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星を砕く者編 17




The pure white dove has an olive and an unfortunate incident in its mouth together
―真っ白の鳩はオリーブと凶事を一緒に銜えてやってくる―





が、ブラウンシュヴァイク公の甥に当たるフレーゲルに呼び出しを食らったのは、ロイエンタールがラインハルトとの面会を求めてクロプシュトック邸を訪れてから、すぐのことだった。


「明日迎えをやる。着いて来い。」


それだけをよこして切れた一方的な通信は、の首を傾げさせることは出来たが、それ以上の意味は含ませられなかった。
フレーゲルにとっては、一族に牙を立てた許されざる存在であったが、同時にその美貌に魅せられていたのだ。「大人しくしていれば貰ってやってもよい」と、自分に都合の良い思い込みからを丁度いい暇つぶしに誘ったのだが、ラインハルトとキルヒアイスを中心に世界が回っているからして見れば、フレーゲルは「その他大勢」の中の一人に過ぎない。


「何かしら?ブラウンシュヴァイク公の甥と仰っていたし、もしかして慰謝料とか損害賠償の請求?」


せいぜいその程度の疑問しか持たず、翌日は失礼に当たらない程度に貴族用の身形を整えると、通信どおり訪れた地上車に乗り込んだのだ。
一時間ほど、も運転手も共に無言の時間を過ごし、着いた先は軍刑務所であった。


裁判所ならまだしも、軍刑務所?


すっかり損害賠償に違いないと思い込んでいたも、小首をかしげながらその入り口を見やる。と、無駄に着飾った男がその入り口から姿を現した。


「遅かったな、。」
「…ごきげんよう、男爵様。」


にしてみれば、殆ど初対面も同じの男にいきなり名前で呼ばれたことになる。これは、相手がよほどの非礼であるか、完全に相手が自分を格下と認識しているかのどちらかであった。はそのどちらでも興味は無かったが、背筋に浮かんだ鳥肌だけはどうしようもない。かろうじて小さく一礼すると、フレーゲルは嘗め回すようにを見やった。


「着いて来い。今日はお前に面白いものを見せてやる。」
「面白いもの、ですか?」


此処まで来て、非常にどうでもいいことだからと言って、踵を返すことは、には出来なかった。心境的には「毒食らわば皿まで」という気持ちで、フレーゲルの後について軍刑務所に入っていくと、とは同じ貴族でも光年単位で価値観に違いのある男爵は何の効果を狙っているのか、ことさら足音を響かせて緩慢な足取りで硬質な通路を進んでいく。


「ブラウンシュヴァイク一族に歯向かった生意気な少将閣下を捕えてある。気晴らしくらいにはなるだろう。」
「少将閣下、ですか?」


得意げにフレーゲルが言った言葉を、は上手く理解できなかった。
では、直接は皇帝を狙ったとはいえ、ブラウンシュヴァイク公自身に危害を加えた祖父はどうなるのか。制裁が終われば、それは無かったことになるのだろうか?その祖父の孫に当たる自分に声をかけるのは、フレーゲルの中ではどんな位置づけになるのか。
それに、「生意気な少将閣下」を「捕えた」ところで、それが何故「気晴らしになる」のだろう。そこが、徹底的な差だった。
そしてそれ以上に、に衝撃を与えたのは、その後の言葉だった。


「そうだ。平民のな。お前の祖父の討伐戦の折に、老女などを庇って俺たちに刃向かった。」


「祖父の討伐戦の折」に、「老女を庇って」。ということは、この人はの祖父のせいで此処に閉じ込められているのだろうか?
頭を殴られたような衝撃を受けたに、フレーゲルは気付かなかった。
そのまま、ある独房で足を止めると、底意地の悪い皮肉も露に中の人物に言い放ったのだ。


