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星を砕く者編 18




The pure white dove has an olive and an unfortunate incident in its mouth together
―真っ白の鳩はオリーブと凶事を一緒に銜えてやってくる―





「それ以上、動くなとは言わぬ。動いてみろ。そうすれば私としても卿らの肥大した心臓を打ち抜く口実が出来るというものだ。」


クリスタルガラスを叩く氷のような響きで、ラインハルトはブラスターを向けたままフレーゲルを冷笑した。その実、果てしも無い怒りが込められていることに気付いていたのはキルヒアイスだけだったが。
正確に、だけを無傷ですり抜けるようにブラスターの引き金を引いたラインハルトは、一も二も無くフレーゲルを撃ち殺してしまいたい衝動と、必死で戦っていたのだ。彼にしてみれば、をこんなところに連れ出し、こんな暴力的なものを見せた時点で、フレーゲルは万死に値する存在だった。いま少しフレーゲルを庇うものが居るとすれば、が軍刑務所を訪れたのは、前後の事情はどうであれ、紛れも無く自身の意思であると告げたかも知れないが、今の雰囲気ではとても口を挟めるものは居なかっただろう。
当のはと言えば、突然現れたラインハルトら三人に驚いたものの、同時に自分が安全であることを悟り、彼らが自分の名前を呼ばないのをいいことに、ミッターマイヤーに駆け寄って「大丈夫ですか?」とハンカチを差し出している。
その手が自分に伸びなかったことに、八つ当たりを含みつつも怒気を漲らせたフレーゲルは、ラインハルトを苛烈に睨み返しながらも、「孺子」と、ただそれだけを口にするのが精一杯であった。ミッターマイヤーのとき同様、実力の行使に出るのも時間の問題と思われたが、それを留めたのは更に第三者の声だった。


「そこまでにしていただこう。」


穏やかな声が独房に木霊し、現れたアンスバッハがフレーゲルを諫める。伯父であるブラウンシュヴァイク公の名前を出されては、フレーゲルは何も出来なかった。結局、彼は「自重」するしかなかったのである。


「行くぞ、。」


足音も荒々しく、友人たちを従えて出て行こうとするフレーゲルは、さも当然のようにに告げた。その一言が、またもラインハルトとキルヒアイスの眉をしかめさせたことなど、露ほども気付かない。もっとも、それはも同じだった。
咄嗟にフレーゲルの方に視線を向けてしまったが、困惑したように首を少し傾げる。
自分は、フレーゲルに呼ばれたのだから、彼と一緒に出て行くべきなのだろうか?
ごく短い迷いは、同じく自分を呼んだ声によって断ち切られた。


、こちらに来い。」


まるで当て付けるように、というよりも、完全にフレーゲルに対する当て付けで、ラインハルトはに手を伸ばす。
フレーゲルの時には困惑したも、まるで信用度の違うラインハルトに対しては、何の疑問も無く呼ばれた通りに差し出された手を取った。ごく僅かな距離を移動し、が自分選んだことに、ラインハルトは口元だけを吊り上げて余計な一言をフレーゲルに告げる。


「フロイライン・クロプシュトックは私が送っていこう。卿も早々に帰るがいい。このブラスターは引き金が非常に軽いようだ。」
「――覚えていろ。お前もだ、このあばずれが。」


フレーゲルはどうやら語彙が少ない部類であるようだった。しかし、その少ないレパートリーの中で、的確にラインハルトの逆鱗に触れる術を身に付けていることについては感心するべき点なのかも知れない。
ラインハルトが無言でブラスターの引き金を引いてフレーゲルの足を躍らせると、フレーゲルは慌てて立ち去っていった。アンスバッハがそれを見届けてからラインハルトに一礼する。同じように去っていくのを見届けてから、真っ先に口を開いたのはキルヒアイスだった。


、どういうことかな?」


非常に居心地の悪い冷気が、キルヒアイスを中心に広がっていく。ラインハルトの怒りが活火山のように苛烈なものであるとするなら、キルヒアイスのそれは水に投げられて気化したドライアイスのようにじわじわと空気の熱を下げていく。
はラインハルトの手を握ったまま、気まずそうに応えた。


「フレーゲル男爵に呼び出されたの。この前の爆破のことで何かご用なのかなって思って。そうしたら、行き先が此処だったの。」
「まったく、いくら自宅のセキュリティが万全だとしても、そうもほいほい着いていっては無駄です。」


くどくどと、お説教を始めそうなキルヒアイスだったが、流石に彼もこの場に居るのが自分達だけでないことは承知していた。ごく短くに注意を促すと、彼らと彼女はようやく肩の力を抜いたのである。
三人のやり取りと見ていたミッターマイヤーは、会話が一段落するのを待ってから、苦笑と共に口を開いた。


