Replica * Fantasy







星を砕く者編 23




I do not still know the art which changes it into hope at the just slight distance to despair 05
―絶望までのほんの僅かな道のりで それを希望にかえる術を僕はまだ知らない―





『 Ich wurde enttauscht !(ざ ん ね ん で し た) 』


 眼にも鮮やかな紅い色の文字が書かれたナフキンは、ラインハルトの手の中で握りつぶされてしまった。その文字を見ていたキルヒアイスは無理も無いと思ったが、それを端から見ていたミッターマイヤーやロイエンタールなどは、秘かに首を傾げていただろう。
 通常であれば、まずはそのメッセージを誰がどんな目的で書いたかということから分析が始まるところであるが、ラインハルトとキルヒアイスはごく短時間でそれを終わらせた。


「キルヒアイス、誰が書いたと思う?」
「十中八九、でしょう。これは、おそらく男爵夫人が昨晩つけていた口紅の色でしょうね。」
「どんな目的で書いたと思う?」
「私たちに、ということだったら、後でお仕置きですね。まあ、犯人へのメッセージというあたりが妥当なところでしょうか。」
「そうだな。全く、分かっているのかいないのか、下手をすれば犯人を煽ることなるだろうに。」


 溜息と共に結論を出すと、握りつぶしたナフキンを放り出し、そして今度はそこら辺に無造作に放り出されていたナイフを手にとって見た。


「これはどう思う?」
「――以前このナイフでがパンプキンパイを切っていたような記憶があります。」
「そうか、パンプキンパイだったか?俺はケルシーのケーキだったような気がしたが。」
「ええ。パンプキンパイの前はケルシーのケーキでした。その前にはそれで林檎の皮を剥いていたような記憶もあります。シナモンと一緒に煮ると言って。」


 何故、普段からが愛用しているナイフが此処にあるのか、正直二人は頭を抱えたくなった。は呑気にも、お茶会で使用しているナイフを護身用に持っていたのだろうか。それとも、護身用のナイフをお茶会で使用していたのだろうか。どちらにしても、彼女の感覚が普通ではないことの証明にしかならない。
 とりあえず、館にいた唯一の女性は意識不明で眼を覚ます様子は無く、やマグダレーナと接触したのかどうかも確認が取れない。取れないが、長くシュザンナの館に勤めている侍女であると、同じく彼女の館に勤める侍女が証言した。
シュザンナの館を改める際に、無用な混乱を招かないようにと、キルヒアイスが煮えたぎる感情を押し殺して笑みを浮かべながら館の使用人たちに協力を求めたことが効いていたらしい。『赤毛ののっぽさん』の微笑みは、意外なところで意外な使い道があったわけである。
 それだけ分かれば、もう十分だ。意識の無い侍女は一応病院へ収容させ、ラインハルトを戦闘にキルヒアイスとミッターマイヤー、ロイエンタールは部下を引き連れて小さな館を捜索したが、二人の姿は何処にも見えなかった。どうやら一足違いだったようである。
 侍女が倒れていた部屋には、さほど活用されていないの白いバッグが発見され、更にその部屋の窓枠には同じく白いレースが僅かに引っかかっていたのである。ナイフだけでも、充分が此処にいた形跡とみなすことが出来るだろうが、ここまで揃っていれば疑う余地も無い。昨夜が身に付けていたそれを確認したラインハルトとキルヒアイスは、すぐさま次の指示を出した。


「ミッターマイヤー、ロイエンタール。それぞれ新無憂宮の本殿へ向かう道と、グリューネワルト伯爵夫人の居館までの道を探してくれ。まだその辺をうろうろしているかもしれん。キルヒアイスは各門と警備兵へ連絡を、『見つけ次第保護しろ』とな。俺は姉上の居館にいる。」


 普段は皇帝の許可が無ければ、ラインハルトとアンネローゼは姉弟であるにも関わらず自由に会うことも出来ない。だが、今回は『許可』があり、ラインハルトが部下、つまりキルヒアイスを伴ってアンネローゼの居館を訪れても、何の問題も無いのだ。
 『許可』はとマグダレーナの捜索のためであり、かねてからアンネローゼとも親しい二人が、彼女に助けを求めて訪れる可能性は、極めて高いからである。


「足取りがつかめそうですか?」
「ああ。多分自力で脱出したんだろう。まだそこら辺を歩いているはずだ。」


 ロイエンタールが頭の中で指示を反芻しながら聞けば、ラインハルトは無造作にあごをしゃくって外へと続く道を示す。を誘拐されたことで募っていた苛立ちは、首謀者が自決させられたことで行き場を失い、そしてどうやら自力で逃げ出した本人へと向かってしまったらしい。「大人しく捕えられていれば此処で終わったのに」という、ラインハルトの溜息を、ロイエンタールはうっかり聞いてしまった。無論彼は懸命な判断が出来る人間であったから、不用意に聞き返すなどというヘマはしなかったが、だか、折角ロイエンタールが聞かなかったことにした内容を、うっかりミッターマイヤーは呟いてしまった。


「自力で脱出、ですか…?」
「何も難しく考える必要はありませんよ、ミッターマイヤー提督。相手が貴族令嬢だと思ってはいけません。子どもが一階の窓から外に出た。それだけのことです。」


 無論、ミッターマイヤーも真正面から問いかけたりはしなかった。ついうっかり、独り言のように呟いてしまっただけである。それだけだったが、キルヒアイスはそれを聞き逃したりしなかった。にっこりと微笑んで、ミッターマイヤーに丁寧に答える。
 なるほど。貴族令嬢なら、一階とはいえ侍女に一撃食らわせて窓から脱出などしないかも知れないが、子どもならするかも知れない。


――するのだろうか?窓から飛び出すということはともかくとして、侍女に一撃……?


「どうかしましたか?」
「――いや、なんでもない。では、俺は本殿までの道を捜索してみる。」
「はい、お願いします。」


 冷や汗と共に何とか応えると、ミッターマイヤーはキルヒアイスの返事を待たずにさっさと踵を返した。ロイエンタールもそれに倣うように、小さく敬礼をラインハルトに返してから踵を返していく。それをも笑みで見送ってから、キルヒアイスは一つ溜息をついた。それを目ざとくラインハルトに見られて、キルヒアイスは誤魔化すように苦笑を浮かべる。


「振り回されているな、俺たちは。」
「ええ。無事でいてくれればいいのですが…」


 それは、偽らざる本音である。シュザンナが鬼籍に名を連ね、危険は去ったはずなのに、たった一人の安否が分からないだけで、こうも落ち着かないものか。溜息をついて、ラインハルトはが愛用している、本来の使用目的とは異なった存在意義を課せられたらしいナイフをしまった。


「キルヒアイス、俺は姉上のところにいる。お前も門と警備兵へ伝達したら、来い。」
「分かりました。」
「――出来れば、姉上のところへ行く途中に見つけたいものだな。」
「ええ。きっとも、アンネローゼ様のところを目指しているでしょうから。」


 短く交わすと、キルヒアイスはラインハルトに一礼して館を出て行き、ラインハルトは部屋を出る前に、数時間前までは確かにとマグダレーナが居たはずの部屋を一望して、そして館を後にした。






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2008/04/25 



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