爆音と振動を同時に感じてから、その全身が緊張に包まれて車の外に飛び出すまでに、キルヒアイスはほんの一瞬の時間しか要しなかった。 同じ様に車で待機していたほかの出席者の付き人が茫然自失としている中で、彼は迷いも無く大理石の階段を駆け上がっていく。 「ラインハルト様っ!!」 恐怖に近い焦燥を抱えながら、キルヒアイスは数瞬前まではパーティー会場であったフロアでその姿を捜し求める。 うめき声を上げているものや、他に主の安否を気遣う使用人の声、なかにはキルヒアイスに誰何を問う声を投げるものもいたが、彼はその総てを悉く無視した。 「ラインハルト様!返事をしてください!」 「……キルヒアイス!」 ラインハルトがキルヒアイスの声に答えたのは、キルヒアイスが叫んで何度目かの時だった。 それほどまで大きくない声であったが、キルヒアイスはそれを聞き漏らすような真似はしない。 「ご無事でしたか…」 ようやくその姿を見つけたとき、キルヒアイスは自身の声が震えていることに気がついた。 ラインハルトはまだ情けない悲鳴を上げている鼓膜を宥めるように、両耳を手で覆っていたが、キルヒアイスを安心させるかの用に、わずかに苦笑を浮かべる。 だが、それも一瞬だけだった。 まだ幕がかかったような聴覚をそのままに、直ぐに表情を厳しいものに戻してキルヒアイスに告げる。 「キルヒアイス、を探すんだ。爆発の直前で、駆け込んできた。」 詳しいことは分からない。 短く続けて、自分も立ち上がる。 キルヒアイスも、ラインハルトの言葉に一瞬眼を見開いたものの、直ぐに頷き返した。 この状況では詳しいことを問いただしている暇など無い。 詳細など聞かなくても、ラインハルトがを見つけたというのならそうなのだろう。 キルヒアイスにとってラインハルトは、疑う余地の無い存在なのだ。 特に、今回のような場合では、早く安否を確認しなければ、手遅れになるかも知れない。 もう既に手遅れであるという可能性はあえて削除して、ラインハルトとキルヒアイスはエントランスの方に向かった。 崩れた瓦礫や柱に混ざって、人体の一部や赤い液体が散っている。 惨憺たる有様に、こみ上げてくる嘔吐感を無視することは簡単ではなかった。 「クリーム色の服を着ていたはずだ。あの辺りで警備兵に取り押さえられて…」 「ラインハルト様!」 「あれか!」 先に眼に入ったのは、クリーム色の服でもなければ、それを捉えていた警備兵の山でもなく、九年間色あせることなく二人の記憶に焼きついていた銀色の髪だった。 その姿は、幾人か、人が山のようになっている中に押し潰されており、その一番上に止めと言わんばかりに拉げたシャンデリアの一部がのしかかっていた。 足早に駆け寄り、その場に膝を着く。 は仰向けに倒れており、それを前後で警備兵に挟まれるように倒れていた。 彼女の上に倒れている警備兵の背には何処から吹き飛ばされてきたのか、蜀台が突き刺さっており、下に倒れているものは後頭部を強打しているようで、その下の床にはじわじわと赤い水溜りが広がっている。 結果的に、を捕らえようと彼女を囲っていた警備兵が、を爆発の被害から守ることになったようだ。 「!」 「しっかりしろ!」 強引に引きずり出し、声をかけるが反応は無い。 「くそっ!」 ラインハルトは風塵塗れの床を拳で叩いたが、幾分落ち着いての呼吸と脈をはかったキルヒアイスは、安堵したように告げた。 「呼吸も脈もあります。大丈夫、気を失っているだけでしょう。」 「本当か?」 「えぇ。頭を打っているようですが、外傷は見られません。」 手早く小さな身体を調べ、キルヒアイスは最後に自身の着ていた軍服の上着を脱いでをくるむと、軽々とその身体を抱き上げた。 そのままそこに留まるわけにも行かず、二人はフロアの中を一望してから、吹っ飛んだだけで破壊の被害を免れたソファを発見し、そこへ向かった。 を寝かせてもまだ有り余るソファにラインハルトが腰を下ろし、キルヒアイスは床に座り込む。 