「中々礼遇されているではないか、ミッターマイヤー少将閣下。」


ミッターマイヤー少将。
その名前に、は更に身を強張らせた。思い出した。昨晩クロプシュトック邸に訪れたロイエンタールと、並び賞される蜂蜜色の髪の軍人のことを。では、ロイエンタールの用件とは、このことだったのだろうか。
決して頭が悪い方ではないは、瞬時に脳内で出来事がつながった。
どうしよう、と、軽く頭が混乱し始めてきたが、今のところは身長の関係で、フレーゲルの背後に立っていたにはミッターマイヤーの姿すら見えない。同じく、ミッターマイヤーもフレーゲルの背後によもや子供の領域に属する同行者が居るとも思わなかった。
故に、はしっかりと、ミッターマイヤーにしては珍しい暴言を耳にしたのである。


「豚の癖に人間の言葉を喋るなよ。人間の方が恥ずかしくなるからな。」
「ふっ」


ミッターマイヤーの言葉に言い返せなかったフレーゲルの後ろで、は僅かに噴出した。別に、相手の状況や言葉がどうこうと言うより、特権意識を振りかざして憚らない貴族に対して、真っ向から切りつけたミッターマイヤーが痛快だったのだ。
しかし、フレーゲルは強かに矜持を傷つけられて、言葉では言い返せない相手に実力で制裁に出た。だが、それは更にの失笑を買うことになり、フレーゲルは更に理不尽な怒りをミッターマイヤーに向けたのである。
彼にしてみれば、気に食わない人間を痛めつけることは日常のストレス発散であったし、に対してもごく自然にそういうものだと思っていた。だからこそ、今日はミッターマイヤーを痛めつけて愉しみ、かつ、深窓の令嬢にもそれを身近で楽しませてやろうと思ったのだ。
だが、フレーゲルの思惑は悉く失敗し、醜態をさらす羽目になっている。
フレーゲルは目線だけで仲間に指示を出すと、ミッターマイヤーの身体を押さえつけ、連続して打撃を浴びせたのだ。
流石には表情を歪め、血の気を失った。
「庭で侵入者が細切れにされたそうよ」と、祖父が生きているときにそういったことを聞いたことはあっても、それを実際に見たことがあるわけではない。にとっては、目の前で無抵抗の相手を殴るフレーゲルの神経に、吐き気がこみ上げた。
得意になってミッターマイヤーをあざけるフレーゲルに、彼を満足させる気などさらさら持ち合わせていないミッターマイヤーは屈する気配は微塵も無く言い放つ。


「貴様に本物の誇りがあるなら、俺と五分の条件でやりあってみろ。」
「そうですわ、男爵様。男爵様でしたら、こんな人、押さえつけなくても勝てますでしょう?」


咄嗟にミッターマイヤーの意図を悟ったが、フレーゲルの服の裾を掴んで続ける。蒼白になった顔色は隠しようも無かったが、都合のいいものしか見えないフレーゲルには、小さな美少女が自分の服の裾を掴んで上目遣いに強請ったようにしか見えなかった。そして、それにまんまと乗せられたのである。
一方、此処で初めての存在に気付いたミッターマイヤーは、その顔色の悪さを見逃さなかった。そして、フレーゲルが自分の対して行った行動よりも、「こんな子供をこんな場所に連れてきたのか」という、怒りを覚えたのだ。
 できるはずが無い、臆病者、という、ミッターマイヤーの安い挑発と、の遠まわしな「お願い」に、フレーゲルはあっけないほど簡単に乗せられた。そして乗せられたとき同様、あっけないほど簡単にミッターマイヤーに投げ飛ばされたのである。
その瞬間、が今にも泣き出しそうな表情に笑みを浮かべたのを、ミッターマイヤーは見逃さなかった。やはり少女は、好んでこの場に訪れたわけではなかったらしい。
しかし、面識を持たぬ少女と軍人の、殺伐とした場所での和やかな一瞬は、フレーゲルの憎悪と屈辱に塗れた叫び声によって遮られた。


「撃ち殺せ!そいつを。殺してしまえ!」


まさに、その声に応えるように、三条の閃光が狭い独房を貫く。独房の入り口に立ったの、更に後ろから放たれたそれには、フレーゲルの友人達の腕を貫き、彼の喘ぎと共に振り返ったの視界に入ったのは、彼女が最も信頼する者たちの姿だった。






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2008/01/10 



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