Replica * Fantasy







星を砕く者編 15




The pure white dove has an olive and an unfortunate incident in its mouth together
―真っ白の鳩はオリーブと凶事を一緒に銜えてやってくる―





「無茶苦茶だな。」


公爵令嬢手ずからの紅茶を、尊大にもソファに身を置いて足まで組んだ青年は、呆れた表情で呟いた。
 紅茶と共にケーキを用意したは、ラインハルトの言葉に薄く微笑んだだけで、そのまま赤毛の青年にも同様に紅茶とケーキの皿を回し、そして最後に砂糖やミルクのポットを中央に置く。
 ラインハルトもキルヒアイスも、幼年軍事学校に入る前までは、紅茶にもコーヒーにもミルクと砂糖をたっぷり入れていたのだが、どうやらこの9年の間に好みが変わったらしく、2人ともポットには手をつけようとはしない。
 ケーキもそれほど好まなくなったのか、何も入れない紅茶に口をつけているだけだ。
 一通り準備を終えて、ようやくがキルヒアイスの隣に座ると、は本日の本題に入る前に、向かい合って座った二人の幼馴染にポツリと呟いた。


「もう甘いのは好きじゃなくなった?」


 自身は紅茶にスプーン半分の砂糖を落としながら、カップの中をくるくると回している。
しかしその視線は手を付けられていないケーキに向けられており、見た目はうまくいったのになぁなどと考えていると、思わず零れた一言に、ラインハルトとキルヒアイスはカップから口を話した。
 唐突に零れた言葉を受けて、何のことかと視線だけでに問えば、は言い訳めいた言葉で応えた。


「昔ね、姉さまが作っていたのを思い出して焼いてみたの。でも、2人ともお茶に砂糖もミルクも入れなくなったでしょ?だから、甘いのは嫌いになったのかなぁって。」


 ふふっと笑って、は申し訳程度に砂糖が入った紅茶に口をつける。
ちなみに、自身は昔から紅茶には砂糖だけをほんの少し入れて飲むのがお気に入りで、ミルクを入れるときには砂糖を入れずに、ミルクだけをたっぷりと落とし込むのが好きだった。
 言葉の割に幸せそうな微笑に、ラインハルトとキルヒアイスも釣られるように苦笑を浮かべる。


「ラインハルト様は今でもケーキがお好きですよ。」
「そうだな、特に姉上の作るケーキには今でも目が無い。」


 言いながら、ラインハルトはおもむろにが作ったケルシーのケーキを、一切れ指して口に放り込む。
そして、昔のような悪戯っ子のように笑ってその味を批評した。


は要練習って所だな。」
「十分美味しいと思いますけど。」
「まだ姉上には到底及ばないじゃないか。」


 同じようにケーキを食べたキルヒアイスがフォローを入れてみたが、ラインハルトは大真面目に言い返してくる。
菓子作りの達人とも言えるアンネローゼと比較されては、大抵のケーキは落第点にされてしまうだろう。
 はケーキの味よりも先に、久しぶりのこうした和やかな空気を楽しんでいるようで、幸せそうに笑ったまま、紅茶のカップを両手で抱えていた。
 一応、弔問という形式を取ってを見舞いに来たラインハルトとキルヒアイスは、今日も黒と銀の軍服であったが、は今日もごくシンプルなデザインのワンピースを着ている。
あるいは、令嬢としてはいっそシンプルすぎるその服も、が昔と変わっていない理由のひとつなのかもしれない。
 そして、喪に服すと公言している以上、色は黒であったが、どうにも華やいで見えてしまうのは、の髪が喪服とは対象的な色をしているからだろう。


「ところで、この屋敷には本当にしか居ないのかい?」
「うん、居ないんじゃないかな?執事さんとか、お祖父様と親しい方はみんな一緒に出て行っちゃったし、メイドや料理人や庭師とかは、あの事件の時に憲兵に連れて行かれたり逃げていったりしたみたいなの。」
「物騒だな。」
「陛下があのご様子なら、私を逮捕するということは無さそうだけどね。」