「爆破に巻き込まれたかと思えば、を見つけるなんて、今日は運が良かったのか悪かったのかわかりませんね。」 疲れたようにキルヒアイスが呟き、ラインハルトは少し口元に苦笑を刻んで答えた。 「どうだろうな。果たして、はこの件に無関係かどうか。」 考え込むような口調のラインハルトに、キルヒアイスは問いかけるような視線を向ける。 それに気付いたラインハルトは、今度は表情を緩めることなく続けた。 「が入ってきたとき、警備兵はそれを止めようとしていた。つまり、正規の招待客ではなかったか、招待状を持ってはいなかったのだろう。俺がを見つけたのも、が入ってきて騒ぎになったからだ。そしてその直後、爆破が起きた。」 「では…」 状況は、あまり楽観視出来るものではないらしい。 キルヒアイスが返そうとしたとき、ラインハルトは小さく手を上げてそれを制した。 その視線は、キルヒアイスの背後に向けられている。 「失礼、役儀によって質すが卿の官位および姓名は?」 綺麗に口ひげを整えた士官に尋ねられ、ラインハルトもキルヒアイスも言われたとおりに答える。 それに応じて、士官も名前と役職を明らかにした。 直接ではないが、微塵も知らないわけではない相手に、今回の犯人の心当たりを尋ねる。 エルネスト・メックリンガーと名乗った士官は、一瞬だけソファに横たわったを見てから、整った口ひげごと皮肉めいた笑みを浮かべて答える。 「ひとたびパーティーに出席しながら途中で退席した方を、まず疑ってかからねばなりますまい。小官の調べたところでは十八人おられます。その中で、最も早く退席し、そしてただ一人『忘れ物』をされた人物は、クロプシュトック候だけです。最大の容疑者、ということになりましょうな。」 「――ん…」 メックリンガーの言葉に反応したわけではなかっただろうが、不意にが呼吸を漏らして身じろきをした。 「、眼を覚ましましたか?」 「大丈夫か?」 交互に自分を覗き込んでくる鮮やかな色の髪に、は酷く驚いたように呟いた。 「ラインハルト・・・と、ジーク・・・・・・?」 それ以上言葉もなく、呆然としたように二人を見ていた二人の向こうに、黒と銀の軍服を纏ったもう一人の姿がの視界にはいる。 それに気付いたは、ラインハルトとキルヒアイスとの再会を喜ぶ間もなく身を硬くした。 その様子を訝しんで問いただすより早く、メックリンガーは穏やかに笑って問いかけた。 「失礼、フロイライン。役儀によって質しますが、姓名を教えてもらえますかな?」 何を馬鹿な、と、に向けていた視線をメックリンガーに戻し、眉を吊り上げて抗議しようとしたラインハルトの耳に、鈴を鳴らすような、だけどどこか凛とした声が答えた。 「その前に、お尋ねしたいのですが。陛下は…皇帝陛下はご無事でしょうか?」 今にも呼吸がつまりそうな声に、メックリンガーは頷いた。 「皇帝陛下は、本日は此方にはおいでになりませんでしたから。グリューネワルト伯爵夫人もご無事ですよ。」 「よかった…」 はその言葉に、大きく息を吐き出して、ソファの中に崩れ落ちた。 それこそ、全身の緊張が解けてしまったかのように、崩れ落ちた身体を支えるように、ラインハルトが手を伸ばす。 明らかに前者より後者に安堵していることは、ラインハルトやキルヒアイス以外でも見て取れた。 「大丈夫かい?。」 床に跪いたキルヒアイスが下からその表情を覗き込めば、は力なく笑い、そして一瞬でその微笑を収めると、自分に身体を支えるラインハルトの手に震える自分の手を重ねて、そしてまた、凛と響く声でメックリンガーの最初の問いに答えた。 「私は、・フォン・クロプシュトックと申します。」 メックリンガーに向けかけたラインハルトとキルヒアイスの視線は、瞬時に少女のほうに戻された。 |
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