位置で関わっているのかを伺っているのだろう。 それは、『フォン』の称号を持つとはいえ、一軍人に過ぎないオーベルシュタインの分を超えた質問であった。 どういう意図があるのかは分からない。 しかし、不用意に近づいていいような相手ではない。 一瞬にして判断したキルヒアイスは、僅かに眉を顰めてに注意を送ろうとしたが、の反応はそれよりも早かった。 「オーベルシュタイン大佐…目が…」 驚いたようなその声に、反射的にキルヒアイスも視線を向ければ、オーベルシュタインの両目は異様な光が浮かべて此方を見ていた。 予想もしていなかったことに、とキルヒアイスは驚いたような表情を浮かべたが、その表情に隠された驚きは互いに全く正反対の要素を含んでいた。 「失礼、義眼の調子が少し悪いようだ。」 目を伏せるように、オーベルシュタインは視界を細める。 それはおそらく、相手に対する気遣いの内に入っているのだろう。 キルヒアイスは逆に恐縮して、あからさまに驚いてしまったことを詫びたが、は更に興味深そうにオーベルシュタインの方へ近づくと、更にその目を覗き込もうとした。 「フロイライン」 キルヒアイスがやんわりと、それを咎めるように声をかけたが、はオーベルシュタインとキルヒアイスの長身の丁度真ん中に立つようにして、キルヒアイスを振り返ると、キルヒアイスどころかオーベルシュタインですらも驚かせる感想を述べた。 「だって、綺麗だったんですもの。」 きらきらして、ちょっと虹みたいだと思ってしまいました、と、付け加えて。 |
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