Replica * Fantasy







星を砕く者編 12




Sing me of a story never ever told in the past
―今まで何処にも無かったような物語を歌ってくれないかな―







場にそぐわない音に聴覚を刺激されて、水色の眼をした若い士官は、不意に足を止めて辺りを見回した。
彼は普段から殆ど音楽などに興味は無かったし、その時も書類に眼を通しながら歩いていたのだが、その声は書類からその砂色の眼を上げさせるに十分な関心を含んでいた。
最初は空耳かとも思ったが、どこか遠くから流れてくる声は、それでもしっかりとその存在を主張するように、アーダルベルト・フォン・ファーレンハイトの耳を心地良く刺激する。
ファーレンハイトは手に持っていた書類を放り出し、声の主を辿ってみることにした。
活字にはうんざりしていたところだし、ちょうどいい。
ごく最近のクロプシュトック事件に関しては、超過勤務とも取れるほど働いているのだ、軍務尚書の元に赴く前に、少しくらいの寄り道をしたって許されてしかるべきだろう。
早々に決めてしまうと、ファーレンハイトの行動は早かった。
等間隔で並ぶ、無駄に贅を凝らした扉を聴覚と勘を頼りに選び出す。
ファーレンハイトは軍人として、気配には鋭敏に気付くタイプであったが、流石に防音を施した壁の向こう側ともなれば、状況が変わってくる。
二枚の扉に二度の肩透かしを食らった後、ファーレンハイトの好奇心は三枚目の扉によって報われた。
 取り合えずノックをしてみると、可憐な歌声は一時的に止んで「はい」と同じトーンの声が返ってきた。
反応があったのをいいことに、ファーレンハイトは自身の家に入るような気軽さで足を踏み入れる。
 この場所や状況的に、中に居る人間が自分には到底及ばないほど身分の高い者が居るであろうことは想像できたが、何の心理作用が働いたのか、このときは完全に好奇心に支配されていた。
 自分は声をかけたし、それで入って追い出されるなら、それはそれで良いだろう。
軽い気持ちで扉を開く。
と、真っ先に視界に入ってきた部屋の住人の姿に、ファーレンハイトは思わず眉を顰めた。


「まぁ、お客様ですか?」


 答えたのは、まだ子どもの領域に住む少女だった。
しかも、部屋の中央に置かれたソファにだらりと身を預けていて、仰向けに仰け反った逆さまの顔が、愛らしくこちらに向かって微笑んでいる。


「……これは、フロイライン、失礼いたしました。」


 三瞬ほど困惑した挙句、ファーレンハイトは個性もへったくれもない言葉で答えた。
およそ、自分が想像していた紳士淑女の姿とは思えない体勢に、自分の推測が間違ったかとも思ったが、そうであれば、そもそも身分の低いものはそもそもこんなところに入れるはずも無い。


「ご気分でも悪いのですか?」


 人目があるのにいっこうにその体勢から動かない少女に、これまた独創性に欠ける声をかける。
独創性には欠けていたが、軍人というより紳士という表現の方が似合いそうなほどの丁重さを持って答えたのは、ファーレンハイトの性格のなせる業だろう。
彼は瞬間的な驚きはともかくとして、見た目で物事を判断する人間ではなかった。
 おそらく先ほどの歌声はこの少女のものであろうし、今もソファに身を投げ出していること意外に不審な様子は見られないので、気分が悪いのかという質問は適切ではないような気もするが、好奇心によってもたらされた戸惑いが抜けきらず、ファーレンハイトは些か間抜けな対応となった。
それに対して少女、のほうは、まったく気にしていないように笑んで、突然の来訪者を迎える。


「まぁ、お気遣いをどうもありがとうございます。でもどうかお気になさらないで下さい。」


にっこりと、「持病みたいなものですから」と言われたものの、様々な意味で気にするなというほうが無理だろう。
 どうしたものかと対応に困惑しているファーレンハイトに、は無邪気に告げた。


「暫くは起き上がれないのですけど、このままでも宜しいでしょうか?」
「小官は構いませんが…本当に大丈夫ですか?」


 恐る恐るといった体でソファに近付けば、思ったよりも小さな身体に、というよりは、想像していた年齢よりも随分と幼い様子の少女に驚く。
もちろん、ファーレンハイトはそれを態度に出したりはしなかったが、余計に少女の容態が気になり、念を入れるように聞いてしまったのは無理も無い。


「ええ。それより、今日はどういったご用件でしょうか?初めましての方ですよね?また、事件のときの事情聴取でしょうか?」


 のほほんと微笑を浮かべて放たれる言葉は、心地よい音程で奏でられるものの、どこか棘を含んでいる。
 ファーレンハイトの神経はいちいちそんなものに傷つくような繊細な作りはしていなかったが、意図しているのかしていないのか、微笑を浮かべながらさりげなく毒を吐く少女に、歌声以上に興味を持ったのは事実だった。


