情景が変わった。 夢現に、「今日は良く夢を見る」と、ぼんやりと思う自分がいる。 どこか高いところから見下ろしている姿は、まだ幼い自分の姿だった。 酒瓶が転がった床に座り込んだ父親に向かって、自分は泣きながら怒鳴り散らしている。 それでも黙々と酒を飲み続ける父親が、時々ラインハルトに強かな平手を繰り出すが、ラインハルトは痛みなどまるで感じていないかのように、父親を詰り続けていた。 あれは、姉が後宮に連れ去られていってしまったときの光景なのだろう。 アンネローゼが後宮に入れられたのが十五歳のときであったから、当時の自分とキルヒアイスは十歳だったはずだ。 そうすると、アンネローゼとは十歳離れていたは5歳ということになる。 夜通し叫び続ける自分を、見かねたキルヒアイス夫妻はミューゼル家からひとまずキルヒアイス家に預かったのだ。 斜め向かいの家から聞こえる声にも怯えていたらしく、彼女も既にキルヒアイスの家で泣きはらした眼でラインハルトを迎えた。 キルヒアイスのベッドに三人で座り込んで、彼の母親が入れてくれた世界で2番目に美味しいホットチョコレートを一気に飲み干しながら、それでもラインハルトは怒りと悲しみを押し留められず、一晩中眠れなかった。 激しく憤る自分を、キルヒアイスは酷く悲しそうな目で見つめ、はキルヒアイスにしがみついて泣いていた。 いなくなってしまったアンネローゼを思って泣いていたのか、ラインハルトの激怒するする姿に怯えて泣いていたのか、当時の自分はよく分からなかったが、今思えば、自身も、いつか連れて行かれてしまうのではないかという不安に、襲われていたのかもしれない。 どうすれば姉を取り戻せるか、考えに考えた挙句に、ラインハルトは軍に入ることを決意し、キルヒアイスにそれを告げた折、わずかながらにを交わした会話でも、は自身のことは微塵も口にしなかった。 「姉上を取り戻すんだ。僕は、その為に軍に入る。」 「それじゃあ、またいつか姉様にも会える?」 「もちろんだ。その為に軍に入るんだから。」 「それじゃあ、姉さまを取り戻したら、またラインハルトやジークにも会えるようになる?」 その言葉に、ぎくりとしたのを、今でも覚えている。 小さなからキルヒアイスを奪いに来た自分を、咎められているような気がしたからだ。 だが、それは事実であるし、その時のラインハルトにはよりも自分にキルヒアイスが必要であるように思われた。 まるで最高級のルビーのように紅い眼にうっすらと涙を浮かべて、縋るように自分を見上げてくるを、ラインハルトは抱きしめて答えた。 「もちろんだ。帰ってきたら、その後はずっと側にいる。姉上も、も、僕とキルヒアイスが守るから。」 その時躊躇いがちに背中を掴んだ小さな手を、ラインハルトは約束どおり守ることは叶わなかった。 ラインハルトより一足遅く軍属となったキルヒアイスが、口も重く告げたのだ。 「が、連れ戻されました。」 一瞬、ラインハルトには言葉の意味が分からなかった。 これを機に、キルヒアイスはラインハルトに対する口調や態度を改めたが、このときのラインハルトはそれにすら気付いていないようだった。 「アンネローゼ様が後宮に迎えられる少し前、の母親が亡くなったとの連絡があったのです。ラインハルト様は、ご存知ではありませんでしたか?」 「なんだと?一言も聞いてないぞ?!」 激昂したように聞き返すラインハルトに、キルヒアイスは視線だけ歪ませて淡々と答える。 「そうですか。もしかしたら、アンネローゼ様の一件があったのでが遠慮したのかも知れませんね。自分で言うと言っていましたから。」 「どうして!どうしてあいつはそういうことを黙ってるんだ!それに、連れ戻されたってどういうことだ?!」 「が貴族の出だということはご存知でしたでしょう?どうやら母親が亡くなったことで、跡取り問題が発生したらしく、つい1週間ほど前に、実家に帰る旨を告げられました。」 「ちくしょう!!」 壁を叩いた拳に、痛みは感じなかった。 それよりも、小さなが抱えていた痛みのほうがどれほどのものだったかを考えると、姉を取り戻すばかりで頭がいっぱいになっていた自分に怒りがこみ上げてくる。 どうしてこうも、何もかもが自分の手を滑り落ちていってしまうのか。 己の無力さを、二重に突きつけられて、ラインハルトは爪が掌に食い込むほどに握りこんだ。 キルヒアイスの話に寄れば、は連れ戻されることに対して、別段嫌がる様子も無く、淡々としていたという。 アンネローゼがいなくなり、ラインハルトとキルヒアイスもこの場所からいなくなってしまうのなら、自分も何処にいても同じだと、最後にはそういうことを言っていたらしい。 キルヒアイスも、ラインハルトを追って軍に入ると決めた以上、を引き止める言葉を見出せなかったという。 長くの世話をしていたキルヒアイス夫妻も悲しんではいたが、結局親権や何やらを突きつけられては抵抗のしようが無かった。 最後にの変わりに、今までの養育費と称した金銭を渡されたのだが、キルヒアイス夫妻はそれを彼女の家の執事とやらに突き返したのだという。 曰く、娘は売り物ではないというのが夫妻の言葉だった。 だが、アンネローゼと同じ状況下であったことには変わりは無い。 「キルヒアイス、俺は何も姉上だけを守りたかったわけじゃない。」 「私もです。」 権力というものに奪われ、相次いで連れ去られてしまった二人の少女に、ラインハルトとキルヒアイスは重ねて誓った。 『必ず取り戻し、この手で守る』ということを。 |
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