Replica * Fantasy







星を砕く者編 10




Wait for me, you've gone much father, too far
−ねぇ待って、貴方は遠くへ行き過ぎる−





霧がかかったようなまどろみの中を、の意識はゆるゆると浮上した。
目を見開いて視界に映した天井は、まるで見たことがなかったが、は深くは考えなかった。
クロプシュトックに引き取られてからもう10年近くの歳月が経つが、入ったことがある部屋と同じくらい知らない部屋がある。
その一つだろうと思ったし、自身が何故眠っていたのかなど、見知らぬ部屋の天井以上に興味がなかった。
どうせまた倒れていたのだろうと早々に当たりをつけ、大きな溜息とともに、柔らかなベッドに身を沈める。
何だか意識が浮上を図る際に、記憶だけおいてきてしまったように、頭がぼんやりとしてしまって上手く考えられない。
大変だったような気もするし、そうでないような気もする。
もうどうでもいいような、そんな諦めのような感覚もあったが、それが何処から端を発するのかが分からなかった。
上半身を起こして、しばらく霧がかかったような記憶に関する感情の断片を繋ぎ止めようと試みていた。
が、唐突に耳を刺激した声に、は記憶を強引に引きずり戻すことになった。


「まぁ、目が覚めたのね。大丈夫?。」
「あ…」


反射的に顔をそちらの方に向ければ、そこには別れた時と変わらぬ雰囲気を纏った女性が映る。
の時間は、瞬間的に退行してしまった。
見る間に涙で視界が霞み、現実のアンネローゼと記憶の中のアンネローゼが綺麗に一致した。


「アンネローゼ姉様…」


殆ど掠れた声で、昔のように呼んでみる。
本来であれば、候爵令嬢が現皇帝の寵愛をうける伯爵夫人に対する態度ではなかったが、アンネローゼも気などしなかった。
「なぁに?」と柔らかなソプラノで答えて、ベッドの上で膝を抱えて顔を伏せてしまったに応える。
漸く、はその体勢のままで、候爵令嬢としての口上を述べようとした。


「この度は、祖父が、」
「まぁ、そんなことはどうでもよいの。」


の言葉を遮って、アンネローゼは僅かな軋みを立てながらのベッドの淵に腰を落とした。
膝に顔を埋めたままのの背をそっと抱き寄せて、子供をあやすような口調でいらえる。


「ここでは、何も気にしなくていいのよ、。私も陛下もご無事だったから心配はいらないわ。貴女にも、怪我が無くてよかった。だから、自分を追い詰めるのはおやめなさいな。貴女も、たった一人の御祖父様を亡くされたのでしょう?」


言いながら、の柔らかな髪や背を撫でる手は何一つ昔と変わり無くて、会いたいと願っていた本人そのもので。
当たり前のような交流が出来なかった祖父の死を、悲しと思っていたわけではないが、これからの身を考えると不安を感じないでいられるはずも無くて。
様々な感情が一気に押し寄せて、はそのまま感情の箍が外れてしまったかのように、恥も外分も無くアンネローゼに縋って泣き崩れた。
 優しく頭を撫でてくれる手も、何も言わずに抱きしめてくれる体も、本当に何一つ変わっていない。
 アンネローゼが後宮に入り、ラインハルトとキルヒアイスは武勲を重ねて、自分独りだけが広大な屋敷という牢獄に残されてしまったような気がしていたが、彼女たちは何も変わっていなかった。
 押し寄せる安堵に身を委ねていると、不意に含むような笑い声と共に二人の青年が此方を見ていることに気付いた。


「何をやっているかと思えば。」
「感動の再開に水を差してしまいましたか?」


 アンネローゼの帰りが遅いため、結局の部屋を訪れたラインハルトとキルヒアイスは、ベッドの上でアンネローゼにしがみついてわんわん泣いているに遭遇してしまい、苦笑を浮かべた。


「二人とも結局来てしまったの?、顔を上げられる?」


 ささやかなノックの後に顔を出した二人の青年を、アンネローゼは苦笑を持って迎えた。
と長く離れ離れになっていたのはアンネローゼだけでなく、ラインハルトやキルヒアイスも同じなのだから、この小さな少女に会いたいと思っているのを咎めることは出来ないだろう。
 アンネローゼの言葉に、はくしゃくしゃになった顔をわずかに上げたが、二人の視線を感じるなり、更に涙を溢れさせてしまった。
 それを隠すかのように、アンネローゼにまたしがみ付く。


「おや、嫌われてしまいましたか。」


 キルヒアイスがくつくつと笑いながら呟けば、はアンネローゼに顔を伏せたまま、首だけ振って違うと答える。
 今頃は、取り乱した自分に、顔を真っ赤にしているに違いないと、些か意地の悪い想像をしながら、ラインハルトとキルヒアイスは部屋の中へ入っていく。
 やはり、怒涛の再会から、皇帝の前での申し開き、そしてアンネローゼのこの館に来るまで、は相当厳重に猫を被っていたらしい。
先ほどまでの、皇帝を相手にやりあった姿など微塵も想像できないほどに泣いて甘える姿は、あの下町にいた頃と何ら変わりはないし、泣いている顔を見られるのを嫌がり、誰彼構わず一番近い人間にしがみ付いて泣く姿もそのままだ。
『侯爵令嬢』として、完璧に躾けられたも、ここに来て幼馴染たちとの再会にようやく素の姿が現れたらしい。
 それは常に彼らの記憶の中に焼きついた「小さな女の子」としてのの姿であり、そしてそれは今でも殆ど変わらないようで。
 アンネローゼ眼に映るラインハルトやキルヒアイスが「いつまでもやんちゃな少年」であるのと同じように、はいつまで経っても「小さな女の子」なのである。
 昨晩から今までは何だったんだと、思わずにはいられないほどの変貌振りに、ラインハルトは呆れたように苦笑を浮かべた。
そのままベッドのふちに座り、ぽんぽんとの頭に触れる。
ゆるゆると顔を上げたの視界に、この世のどんな名工にも作り出せないような美しい造形で微笑む青年が、酷く穏やかな声で呟いた。


「ずっと探していたんだからな。」
「会いたかったよ、。」


 同様に、キルヒアイスがの目線に合わせるように屈めば、は泣いて紅くなった目元に更に大粒の涙を浮かべて、やはりその顔を隠すように、今度はラインハルトに抱きつく。


「もう、二度と、会えないと、思っていたの。」


 押し出された声は掠れていて、どれほどを追い詰めていたかを語っていた。
自分で考えて判断する暇も無いまま、めまぐるしく流れていった現実と、まるで幻想か何かだったかの様に、自分を置いていってしまった優しい時間。
それを取り戻したという実感を、は率直に告げていた。


「私も、すごく、すごく、会いたかったの。」






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2007/07/13 



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