「いえ、用事があったわけではありません。歌声が聞こえたのでどなたかと思いました次第です。小官はアーダルベルト・フォン・ファーレンハイトと申しますが、フロイラインのお名前をお聞きしてもよろしいですか?」


 やや苦笑気味な笑みを浮かべながら言う言葉は、表向きには完璧に身分が上のものに対するものであったが、ファーレンハイト自身の中では、は貴族令嬢というものよりも先に、小さな女の子という印象が根付いてしまったようだった。
 はそれを不愉快に思った様子も無く、首だけをほんの少し動かして笑う。


「まぁ、それはお耳汚しをいたしました。私は・フォン・クロプシュトックと申します。どうぞと呼んで下さい。」


 その一言で、ようやく目の前の少女が何者かであるかを知ったファーレンハイトは、何となく浮上していた疑問点の回答を得た。
 なるほど、これがあの、ご令嬢か。
まず最初にそう思い、それが思ったよりも幼い少女であることに驚愕し、次いで少女の意思に関わらず回りで起きた状況を不憫に思い、そして最後に沸きあがってきたのは皇帝に対する嫌悪であった。
 皇帝がまだ成熟しきらない少女を好むことは、最早周知の事実であるが、グリューネワルト伯爵夫人アンネローゼを迎えてからは、少なくとも新しい寵姫を入れてはいなかった。
しかし、その沈黙を破って入れようとしたのが、こんな、ファーレンハイトからすれば年端も行かない少女であるとなれば、その嫌悪は些か深刻だった。


「貴方が、あの、クロプシュトック侯爵のご令嬢でしたか。」


 クロプシュトック事件は既に宮廷の惨事として扱われ、その主犯者には討伐令が出ている。
そして、数奇なことにその令嬢が皇帝の生命を救うに一役買い、その美貌を見込まれて−というよりは、皇帝の悪い病気がまた出たのだろうと、殆どの人間は密かに思っていたのだが−後宮に招かれながらも、あっさりと断ったという話は、噂好きの宮廷夫人たちのかっこうの話題となって広まっており、ファーレンハイトもここ数日で三桁に迫る回数で耳にしている。
 間近に見てみれば、確かに皇帝でなくても思わず感嘆するような見事な銀の髪に、良く生えるルビーの眼を持っている。
 グリューネワルト夫人とは、正反対の色彩だな、と、ファーレンハイトが持った感想は率直なものだった。


「私をご存知のようですね。でも、ご存知ならなお更そんな畏まらなくてもよろしいのに。近いうちに、処刑をされるか、身分を剥奪の上で放り出される身ですもの、ただの小娘に、栄えある帝国軍の少将閣下が礼を尽くす必要はありませんでしょう?」
「いえ、処遇が決まるまでは、フロイラインは侯爵家のご令嬢ですから。後宮に入れば寵姫となりますでしょうし、小官は一介の軍人に過ぎませんので、礼儀を守るのは当然です。それに、女性には礼を尽くすものですよ。」


さらりと、自身の近い未来を予測するに、ファーレンハイトはその印象を改める必要を感じた。
 やんわりと笑う表情は柔らかく、長身をかがめてファーレンハイトはソファに倒れこんで動かないに、穏やかな視線を合わせる。


「それに、ミューゼル閣下とご懇意とお聞きしています。小官もミューゼル閣下の姿勢には賛同するものを覚えますので。」
「まぁ、それでは少なからずファーレンハイト少将とはご縁があるのですね。」


幼馴染みであるラインハルトに賛同できるからと言って、全面的に信用出来るわけではないのだが、ある意味では確かにそれは一つの指標になる。
ラインハルトは軍部内でも貴族内でも反感を買うことはあれど、賛同を買うことは殆どなかった。
平民出の兵の中では賛同者も多いと聞くが、それをわざわざ口にして上の反感を買うような人間は居ないだろう。
そういった意味を含めて、ラインハルトへの好感を口にしたファーレンハイトはの信用を買うのに十分すぎる効果を与えた。
それを抜いても、はファーレンハイト自身の人柄についても大層気に入ったようだった。
がファーレンハイトのことを、貴族のドラ息子たちで占められる予備役軍人と同じ扱いをしては、ファーレンハイトとしては不本意に思うだろうが、軍人といえばそういった輩しか訪れなかったからすれば、さぞや新鮮なことに思えた。
 はにかんだような、擽ったそうな笑みを浮かべて、は表情を綻ばせる。
祖父の相手や社交界を渡り歩くために覚えた作り笑顔ではなく、歳相応の純粋を持った笑みで、はファーレンハイトを見上げた。






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2007/08/13 



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