自分たちが居る部屋以外、まるで人気の無い広大な屋敷に、キルヒアイスはどこか探るように視線をめぐらす。
 のほほんとした笑みで応えるは、まるで危機感というものが無い。
このような広大な屋敷で文字通り一人きりということは、ある意味で全く人の目が無く、危険と同義であることをラインハルトとキルヒアイスは知っていた。
 はどうやら自分の身分や置かれた状況などが理解していないのではないかと、二人の保護者は思わず目を見合わせた。
皇帝の覚えが良いからといって、ブラウンシュヴァイク公の親戚筋や、クロプシュトック侯に恨みを持つものが居なくなった訳ではないのだ。
自分たちが地上に居る間は良いとして、宇宙に上がるときには何か対策を講じておくべきか。
不意に黙り込んでしまった二人の幼馴染に、はやはりのんびりとした口調で口を開いた。


「二人とも、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。うちは、お祖父様が人嫌いだったから、昔から人は最低限しか居なかったし、自分のことは自分で出来るもの。それに、警備は五つ子セキュリティだし。」
「五つ子セキュリティ?」


思わず間抜けな声で聞き返した二人に、は窓の外を見やりながら答える。


「うん。五つ子管理脳って言って、常に互いが互いのセキュリティシステムを管理・監視・修正してるの。」


 の話によれば、クロプシュトック家のセキュリティは、中に住む家人を守ると言うよりも、不法な侵入者を問答無用で排除・抹殺するためのシステムであったらしい。
 生前のクロプシュトック侯は、取り立てて残虐な人間ではなかったが、かといって善人でもなかった。
よからぬことを目的として侵入を図ったものに対しては容赦という言葉を持たなかったのだ。
ごくたまに、黒焦げや細切れの死体が出たと報告を受けても、黙殺で終わらせてしまう。
その代わり、と言うのもおかしいが、誤作動防止は徹底していたし、正規の来客者に対して不幸な事故を起こさないように敷地内に入る者への対応もきっちりしていた。
 家族や親族を中心に、頻繁に出入りする者に対しては指紋や声紋、網膜パターンなどの固体情報を鍵とし、それ以外は自由な出入りを許さず、さらに屋敷の外を4メートルの壁と1メートルの有刺鉄線で囲われており、外からの概観はまるで牢獄のようだった。


「疑心暗鬼な人だったの。」


は唯一の肉親だった祖父について、あっさりと述べる。
その声にも口調にも親愛の情など見られないことから、が祖父を好ましく思っていないことはよく分かった。
ラインハルトとキルヒアイスは、互いに何か言いたそうな視線でを見ていたが、は微笑んだだけでそれ以上は何も言わなかった。
姉以外の肉親に恵まれなかったラインハルトからすれば、別に特別珍しいとも思わなかったが、両親ともに恵まれていたキルヒアイスにとっては、が不憫でならない。
しかし、二人の思考を難なく想像できたは、やんわりとそれを否定した。


「別に、珍しいことでもないと思うわ。それに、私のお父さんとお母さんは、キルヒアイス家のパパとママだもの。」


ごく当然のようにはいい、自分のティーカップの冷めた紅茶に口をつける。それ以上の追求は不要だとの意思表示をした。
にとっては、父親に関しての情報は一切知らず、自身を生んだ母親の記憶も無い。
連れ戻されてから殆ど交流の無かった祖父より、幼い頃に面倒を見てくれたキルヒアイスの両親こそが、自分の肉親であると、ごく単純にそう認識していた。
何と反応していいものやら、ラインハルトとキルヒアイスも僅かな緊張感を持って、の手作りのケーキに手を伸ばした。何か考えているのか、暫く無言でケーキと紅茶を味わっている。
せっかくのお茶会を、微妙な空気でコーティングしてしまったは、小さく肩をすくめたが、無理に話題を出そうとはしなかった。
そんなことをしてもどうせ長く会話が続かないことを知っていたし、何よりこういうときは好きにさせておくに限る。
 は令嬢らしからぬ仕草で膝をかかえると、少しバランスの悪い体勢から今度はケーキの皿に手を伸ばした。
もちろん、膝をかかえているから上手く手が届かず、横で苦笑したキルヒアイスがその皿を取ってやる。
「ありがとう」とが答えるより先に、キルヒアイスの向かい側に座っていたラインハルトが、何か思いついたように声を上げた。