「初めまして、ミューゼル閣下。危急をお救いいただき、感謝いたします。」
「なに、少し前から来ていたのだがな、卿がフレーゲル男爵を殴り倒すまで待っていたのだ。私の幼馴染が酷く不愉快な思いをしたようだが、その分もよくやってくれた。」


最後はミッターマイヤーではなくに向けられた言葉である。キルヒアイスに続いてラインハルトにまでじろりと睨まれてしまったは、小さく首をすくめた。
いろいろ反論したいところもあるが、まぁ、総じて見てみれば、やはり「自業自得」というところなのだろう。それを見て、ミッターマイヤーが笑う。


「いえ、こちらのフロイラインにはとても助けられました。お初にお目にかかります。帝国軍少将、ウォルフガング・ミッターマイヤーと申します。フロイラインの機転に感謝します。」


悪戯っぽく笑うミッターマイヤーに、ラインハルトに寄り添うように立っていたも、つられるように笑う。そして、喪服の裾をつまんで、丁寧に頭を下げた。


「初めまして、ミッターマイヤー少将。私は・フォン・クロプシュトックと申します。どうぞと呼んで下さいませ。」


無論、ミッターマイヤーも噂の渦中にあるの名前は知っていた。知っていたが、それがこれほど人間離れした美しさの少女だとは思っていなかったらしい。
まだ少しだけ白いほおに、僅かに紅みが戻ってきて、ミッターマイヤーはほっとしたように息をついた。自分のせいではないにしろ、自分を理由に、この幼い少女の気分を害してしまうのは、罪悪感めいたものを感じてしまう。
だが、で、もっと別のところを気にしているようだった。


「祖父のせいで、多大なご迷惑をおかけしました。それはロイエンタール少将も同じことなのですけど。今更ですけれど、お二人にはお詫び申し上げます。」


神妙に頭を下げられてしまい、ミッターマイヤーとロイエンタールは思わず顔を見合わせた。どう答えたものかと、思わず彼女の二人の幼馴染を見れば、ラインハルトとキルヒアイスも同様に顔を見合わせている。


「フロイラインが謝る必要はありません。顔を上げて下さい。」


もう一度、ミッターマイヤーは困ったようにロイエンタールを見やったが、ロイエンタールは「女性」の専門ではあっても「少女」の専門ではなかった。軽く首を竦められてしまったため、とりあえずはミッターマイヤーがの顔を上げさせる。
と、顔を上げた少女の眼には涙がたまっていた。いよいよ狼狽した四人の軍人は、互いに顔を見合わせて困惑している。
大軍を前にしたって動じない軍人たちだが、どうやら今にも泣き出しそうな子供の対処は一つも攻略方法が無い。ロイエンタールやミッターマイヤーなどはそもそもこんな年代の少女と関わる機会などはないし、幼馴染の二人も、昔からの涙には弱かったのである。


「でも、もとはと言えば祖父の事件のせいです。それで、こんな理不尽に縛られたり殴られたり…」
「これくらいは慣れてますから、大丈夫ですよ。」
「慣れてるんですか?」


しどろもどろとミッターマイヤーが慰めるが、どうやら言葉を誤ったらしい。だが、余計に泣き出しそうになるに、ミッターマイヤーは何となくピンと来た。
この少女は、それだけ怖かったのだろう。その「怖いこと」が、自分のせいで起きてしまったと思い込んでしまっているのだろう。しつこく元を辿ったところで、原因となったクロプシュトック事件でさえ、彼女のせいではないというのに。
ラインハルトやキルヒアイスより少しだけ人生経験が長く、そしてロイエンタールより「家族」という概念から子供について、ごく一般的にその扱い方を心得ていたミッターマイヤーは、この際、「近い未来の上司の幼馴染」や「クロプシュトック侯爵令嬢」というの肩書きを、全て無視して微笑むと、との頭を優しく撫でて答えた。


が悪いわけではないから、泣かなくていい。それでも、悪いと思って反省しているのなら、もう誰もを責めたりしないから。」


 そんな意識は無くても、生まれたときより貴族階級に身を置くロイエンタールは、ミッターマイヤーのその物言いに、軽く眼を見開いて驚いた。相手であれ、自分より身分が高い相手に大の大人が媚を売る光景に慣れつつあったラインハルトとキルヒアイスも驚いた。
 実際、ミッターマイヤーも内心ではその視線を受けて、ひやりとしたものだが、には返ってそれが良かったのかも知れない。
 彼女は『血統』というものについて、その重要性をまったく信用していなかったし、自分自身を単体で捕えたときには「子供である」という認識しか残らなかったのだ。


「ありがとうございます」


 かくて、ほんの少し笑ったはミッターマイヤーに抱きつき、ラインハルト、キルヒアイス、ロイエンタールの三人から苦笑交じりの視線を受けて、更に内心で冷や汗をかいたのだった。






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2008/01/15 



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