「よし、キルヒアイス。引っ越すぞ。」


 唐突過ぎる提案に、その思考回路の奇抜さに慣れているはずのキルヒアイスも、一瞬反応が遅れた。
現在ラインハルトとキルヒアイスは共にリンベルク・シュトラーゼに下宿している。
それで何ら不自由があるわけでもない。強いて言うのであれば、些かフーバー家とクーリヒ家の歴史に強くなる程度のものだ。
キルヒアイスはその真意を掴み兼ねて問い返す。


「また、どうして引越しなど…。」
「決まってる。を引き取るためだ。」
「そんな無茶苦茶な…」


勢い込んで提案したラインハルトに対し、冷静と呆れの二つを混ぜたような口調で呟いたのは、本人だった。
この広大な屋敷を一人で維持するのには無理があるし、幼馴染がを心配するのは無理も無い。
むしろ前後の状況を考えれば当然と言えるが、それでもラインハルトの提案は無茶苦茶だった。


「ラインハルト様、は仮にも侯爵令嬢ですよ?9年前とは違います。その身柄を、一存で引き取るなど、無茶苦茶です。」
「そうよ。私なら大丈夫だから、心配しないで?」


キルヒアイスとが交互に応えれば、ラインハルトは面白くなさそうに口をつぐんだ。
その表情は無言で「それなら他にどんな策があるんだ」と告げている。
どうもラインハルトは、幼馴染が絡むと明晰なはずの思考が、普段より無茶苦茶な方法に偏ってしまうらしい。


「そうですね。の身柄はともかくとしても、この屋敷の維持のためには人を雇わなくてはいけないですから。信用の置ける人物をどう選び出すかは骨が折れますね。」
「だから、それは、適当にやるから大丈夫だよ?」


ラインハルトの発言にも苦笑を浮かべていたキルヒアイスだが、のほほんのほほんと音が聞こえてきそうなほどに呑気に自分に追従するの発言にも、キルヒアイスは思わず頭を抱えたくなった。
流石に、についてはラインハルトも思うところがあるらしく、先ほどの自分の発言を棚に片付けた上で、呆れた表情を浮かべた。


「そうは言うが、。もしもセキュリティに不備が出たら?お前は直せるのか?それに、屋敷内の安全は五つ子がするとしても、外の護衛はどうする?いくらが普通の貴族と違って、全部身の回りの世話が出来たとしても、これだけ広い屋敷を一人で管理して維持するのは不可能だ。」
「そうです。何をするにも、一人では無理があるんだよ。ラインハルト様の提案と同じくらいにね。」


さらっと一言同意したキルヒアイスに、ラインハルトとは同時に拗ねたような表情で押し黙った。まったく、ラインハルトはに対して保護者のような意識を持っているが、キルヒアイスからすればラインハルトもも同様に被保護者のような存在であった。
もちろん、ラインハルトに対してそう思うのは彼の一面に対してだけで、言うまでも無くその一面とは、が絡んできたときだけだった。


「じゃあ、ジークとラインハルトと一緒に暮らした方がいいの?」
「それはさっきキルヒアイスに却下されたからな。まぁ、無理だろう。は非公式だが、既にクロプシュトック侯爵家の跡取りとして、皇帝に認められたようなものだ。無責任と言われて処罰されかねない。」


先ほどの突発的な案を自分で否定し、ラインハルトは少し考え込んだ。も困ったように、先ほどの会話を繰り返す。


「じゃあ、今までどおりこのお屋敷に住むしかないじゃない。」
「そのためには信用のおける人員が必要だね。どこから集めようか?」
「私には分からないよ。じゃあ、いっそ爵位も財産も返上して、ラインハルトとジークのところにかくまってもらうのは?」
「――それも止めた方がいいだろうね。」


こてっと首をかしげて、他の貴族であれば選択肢にも昇らないような意見を上げたに、こんこんと諭していたキルヒアイスは思わず溜息をついた。
今、の身を保証しているのは、腹立たしいことに皇帝の気まぐれとその身分に寄るものが大きい。
それを返上してしまったら、クロプシュトック事件で恨みを持つものの手が、今まで以上に近くなってしまうのだ。
さてどうしたものかと、三人が揃って黙り込んでしまった瞬間、来客を告げるベルが鳴った。






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2007/12/20 



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